あり得ない事





そんなバカな、と最初花井は思った。
噂だしな、と次に思った。
だってあり得ねえ、と最後に締めくくってそれきり忘れた。

けれど水谷が言ったのと全く同じ噂話を沖からも聞いたことで
バカな、で片付けることができなくなった。

「それ、本当か?」
「と、オレは聞いたけど」
「・・・・・阿部に彼女?」
「うん」
「・・・・・それもすげーかわいい?」
「らしいよ?」
「誰に聞いた?」
「えー、なんか女子が噂してた。 見たヤツがいるって」
「見たって、彼女を?」
「映画館でデートしてたって話だったけど」

うーん、と思わず唸ったのは水谷から聞いた内容とほぼ同じだったからだ。
映画館でデートしていた、しかも相手のコが大変にかわいい。
三橋は? と浮かんだ疑問はもちろん口に出すわけにはいかない。
本当だとしたら、 と花井は1人になってから考えた。

(・・・・・・いいことだよな、うん)

阿部が三橋を諦めて一般的な恋愛を始めたのなら
起こりそうなゴタゴタは回避されるわけだから、喜ばしいに決まってる。
バッテリーの安泰はひいてはチームの安泰に繋がるだろう。

そこまで考えて花井は引っ掛かりを覚えた。
本当にそうか? と湧いた疑問の回答はあっさりと出てきた。
全然安泰じゃない。 何故ならば。

(三橋のほうは、どうなんだ・・・・・・・・)

阿部のほうが解決してもめでたしとはならない。
それは取りも直さず三橋の失恋を意味するわけで
エースの精神状態が不安定、程度ならまだしも奈落の底に落ちでもしたら
安泰どころか崖っぷちだ。

(・・・・・マズくないか、おい)

俄かに不安になりながらも別の種類の引っ掛かりが拭えない。
何かといえばどうにもこうにも現実味が薄い。 つまり信じられないのだ。

まず、阿部が気持ちを変えた、という点がとてつもなくおかしい。
それに阿部も三橋も最近変わった様子は特にない。
阿部は相変わらず阿部だし、三橋も三橋だし
無自覚両思いオーラだって健在どころか増しているような気さえする。
部室でうっかり3人きりになって微妙にいたたまれなくなったのだって
つい昨日のことじゃねーかと要らぬストレスまで思い出した。

(やっぱあり得ねーだろ・・・・・)

いっそ本人に問い質してみようかと思ったものの、何となく躊躇しているうちに数日が経ち、
その間の2人の様子にも不審な点がないことで今度は意識して忘れようとした。
要は平穏無事ならいいわけで、噂の真偽の追及は機会があればでいい、
と流したいのは何とはなし、嫌な予感がしたからだった。
根拠はないが知らないほうがいいと、己の中の何かが警告している。

しかし、新たな情報は無情にもきちんと花井の耳に入ってきた。
しかも今度は噂じゃなかった。
栄口の目は興奮のせいか、心持ち輝いていた。

「花井ー、オレ見ちゃった」
「は? 何を?」
「阿部の彼女」
「え」

驚きのあまりすぐには言葉が出てこず、目の前の顔をまじまじと見つめてしまった。
栄口は慌てたように付け加えた。

「あ、でも写真だけだけど」
「写真?」
「うん、携帯の」
「・・・・・阿部が見せてくれたのか?」
「え? や、違う違う、阿部がさ、昼休みに廊下で携帯見ててさ」
「・・・・・・・・・。」
「珍しい顔してたんで、ちょっと覗いてみたんだ」
「・・・・・・それが彼女の写真?」
「だったみたい。 すぐに隠されちゃったから一瞬だけど」
「・・・・・・・ただの知り合いじゃねえ?」
「だって 『彼女?』 って聞いたら 『まあな』 っつったよ」
「・・・・・・・・・・。」
「冗談で言ったらマジでそうだったから、びっくりしちゃったよ」
「・・・・・阿部も冗談だったんじゃね?」
「えー、でもあの顔はほんとじゃないかなあ」
「あの顔って?」
「めちゃめちゃニヤけてた」
「・・・・・・・・・・。」
「でさ、いろいろ聞こうとしたんだけど笑うだけで全然教えてくんなくてさ」
「・・・・どんなコだった?」

遠い目をした栄口は少し顔を赤らめた。

「かわいかった・・・・・」
「マジで?」
「うん、ちらっとしか見えなかったけど、すごいかわいかったような」
「・・・・・・・・・・。」
「いいなー阿部、いつのまに」

いつのまに、は花井こそが言いたかった。 
一体どこで見つけたのか とか 噂は本当だったのか とか そんなにかわいいのか 等の
驚きや感慨を凌駕する勢いで湧いた大疑問はもちろん

三橋は??!

