阿部君の葛藤 (後編)






オレは本当に大したこととも思ってなかったので、
次に三橋がうちに来た時、玄関で弟に出くわした時もまずいとすら思わなかった。
けど、三橋を見た途端にシュンの顔がすごい勢いで赤く染まった。
そこで初めて 「あ」 と思った。
慌てて三橋を窺うと三橋もそれに気付いて動揺したような顔をしていた。
「ヤバい、かも」 と少し焦ったものの、
その時点でオレはまだそれほど重大なこととも思ってなかった。

部屋に入るなり三橋はオレに聞いてきた。 

「あの、さっき」
「・・・・・うん」
「弟さん、へ、変じゃなかった・・・・・・・・?」
「あー、そうかもな」
「あの」
「・・・・・・・・・・・。」
「も、もしかして」

三橋は赤面して口ごもった。
言わんとすることがわかってしまった。
たまに三橋は鋭い。 推測は当たっている、けど。
さすがにそれを言うのは良くないような気がした。
誰だって自分のやってる最中の写真なんて、見られたくないだろう。
何とか話を逸らせないか、とオレは素早く考えを巡らした、けど思いつく前にあっさりと封じられた。

「こ、こないだの、写真、・・・・・・・・見た、 なんてことは」

ずばりと指摘されて、内心で慌てながら一瞬白を切ることも考えたけど。
それをしなかったのは 嘘を言いたくない、というような立派なものじゃ全然なくて
大したことだとは思ってなかったからだ。 それほどヤバい写真じゃないんだし。
気付かれてない可能性のほうが大きいし。
なのでぽろりと言ってしまった。

「あー、うん。 ちょっと見られちゃって」

その時の三橋の表情の変化を見て。

オレは自分が失敗したことを悟った。

急いで付け加えた。

「あ、でも、大丈夫なやつだから。 顔だけ写ってるやつ」

そう言っても三橋の顔色は変わらない。
震える口から出てきた言葉は。

「・・・・・・す、捨てて・・・・・・」
「え」
「捨てて・・・・・・・お願い・・・・・・・」

言いながら目が潤んでくる。 本気で頼んでいると、わかった。
オレは困った。 だって。

できない。

まだ、  できないから。


「嫌だ」


もう少し柔らかい言い方をすれば良かった、と後悔したときはもう遅かった。
三橋は真っ青になって無言のまま立ち上がると 「帰る・・・・・・・・」 とつぶやいた。
そして呆然としたオレが我に返る前に素早く出ていった。
素早く、なんてもんじゃなく、走っていってしまった。

オレは動けなかった。
そこで初めて、三橋があれだけ嫌がった本当の理由がわかった。
写されることそのものよりも、他の誰かに見られることを一番恐れたんだ、  と。








○○○○○○

翌日オレは三橋に説明しようとした。
その前に最初に言わなきゃならないのは。

「ごめん三橋」
「・・・・・・・うん」
「誰にも見せないって言ったのに」
「・・・・・・・。」
「あいつ勝手に見やがって」
「・・・・・・・・あ、あの」

三橋は期待を込めた目でオレを見た。

「捨てて、くれる、よね?」
「・・・・・・・・。」

黙り込んだオレに三橋の顔が悲しげに歪んだ。
ずきりと、胸が痛んで  捨てる、 と言おうと口を開いた。 

でも言えなかった。

だって捨てたくなかったから。
紙なんかより生身の三橋の笑顔のが大事だ。 それは間違いない。 けど。
今はまだ  持っていたかった。
大バカだと、 わかっているけど。  でもせめて。
あの残像が消えるまででも。
縋る何かが欲しかった。

沈黙しているオレから三橋は黙って離れていった。
オレはまたしても見送るしかできなかった。
そこに至ってようやく、事態は思っていたより深刻だ、 と改めて思い知った。


それ以来三橋はオレを避け始めた。 練習以外の場では逃げまくった。
かと思うと、部活中にすぐそばで何か言いたそうな顔で佇んだりする。
何を言いたいのかよくわかるけど、オレはやっぱり三橋の望む言葉を言ってやれない。
三橋は傷ついたような目をしながら、結局何も言わずに離れていく。
そして部活以外では頑なに寄ってこない。
付き合い始めてから初めて、てくらいの避けられ方だった。

オレは眠れなくなった。


捨ててやればいいんだ。  そうすればあっというまに解決する。
何度もそう思った。 
それか、嘘をつけばいいんだ。  言わなければわかりっこない。

オレは両方できなかった。
なぜ捨てたくないか、ちゃんと説明すれば許してもらえるかもしれない、  とも考えた。

不安だから。
今はダメでも、そのうちにちゃんと捨てるから  と言えば。

でもそれもできなかった。 言葉にするとどこか違う気がした。
そんな単純なものじゃない。
けど、上手く言葉にならない。
自分でもよくわかってないものを三橋に説明する自信がなかった。
わかってもらえる自信もなかった。
情けない自分を知られるのがイヤだ、 という下らない見栄もあった。

