その笑顔のためならば (前編)(SIDE M)





阿部くんは困ったような顔をしていた。  とても。
気を遣わなくていいのに、とオレは思った。

「本当にごめんな、三橋」

声も心苦しそうで、そのことにオレの胸は痛んだ。

「いい、よ」

意識して精一杯明るい声を出した。

「オレ、 わかってた、 し」
「でも・・・・・・・」
「ホントに、大丈夫だから」

阿部くんの顔が少しだけ、ホっとしたように緩んだ。 そして言ってくれた。

「でもオレら、バッテリーだから」
「うん」
「何があってもそれは変わんねーから」

ふいに涙が滲んで慌てて堪えた。
そう、バッテリーなんだ。 それだけは変わらない。

「だから、これからもよろしくな!」
「うん」

頷きながら、笑うことができた。 上手くいった。 この調子。
阿部くんもやっと笑顔になりながら、でもまた言った。

「本当にごめん」

いいんだよ、阿部くん。

笑いながら顔を横に振った。
その後去っていく阿部くんの背中をじっと見詰めた。
視界の中でその背中が滲んだ。  まだもう少し、 と堪えた。

見えなくなる前にきれいな女の子が阿部くんに走り寄ったのが見えた。
阿部くんの腕に自分の腕を巻きつけて艶やかに、笑った。
阿部くんの横顔が愛しげにその子を見つめた。
2人は睦まじく寄り添いながら、角を曲がって視界から消えた。

それでようやくオレは安心して、その場に座り込んで。


声を出さずにひっそりと 泣いた。













**************

目が覚めた時、顔中涙でぐしょぐしょだった。
心臓がばくばくしていて、体も汗びっしょりになっていた。
まず浮かんだことは 「良かった・・・・・」 だった。

良かった夢だった。
すごくリアルだった。

夢だったんだ、と何度も言い聞かせながらオレはしばらく布団に突っ伏して泣き続けた。
涙はなかなか止まらなかった。




なので、学校に着いた時まだ顔がむくんでいて、目もひどく腫れていた。
門のところで会った泉くんが心配そうな顔で 「どした? 三橋?」 と聞いてきた。
適当にごまかしながら 「阿部くんにも、聞かれるなぁ」 と思った。
そしてやっぱり聞かれた。

「三橋、なんだその顔」
「う」
「・・・・泣いた?」
「あ、 の、」
「うん」
「朝、お母さんに、怒られて、ちょっと」
「・・・・・・なんで?」
「え、あ、 た、大したことじゃ」
「・・・・・・・ふーん」

阿部くんの目が疑わしげになったのがわかったけど、気付かないフリをした。
本当のことなんて言えるわけない。
それで済めば良かったんだけど。

今日の投球練習はガタガタだった。
朝だけでなく放課後まで、自分でもびっくりするくらいひどかった。
きちんとしようとするんだけど、ちらちらと目の前に夢のシーンがちらつく。
それはオレがいつも覚悟しているシーンだ。
でもあんなに生々しくはっきりと夢に見たのは初めてだった。
多分、昨日阿部くんが廊下で女の子と話しているのを見てしまったせいだと思う。
その子が何でもないのはもちろん知っている。
同じ委員会かなんかの人なんだって、以前阿部くんが教えてくれた。
だけどふと 「とても似合ってるな」 と思ってしまった。 ほんの一瞬。
思ってから急いでその考えを追い払った。
その後も思い出さなかった。 それだけのことだったのに。

オレの定まらないコントロールに阿部くんの顔がどんどん険しくなる。
焦れば焦るほど球は乱れる。

怒られる、と覚悟していたのに阿部くんは結局何も言わなかった。
早めに投球練習を切り上げて無言のまま次のメニューに移った。
却って怖くなった。

でも阿部くんはむっつりと黙り込んでいたものの、怒っている様子でもなかった。
練習の合間に不思議そうな顔でじーっとオレを見ていた。
オレは何となくいたたまれない。
いっそ怒鳴られたほうがまだマシなような気がする、と思いながらも
自分から言い訳もできない。 不調の理由にもならないし。



帰りはいつも以上に疲れていた。
体より気持ちのほうが疲れた感じがする。
阿部くんと並んで歩きながらロクに話すこともできない。
明日もこんな調子じゃダメだから早く帰って休まないと、と考えてから 眠るのが怖い、と思った。
でも同じ夢を見るとは限らないし、多分大丈夫、と自分に言い聞かせながら
またもや夢のシーンが頭をよぎって気持ちが沈んでいく。

阿部くんが立ち止まったのに気付いて顔を上げると、分かれ場所に来ていた。
阿部くんといられるのはここまでだ。
何だか長い1日だった。 でもまだこれからも長いかも、今日は夢を見ませんように、
明日には普段どおりの日常に戻れますように、 と願いながら阿部くんの顔を見た。
阿部くんはいつもと少し違う表情でオレを見ていた。