だったわけだが、ここでも口に出しては言えず
栄口の本気で羨ましそうな顔を呆けたように眺めて終った。






○○○○○○

頭の中で大音量で叫んでも誰も答えてくれないその疑問は、
その後しばらく消えなかった。 消えないどころか気になって仕方がないので、
無意識にバッテリーの様子を観察してしまう。
が、どんなに注意深く見ても2人には何の異変も認められず、混乱は深まるばかりだ。
ついには 栄口は白昼夢でも見たんじゃ と
副主将の精神状態まで疑いだしたところだったので、
その日誰もいない部室でそれを発見した時花井は、天の采配だと思った。
それも大真面目に。

床にぽつんと横たわっている携帯電話は見覚えのあるもので
「拾って」 という声が花井には聞こえた。
なので拾い上げた。
落し物は拾わなくちゃだし、悪いことはしていない。

手に持ったら今度は 「見ていいよ」 という声がした。 確かに聞こえた。
脳内の片隅で別の声が 「ダメダメ人のプライバシー」 と言ったような気がするが
そっちは聞かなかったことにしたい。
それでも10秒ほど声の主である天使と悪魔が闘って、そして悪魔が勝った。
これだけ気を揉んでいるんだ、真偽を確かめて何が悪い。

問題の写真はすぐに見つかった。 それ1枚しかなかったからだ。
一目見てまず思ったことは。

(なるほどかわいい・・・・・・)

栄口の羨望の表情を思い出して納得してから、改めて驚愕した。
白昼夢なんかじゃなかった。
じゃあ三橋は? とここ数日何度も思ったことがまた浮かんだ。
三橋への気持ちは捨てたのだろうか。 

(あの阿部が・・・・・?)

しかも全然態度に変化もないのに? とどうにも腑に落ちない。
あるいはバレないためのカモフラージュかもしれない。
でもそれだけのことでデートまでするだろうか。
野球と三橋以外のことでは無頓着かつ不精にも見えるあの男が。

次々と押し寄せる不審だの疑問だのは最近何度も考えたことで、
ループしていると自覚して疲労を覚えた。 
1人で悶々としていても埒が明かない。
やっぱり本人に聞こうと決めて携帯を閉じようとして、ふいに掠めたことがあった。
ぼんやりと眺めていた「彼女」の顔を、どこかで見たような気がする。

(・・・どこで?)

じいっと写真を見つめた。
何だか懐かしい感覚がある。 馴染んだような。
同じ学校の女子だろうか。 こんな美少女が果たしていたか、と記憶を探っているうちに
天啓のように閃いた可能性に 「あ」 と無意識に声が出た。 

(・・・・・まさか)

あり得ない、と一旦は打ち消したものの、こんがらがっていた糸が解けていく。
もう一度目線を変えて見直した。
頬を染めて柔らかく微笑んでいる少女の髪型を脳内で変えてみて、
隠れている眉は自分で補足してから次にメイクを取り去ってみる。 

たっぷり3分間、穴の開くほど見つめてから
花井はあんぐりと口を開け、また閉め、その後おもむろに携帯を閉じた。
どっと疲れた一方で、ここしばらくのもやもやは跡形もなく消えていた。

すっきりした代わりに新たな疑問も湧いてしまったわけであるが、
我が部のエースピッチャーが何ゆえこんな格好をして、
さらにどのような経緯で相棒の携帯にちゃっかりと納まっているのか、
というそれはごく瑣末なことに思えた。
そこに至って花井はあることに気付いて、愕然とした。

(オレ、ホッとしてる・・・・・?)

自覚した心境に最初の噂を聞いた時と同じくらいか、それ以上に驚いた。
いやいや、と頭を振って追い出した。 認めたくない。

阿部にはできれば諦めてほしいと思っている。 
もちろん応援する気もゼロではないけど、奨励する気も全くない。
同性である以上困難はてんこ盛りで約束されているだろうし、
何よりチームにとって宜しくないからだ。
危うい不安要素を様々に孕んでいるような恋愛感情はないほうが良く、
ましてや自分はチームの状態を常に考えるべき立場にあるのだ。
阿部が諦めずに、その上いつか成就することを願っているだなんて、
そんな恐ろしいことはそれこそ三橋の女装以上に。

(あり得ねえ・・・・・・!!!)

と必死の抵抗を試みて、そして失敗した。
自分が信じられずに、往生際悪くさらに足掻いて最後に悟った。 
まっとうな理屈をどれだけ並べたところで空しいだけだと。

理性と感情の著しいズレ、というやっかいなシロモノを
初めてまざまざと実感してしまった、 花井梓17歳の秋であった。














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