阿部君の葛藤 (前編)
            * 「花井君の災難」 の阿部サイドです。








その瞬間血が沸騰した。 






三橋に用事があって教室まで行ってもいなくて。
ちょうど出てきた泉に何気なく聞いたら
「女の子に呼び出された」 と告げられて嫌な予感がして。
そこで踏みとどまれば良かったのに。
ざわざわと、胸が騒いで気付いたら探していた。
おまけに見当つけて最初に覗いたところがビンゴで、三橋と知らない女の子が向き合っていて。
そのまま足が凍りついたように動かなくなった。
三橋の断りの言葉を聞いてホっとした後も、
なおその場に留まったのは相手のコが泣き出したからだ。
情にほだされちまったらどうしよう。

大丈夫、 といくら頭で思っても不安が消えなくて、
情けないと自嘲しながらもどうしても足が動かなかった。

黙って去れば良かった。

そうすればこんな思い、 しなくて済んだ。

オレにはその子の動きがスローモーションみたいに見えたけど。

三橋にとっては一瞬の出来事で避けようがなかったんだろうと思う。  思いたい。


全身が焼けるかと思った。
わかるのは嫉妬と、それから不安。
いても立ってもいられない気がして、何も考えずに三橋に声をかけた。

女の子が走り去った後、呆然、という呈で突っ立っていた三橋はオレの声に飛び上がって、
それからはっきりとうろたえた。
三橋は悪くない、 と必死で言い聞かせながら
「最初から見てた」 と言ってやったらホっとした顔になった。
ぶすぶすと身の内に燻る何かを感じながら、そもそもの用事に話を移した。

それで終わるはずだった。
少なくともその時は 終わりにしようと考えていた。
湧き上がるもやもやした嫌な感情は理性で無理矢理抑え込んだ。
できたと自分では思っていた。







だから計画していたことじゃない。
その日三橋がうちに泊まったのは以前から約束していたことだったし。
いつものように抱き合って、いつもと同じように三橋は応えてくれる。
それなのにオレの気持ちはどこか晴れない。

不安で堪らないんだ、 と気付くのに時間はかからなかった。
本人まるで自覚してないけど、三橋は案外もてる。
オレはそれを知っている。
ほとんどが 「野球部のエースだから」 というミーハー根性で遠巻きにしてる輩だけど、
中にはひそかに本気で思い詰めているコだっているだろう。
今回のコはそれでも諦めたみたいだけど、この先強引に迫るやつだっていないとは限らない。
気の弱い三橋が押し切られない、という保証はない。

抱き合いながらそんな具体的な不安までよぎる。
何も今ここで、そんなこと想像しなくても、と頭の片隅で警笛が鳴った。
警笛とは裏腹に不穏な考えが脳裏を掠めた。


三橋がオレのもんだという、確かな証拠が欲しい。


思ってから自分を笑いたくなった。

証拠、 てナンだ。

人の気持ちに証拠なんてない。  信じるしかない。
少なくとも今は三橋はオレを好きでいてくれてる、 と信じている。  それなのに。
先の保証がないのは何をどうしたって同じだ。 意味がない。
未来については確かなことなんて何もない。 当たり前のことだ。

いっそ閉じ込めてしまえたら。

そこまで思って我に返った。  どうかしている。
大きく息を吐いてから、改めて三橋を見下ろした。
オレの指に敏感に反応して息を荒げて震えている三橋を。


誰にも  渡したくない。


いつもそう思う。 意識して、あるいは無意識で、いつも思ってる。
こうしている今はいい。  三橋はオレのだ、 と素直に思える。
でも明日になればどうなるかなんてわからない。
今こうして抱いていても明日になればもう過去になる。

目の奥に女の子が三橋にキスをした一瞬の映像がまた浮かんだ。
あれ以来、繰り返し何度も浮かんでしまうその光景。
消したくて、目を瞑った。
でも消えない。 頭の中にあるんだから消えるわけない。 気が狂いそうだった。



気付いたら紐を取り出していた。
一度離れたオレを最初三橋はきょとん、とした様子で見ていたけど
紐に気付いた途端にぎょっとした顔になった。

嫌がるだろうな、   とどこかで冷静に思った。
激しく抵抗するだろうなと。
でもそのほうがいい。 そうされればオレはやめる。 やめることができる。
自分ではこの狂気じみた衝動は止められない。 三橋でないと。 
三橋になら止められる。