かといって嘘をつくこともできなかった。
言えば 「本当?」 と確認されるだろう。
その時に平然としていられる自信がない。
やっかいなことに三橋は、時々すごく鋭い。
オレもそれだけ顔に出てるのかもしれないけど。
バレたら余計にこじれて取り返しのつかないことになる恐れだってある。

これで終わりになるってことは、まさかないよな・・・・・・・・・

そう言い聞かせながらも毎晩眠れない。
明け方になってようやくうとうとして、でも悪夢を見る。
寝不足も手伝って、昼間もイライラしていろいろなことに集中できなくなった。
練習に響かせないようにするので精一杯だ。


何とかしないとヤバい、 と本気で考え始めた頃、花井が改まった様子で 「話がある」 と言ってきた。
何の話かすぐにわかった。
ぎくしゃくしてんのが周囲にもバレてるな、 というのは気付いていた。
でもきっと 「早く仲直りしろ」 というレベルの話だと予想していた。
半分は予想どおりだったけど。


花井の口から 「写真」 という言葉が出た時、頭を殴られたような衝撃を感じた。
三橋が。

あの三橋が、 花井にそこまで言ったということに。

それだけ三橋も本気で嫌なんだな。
オレは今三橋にとっては 敵 みたいな存在なのかもしれないな・・・・・・・・

考えた言葉が自分に突き刺さって、もっとひどい気分になった。
それだけじゃなく、目の前の花井に対してまで理不尽な何かを感じた。
花井に悪気はないことはわかる。
心配かけていることもわかってる。

なのに湧き上がるこれ。  この嫌な感覚。  これは。

花井に対する 「憎しみ」 だ。

そう気付いたのと花井が 「捨ててやれよ!」 と怒鳴ったのが同時だった。
一瞬でも花井に (いいヤツなのに) そんな感情を抱いた自分に愕然とした。
自覚している以上にオレは今ヤバいのかもしれない。
じっとりと冷や汗が滲むのがわかった。


いつか捨てる、 と言ったところで 「いつか」 じゃダメなんだろうなと暗く考えてから
ハタと思いついた。
花井に仲介してもらえば。
事は簡単に収まるんじゃねーか?  捨てるのは本当なんだし。
花井に嘘をつかせるわけじゃないんだし。  単語が1つ抜けているだけで。
詭弁なような気もするけど、もうこの際何でも構わない。
オレと違って花井なら、余計な葛藤なしに報告するだけだからこじれる可能性も薄い。
とにかく、これ以上この状態が長引くと真剣にもたない。

一筋の光明が見えて、少しホっとした。  思わず顔が緩んでしまう。
花井がぎくりとした顔で引いたのがわかったけど気にしない。
でもオレの返事に疑惑満々な顔をしたんで、内心で焦った。
ここでごちゃごちゃと突っ込んで聞かれて 「やっぱり自分で言え」 とかなったら困るんだ。 
言えるもんならとっくに言ってる。  オレはもう限界なんだ。 マジでヤバいんだ。

焦りが顔に出ないように意識して笑顔を保ちながら、
不審気な顔で渋る花井に強引に畳み掛けて、ほとんど無理矢理承諾させた。  必死だった。

そして思惑は当たった。







○○○○○○

翌朝の練習の時三橋の雰囲気が明らかに軟化していた。
周囲に人のいない隙を見計らって、慎重に言葉を選んで聞いてみた。

「花井から聞いた?」
「・・・・・・・うん」

小さく頷いてから顔を上げてオレを見た。

「阿部くん、 ・・・・・・・ありがと・・・・・・・」

言って、ほんのりと笑ってくれた。
うっかり泣きそうになった。  同時に良心が疼いた。

嘘は言ってない。

そう自分に言い訳しながら、結局その日も三橋とちゃんと話せなかった。
三橋のほうは話したそうにしているのがわかったけど、今度はオレがダメだった。

なので帰る道々、決心した。




夜中になってからオレは本棚の奥に隠した写真を取り出して最後にもう一度見て、
それから庭に出てこっそりと燃やした。
大した量じゃなかったし、写真はあっというまに灰になった。
それを見守りながらひどく物悲しい気分になった。

こんな思いをするくらいなら、 

撮らなきゃ良かった。



ここ数日繰り返し考えたことをまた、思った。





その後部屋に戻って、どうしても燃せなかった1枚を引き出しから出して
長い時間眺めた。


オレしか知らない三橋の顔。  大好きな顔。


根拠のない安心感とか、愛しさとか情欲とか後ろめたさとか自己嫌悪とか、
たくさん感じながら見つめ続けた。






いつか、 紙に頼らなくてもいいくらい強くなって

必ず   ちゃんと捨ててやるから。

その時は、  あの頃は不安でしょうがなくて余裕なかったなぁと、
笑いながら捨てられるといい。


そうできる日が  来ますように。








見つめながら何度もそう思った。














                                                 阿部君の葛藤 了

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                                                               オマケ)翌日の帰り