「ま、また明日、 阿部くん」

精一杯笑顔を作りながら言った、のに。
阿部くんは難しい顔になった、だけでなく黙っている。

「あの」
「・・・・・・・。」
「じゃ、じゃあ、ね」

黙っている阿部くんに手を振ってみたんだけど。
やっぱり反応してくれない。 ばかりじゃなく今度は眉間にシワが寄った。
オレはどうすればいいのかわからなくて動けない。
そこで阿部くんは唐突に言った。

「肉まん奢ってやるよ」
「え?」

言われた途端にいきなり、空腹を強く意識した。

「な?」

阿部くんが一転してにっこりと笑ったのに安心してしまって。
夢の残像を追い払いたい気持ちも手伝ってオレは頷いた。
本当はもうちょっといっしょにいたかったから、実はとても嬉しかった。







○○○○○○

阿部くんの意図がわかったのはそのすぐ後になった。
練習の間中、不審気な顔でオレをちらちらと見ていたんだから
こうなることは少し考えたら予想できたはずなのに、奢りに目が眩んで
何も考えなかった自分が呪わしい。

ほかほかと湯気の立つ美味しそうな肉まんはすぐそこにあるのに。
お腹はもうさっきからぐうぐうと恥ずかしい音を立てている。
実は昼のお弁当を残してしまったから。
だってその時はお腹すいてなかったんだ。
田島くんと泉くんが目を丸くして心配してくれたけど、本当にすいてなかったんだ。

阿部くんは見せ付けるように手の平に肉まんを乗せたまま、もう一度同じことを言った。

「何で朝っぱらから泣いたのか本当のことを言え」
「・・・う・・・・・」
「言ったら食っていいぜ?」

もう適当に、当たり障りないことを言ってごまかして・・・・・・・・・・と考えたところで
阿部くんがまた言った。

「言っとくけど、嘘ついたらすぐわかんだからな」
「え」
「おまえ、顔に出るからわかるんだよ」

ダメだ、と絶望的に悟った。 阿部くんの目はオレを食い入るように見つめている。
こうなった時の阿部くんに、オレは絶対勝てない。
たとえここで言わなくても最終的には言わされるに違いない。 それならば。

「・・・・・夢を見て」
「夢? どんな?」

オレは本当のことを話した。 全部話した。

「ふーん・・・・・・・」

聞き終わった後阿部くんは小さくつぶやいた。 でもそれだけだった。
恐れたような怒りの表情はなくて、オレは却って不気味になった。 けど。

「食っていいよ」

肉まんは貰えた。 急いで食べた。 すごく美味しかった。
満足して、ほんわかしていたら阿部くんの低い声が聞こえてひやりとした。

「今日、うちに来い。」
「え」
「親にはオレが電話してやるから今日は泊まれ」

阿部くんの目はこれ以上ないくらい真剣だった。
イヤ、なんて言えるはずがなかった。







○○○○○○○

帰り道、阿部くんは無口だった。
家に着いて、夕食をご馳走になったりお風呂に入ったりの間にも ずーっと無口だった。
怒らせたのか、とびくびくしたけど、そんな感じでもない。
何かを一心に考えているように見えた。
オレは。
正直怖い。 不気味でもある。 てっきり怒られると思っていた。
それともその時間はこの後来るのか。
あの夢の話をして、阿部くんの家に来た、それで何も起こらないわけがない。
しかも阿部くんは何か考え事に耽っている。
多分さっきの話に関連したことじゃないかと、 思うし。
でもそれが何なのかさっぱりわからない。
とにかく未だに一言も怒ってこないのがいつもの阿部くんらしくなくて、変な感じがして落ち着かない。
きっとこの後何か言われるか、されるかするんだろう。

オレはワケがわからないなりに、来るであろう何かを覚悟した。


そしてそれは予想したとおり、夜阿部くんの部屋に落ち着いてからやってきた。
阿部くんは真面目な顔で淡々とオレに言った。

「結局さ、おまえは不安なんだと思うんだ」
「・・・・う・・・・・・・」
「オレがいくら信じろっつってもどっかで不安なんだ」

だって。

「オレがおまえのもんだって、心から思えねーんだよな?」

だって。

阿部くんの言葉は多分当たっている。
信じてないわけじゃない。 だけど。
阿部くんはすごくもてるし、やっぱりどう考えても女の子のほうが似合っている。
長い目で見れば、いつまでもこのままじゃいられない、てことはオレじゃなくたってわかる。
オレは、多分変わらない。  でも阿部くんは。
いつかきっとオレから離れていく。  そうでなくちゃダメだとも、思う。
オレのせいで阿部くんの人生をめちゃめちゃにしたくない。

心の中だけで弱々しく言い訳するオレに阿部くんは何でもないような顔をして、
あっさりと 爆弾を落とした。
それは、オレの覚悟や予想を遥かに上回るものだった。


「だから今日はおまえがオレのこと抱け。」
















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