失恋 (後編)





きちんと謝りたい。

阿部はそう思った。

が、思った内容とは裏腹に翌日から阿部は三橋を微妙に避け始めた。
自分にとって最悪の言葉を言われるのが怖かったからだ。
卑怯なのはわかっていたけど、どうしても正面から向き合うことができなかった。

もちろん練習のときは話さないわけにはいかないから、必要なことだけ淡々と話した。
三橋が時々何か言いたげな顔をしているのがわかった、けど
言わせる機会を与えないようにした。

それでいいと思っていたわけでは全然なかった。
ちゃんと謝らなければ、という思いが常にあった。 
何をしていてもそれは消えずに、少しずつ大きくなって阿部の中の何かを蝕んでいった。
いくら三橋が同意して、かつ拒絶もなかった、とはいえそれは口実に過ぎず、
レイプ同然だったんじゃないかという罪悪感が阿部を苦しめた。
おまけに。

最初はそれでも普通に見えた三橋が次第に野球のうえで調子を崩してきた。
投球を受け止めるだけで三橋のその日の体調や心境まである程度わかってしまう阿部は
すぐにそのことに気が付いた。

オレのせいだ。

阿部は絶望的な気分で考えた。
いつまでも逃げているわけにはいかない。
元には戻れなくても、三橋の気持ちの負担を取り除いてやらなくてはならない。

相棒として、というよりは 人として。


なのである日の部活終了後に阿部は意を決して三橋に声をかけた。

「ちょっと話があんだけど」

三橋は驚いたように阿部を見た。
あれ以来本当に必要なこと以外は話さなくなっていたからだ。

「わりぃけど、時間いいか?」

三橋は僅かに青い顔をして頷いた。
その顔を見ながら阿部は胸がずきずきと疼く。
それは三橋のことを思って、というよりは自分を哀れむ痛みだったかもしれないけど。



とりあえず無人の教室に入って適当に座らせた。
すぐに本題に入った。 さっさと片を付けたい、という気分だった。

「こないだのことなんだけど。」
「・・・・うん。」
「・・・・本当に ごめん・・・・・」
「・・・・・・・・。」
「オレ、どうかしていたんだ。」
「・・・・・・・・。」
「あんなこと、するつもりじゃなかった。 でも止まれなくなっちゃって。」
「・・・・・・・。」
「絶対おまえのせいじゃねえから。」
「・・・・・・・。」
「オレ、おまえに変な気持ち、持ってねぇし。」
「・・・・・・・。」
「虫がいいのはわかっているけど・・・・忘れて、ほしい。」

黙り込んでいる三橋にそこまでさくさくと言ってから阿部は少し息をついた。 それから。
元から許してもらうつもりもなかったけど問わずにはいられなかった。

「・・・・許してくれない・・・・・よな・・・・・・」

三橋は俯いたまましばらく黙っていた。 そのあと小さな声で言った。

「オレ、怒ってなんか・・・いないよ・・・・・・・・」

阿部は驚いた。
三橋のお人よしは充分知っていたけど、まさかここでも発揮されるとは思ってなかった。
あるいは、   とぼんやり考えた。

オレの機嫌を損ねるのが怖いのかもしれないな。
何を言われてもおまえの球は受けてやるのに。 
わかってねぇのかな・・・・・・・・・

でも言葉だけでもそう言ってもらえたことに明らかにホっとしている自分もいた。

その時、膝の上で固く握られた三橋の手がかすかに震えているのに気がついた。

・・・・・・・・本当は怒ってて、・・・・許したくないんじゃねーのか・・・・・・

そうでも全然不思議はない、と思いつつそれを確認する勇気などあるわけなかった。

卑怯者、 と聞こえたような気がした。
紛れもなく自分の中で放たれた非難の言葉を阿部は黙って噛み締めた。
それが精一杯だった。

「阿部くんがそう言うなら・・・・忘れる・・・・よ。」

また小さな声だったけど三橋は確かにそう言った。
自分が望んだことのはずなのに、阿部はその瞬間ひどく胸が痛み、
そのことにまたさらに自己嫌悪を募らせた。

「うん・・・・・・ホントにごめんな。」

三橋は首を横に振った。
阿部は声が震えないように気を付けながら意識して明るく言った。

「彼女と上手くいくといいな。」
「・・・うん・・・・・・ありがと・・・・・」

三橋は最後に顔を上げて少し笑った。
阿部も久しぶりに正面から三橋を見ながら努力して微笑んだ。
上手く笑えている自信はまるでなかった。







○○○○○○

その後三橋は普通に戻ったかのように見えた。
とりあえず一時よりは調子も戻ったし、阿部も表面上は以前と同じように話したりした。
でも。
やはり全く同じ というわけにはいかなかった。
どうしてもお互いにどこかぎこちなくなった。
三橋は元々あまりよくしゃべるほうでもなかったので目立たないとはいえ、
何がなしの距離を感じる。

そして三橋だけでなく阿部のほうも無理だった。
許してもらえたところで失恋したことに変わりはない。
けど最悪の結果を免れただけでも良しとしなければならないと
阿部はなるべく前向きに考えるように努めた。

完全に戻れるわけなんてないんだ。
それだけのことをオレはしたんだから。

そう諦めつつ、最後に触れた滑らかな肌の感触の記憶がなおいっそう阿部を苦しめた。
あの肌に触れたいと長い間渇望してきた。
もっと違う形で、優しい気持ちで、愛しさを込めて触れてやりたかった。