縋るようにそんなことを考えた。

なのに三橋は嫌がらなかった。
驚いた顔をした後、僅かに怯えた目をしただけで後は黙って大人しくオレに縛られた。

「なんで」

思わず出た問いかけに三橋はまっすぐにオレを見た。
その目はもう怯えてはいなかった。  とてもきれいな目だった。
泣きたいような気分になった。

そこでやめれば良かったのに。








カメラを手にした時、今度は三橋は泣いた。

「いや・・・・・・・」

弱々しい拒絶の言葉を耳にしながらオレはもう聞いてやれない。
だって残したかった。
三橋がオレのもんだと安心できる何かを。
それで安心できるかというと、きっとできないとわかる。  わかるけど止められない。

かわいそうにと思うのに。


どうしても    止めることができなかった。








気を失った三橋を見下ろしながらひどい気分になった。
これで三橋を失ってもおかしくない、 と絶望的に考えた。
三橋はそのまま朝まで意識がなかった。
オレは結局一睡もできずに朝を迎えた。


目覚めた三橋は恐れたような反応をしなかった。  どころか、オレを見て微笑んだ。 
びっくりして固まっているオレに 「おはよう」 と小さく言ってまた笑ってくれた。
三橋は怒ってなかった。
涙が出そうなくらいホっとした。

その後オレは何も聞かなかったし、三橋も何も言わなかったので
その時オレは三橋が写真を嫌がった本当の理由に気付くことができなかった。
単純に恥ずかしいところを写されるのがイヤで、でも許してくれたんだろうと考えた。






その日の夜写真をプリントした後でデータは全部消去した。
カメラは親のものだから残すことはできない。
パソコンに残すのも危険だから印刷が終わるなりすぐに消してしまった。

写真を見るのは複雑な気分だった。
その時の自分の狂気を突きつけられるようでつらかったし、三橋の泣いている顔にも胸が痛んだ。
やっぱり嫌がるものを無理矢理撮っても、手放しで嬉しいなんてとても思えない。

でもその反面満足感もあった。
絶対誰も見たことのない三橋の顔と姿態、普段はオレの記憶の中だけにあるものが
「もの」 として存在する。  証明のように。
眺めていると僅かでも安心できるような気がした。
バカだと思ったけど。

オレはそれを数枚は処分して、残りのうち1枚だけ残して他のは封筒に入れて本棚の奥に隠した。
それから残した1枚を飽かずに眺めた。
それは顔をアップにして撮ったもので、最中に三橋がよくする表情だった。
半分閉じた目から涙が一筋流れていて、切なげにオレを見つめている。
とても色っぽい、オレの大好きな表情だった。

それだけはしまいこむのがイヤで、いつでも見られるようにと引き出しの奥のほうに大事にしまった。


そのうちに、全部処分してやろう。
もっと自信が持てるようになったら。
そんな日が来るのかわからないけど。
捨てられるくらい強くなって、いつかきちんと全部捨てよう。


そう心に決めた。
それで今度こそ終わるはずだった。








○○○○○○○

その日帰宅後に部屋に入って弟のシュンの後姿を見た時、ぎくりとした。
だって引き出しを開けていたからだ。
そんなこと普段はしないのに。 なんで。

でもオレより、振り向いたシュンのほうがもっと驚いた顔をした。
だけでなく飛び上がった。
その手にまさに恐れていた物があるのを見て、オレは却って冷静になった。
ヘタなことは言うまい、と咄嗟に判断した。
シュンは慌てふためいたように写真を引き出しに戻してから急いで閉めた。

「お、おかえり」
「・・・・・・なにやってんだよ」
「えー、辞書借りようと思って」
「引き出しになんかねーよ」
「・・・・・そ、だよね」
「勝手に開けてんじゃねーよ」
「あ、ごめん」

あはは、 とごまかすように笑うその顔が赤い。
気付かれたかな、 と思った。
顔だけの写真だけど。  表情がやっぱり普通とは違う。

でもオレは何も言わなかった。 出方を見てから決めようと思ったからだ。
シュンも結局何も言わなかった。
赤い顔のまま、もごもごと言い訳じみたセリフを言いながら逃げるように出て行った。

気付いたか、そうでないか、よくわからなかった。
変だなとは思っただろうけど、具体的にどこまで察知されたかなんて
ヘタに探りを入れたら却って墓穴を掘りそうな気がした。
仮に何か勘ぐったにしても、わざわざ親に言うことはしないだろう。  もうそういうトシじゃない。

オレはそう踏んでさっさと忘れた。
三橋にとって ものすごく重大な事件だとも、その時点では考えてなかった。 

うかつにも。















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