全面降伏





それに気付いた時、何も考えずに怒鳴ってしまった。

「だから言わんこっちゃねー!!!」





血の味がする、と不審に思って離して 改めてその場所をよく見てみれば
常よりも赤い唇にさらにひときわ赤い鮮血が滲んでいて。
それが大層痛々しく見えて、瞬間頭に かっと血が上った。

何度言ってもやめようとしない、上がる声を抑えようと、唇を噛み締めるクセ。
それでも以前に比べれば随分我慢しなくなったのだ、
ということも理性ではわかってはいるけど。
いつかやるんじゃないかと、常々気にしていた懸念が現実になった腹立たしさと
未だに自分を傷つけてまで己を曝け出してくれない、という寂しさがない交ぜになって
湧き上がる感情を抑えられない。

「血ぃ出てんじゃねーかよ!」
「へ・・・・・・・?」
「声、我慢すんなっていっつも言ってんだろ?!!」
「う、  え」

涙で潤む目は先刻からだけど、さっきまでは快感によるものだけだったそれは
今は怯えによるものも加わっている、はずだ。

ひたすら甘いだけだった空間に一瞬にして険悪な雰囲気が漂ってしまうのは
自分が大人気なく怒っているからだ、 とちらりと掠めつつも、
怒りはふつふつと湧きあがり、表情にも、おそらく三橋の目には
体全体から噴き出しているに違いない。

どうすれば、やめさせることができるのか。

今まで何度も考えたことを阿部はまた思う。

理性を完全に飛ばしてしまえば、三橋も我慢しない。
その余裕すらないからだ。     問題は。
そこに至るまでの過程での我慢までは自分の言葉くらいじゃどうすることもできないほど、
三橋の羞恥心が強い、ということだ。

阿部はめまぐるしく考えた。

それからひとつだけ、思い付いた。  でもそれはある意味賭けだった。

ヘタをすれば三橋以上に自分が傷つく、 賭け。

そうわかりながら、ゆっくりと口を開いた。

「やめる」
「へ・・・・・・?」

その瞬間三橋はきょとん、とした。
何を言われたのかよくわからない、 という表情だった。

「今日はもうしない」
「えっ」

今度は正しく理解したようだった。 阿部の言わんとすることを。

「今日だけでなく」
「・・・・・・・。」
「おまえがそうやって傷を作るくらいならずっとしない」

言いながらその言葉は自分にも突き刺さる。 心臓がぎゅうっと縮む。
我ながらバカみたいだ  と脳裏を掠める。
どきどきしながら見つめていると、三橋はみるみる真っ青になった。

「し、しない・・・・って・・・・・・・・」

それでもまだ半信半疑な呈の三橋にきっぱりと、告げた。

「おまえを抱くの、我慢する。」

言い放つなり体を起こして三橋に背を向けた。
ベッドから降りて、脱ぎ散らかした服を手に取る。
いかにも冷たそうに見えるように一連の動作を繋げながら、
内心では祈るような気持ちだった。




「あ、  阿部、 くん!!」

上がった声はほとんど悲鳴だった。

「い、いや・・・・・・・・・」

涙声になった。

阿部は振り向いて、三橋を見た。
三橋は半身を起こして、蒼白な顔で震えていた。
顔が真っ白なせいで、唇の鮮血がいっそう鮮やかに浮き立った。

「も、もう、 噛まない、  から」

堪えきれずに大粒の涙が零れ落ちた。

「そんな、こと、・・・・・・言わな・・・・・・・」

皆まで言えずに ぐぅ、 と詰まった。



賭けに、      勝った。



心の中だけで大きく安堵のため息をついた。

戻って、ぼろぼろと零れるに任せている涙を舐め取ってやる。

「唇、噛まない・・・・・?」
「か、 かま、 ない」
「声、 我慢しない・・・・・?」
「し、しな、 い」
「本当に?」
「ほ、 ほん、 と」
「できるのか?」
「・・・・・わ、 かんな・・・・・けど」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・が、んば、る から」

ひっく、 と三橋はしゃくり上げた。

「お願い、 だから」
「・・・・・・・・。」
「し、 して・・・・・・」


ああ、 と阿部は天を仰いだ。

ごめんな。  三橋。

胸いっぱいに満ちている謝罪の言葉も今は言えない。


元から 我慢できる、なんてこれっぽちも信じられなかった自分の理性だけど。

想い人のこんな様子を見てなお保てるヤツがいたらお目にかかりたい。

自分とは違って、何の打算も思惑も勝算もなく、
無自覚に殺し文句を紡ぐ、その赤く染まる唇を。

ついさっきの 「勝った」 気分など跡形もなく霧散した、すっかり丸ごと降参の気分で

阿部はそうっと また塞いだ。











                                               全面降伏 了

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                                                     キミには一生勝てない。