ずっと大事に想ってきたのに

最後にめちゃくちゃにしてしまった。


どれだけ後悔してもなかったことになんてできない。 やり直しもきかない。


どんなにオレはあいつが好きだったろう。


いつかもしかして、   という希望をどうしても捨てることができなかった。


でももう潮時だったんだ。
最初から諦めるしか道はなかったんだ。

阿部は毎日自分にそう言い聞かせた。

そうしたところで痛みが消えるはずもなかったけど。

消える日は来ないだろうな
・・・・・・・・・・


それでも切望した。

いつか薄れますように。


この、痛みが。  想いが。    消えますように   と。







○○○○○○

そんなふうに2人の間の空気がまだ何となくぎくしゃくしていたある日の昼休み、
田島が珍しく暗い顔をして阿部のところに来た。

「阿部」
「・・・・田島、何だよその顔。」

思わず聞いてしまったくらい田島の顔には覇気がなかった。

「ちょっと話したいんだけど。」
「は?」
「今いい?」
「いいけど。 なに。」
「ここじゃまずい。」
「・・・・・・・?」
「部室行こうぜ。 誰もいねぇだろうから。」
「・・・・別にいいけど。」

田島はにこりともしない。
阿部は不審に思った。 こんな田島は珍しい。 というか初めて見るかもしれない。
昼食はすでに終えていたので連れ立って部室に向かった。



座った途端に田島が言った言葉に阿部は内心でぎくりとした。

「三橋のことなんだけど。」
「・・・・・・・。」

何となくそんな気はしていた。
イヤな予感が当たってしまった。 何を言われるんだろう と無意識に身構えた。

けど田島はもじもじしてなかなか続きを言わない。
今日の田島は徹底して変だ。
いつもの阿部ならイライラしてとっとと聞き出すところだけど、
後ろめたい気持ちがあるせいで黙って待つしかできない。

ようやく田島が口を開いた。

「・・・・こんなことオレが言っちゃダメかもしんないけど。」
「・・・・・・?」
「三橋・・・てさ。」
「・・・うん。」
「・・・・・阿部のこと好きなんだよな。」
「は?」
「好きなの、阿部のこと。」

なに言ってんだこいつ、   と阿部は思った。
ちゃんと恋人作ったんだろ・・・と言いたくなったけど、とりあえず次の言葉を待った。
田島は何か勘違いしているんだろう。
あるいは恋人ができたことを知らないのか。
聞いてから訂正すれば済むことだ。


「だけど全然諦めちゃってるから。」
「・・・・・・・・。」
「オレちょっと・・・たきつけちゃって・・・・・」
「たきつける?」
「うーんと。 阿部にさ、『彼女できた』 って言ってみれば? って。」
「!!!」
「そしたら阿部の気持ちがわかるかもよ って言ったんだよね。」

阿部は ぱくっと口を開けた。
田島の言葉を理解するのに数秒かかった。 頭が上手く回らない。

「オレさぁ、三橋の片思いじゃないんじゃねえの?って思ってたから。」
「・・・・・・・・。」
「その後ちょっとしてからかなぁ。 三橋の様子がすっげ変になってさ。」
「・・・・・・・・。」
「もうぜんっぜん。 元気ねーんだ。」
「・・・・・・・・。」
「練習では必死で普通の顔してるけど教室ではもう、全然ダメ。 ゾンビみたい。」
「・・・・・・・・。」
「何かあったのか? て聞いても教えてくんないし。」
「・・・・・・・・。」
「もしかしてオレの無責任な提案のせいかなとか思って。」
「・・・・・・・・・。」
「オレ責任感じちゃってさ。」
「・・・・・・・・・・。」
「阿部が何か知ってたらと思って・・・・・・・阿部?」

ここでようやく田島は阿部の様子がおかしいのに気が付いた。
阿部は開けた口を閉じるのも忘れて、放心したような表情で
田島の顔をまじまじと凝視していた。

「おーい、阿部?」
「・・・・・・・・・。」
「ダイジョブかー」

やにわに、阿部が立ち上がった。 すごい勢いだったんで、田島はびっくりした。

「田島」
「なに」
「三橋って今どこにいる?」
「へ? あー・・・屋上かな・・・あいつ最近昼休みは屋上でぼーっと、 おい阿部?」
「わり、オレ用事できた。」
「は?」
「あ、そうだ。 田島さ。」
「はぁ」
「教えてくれてサンキュ」
「・・・・・・・・・・・頑張れよ!! 阿部!」

あっというまに部室から飛び出していく阿部を見送りながら、
その日初めて田島はいつもの調子で全開で笑った。









○○○○○○

屋上までの階段を全力で駆け上がりながら

これって夢かな?  と阿部は考えた。

何だか足元がふわふわして覚束ないというか変な感じがする。
階段を上っているはずなのに体の重みを感じない。 重力が消滅したような感覚。
現実感が乏しすぎる。

このテの夢はしょっちゅう見るのだ。
自分に都合のいい夢。
見ている間はいいけど、目覚めた後の気分が最悪な夢。

でも夢じゃなくて現実なんだと自分に言い聞かせた。  
多分、じゃなくて間違いなく、現実。

それから、  
あの日の最後まで逃げ出そうとしなかった三橋を思い出した。

続いて、黙って俯いていた三橋の震える手を鮮明に思い出した。

そして

まだ間に合いますように   と願った。   


それから


今度こそ


本音のままに優しくしてやるんだ、三橋がもういいとうんざりするくらい
優しくしてやるんだと、


繰り返し繰り返し思っていた。














                                        失恋(後編) 了

                                        SS-B面TOPへ











                                         タイトルに偽りあり   ですね   m(__)m