失敗と教訓





コンビニの雑誌コーナーに置いてある、
その女の子向け雑誌の表紙の 「特集」 が目に入った時、三橋は
心に引っ掛かるものを覚えながらも、本気で読もうと思ったわけではなかった。

しかし通り過ぎようとした瞬間脳裏を掠めたのは、先週見た阿部の笑顔だった。
阿部が笑うのは決して珍しいことじゃないけど。
それは思わず見惚れるくらいの、柔らかいけど とびきりのもので、
しかもその表情を引き出したのは自分なのだ、と三橋は今さらなことを
未だに信じられないような気持ちで考える。
だらしなく頬が緩む。

(また、見たい な・・・・・・・)

自分の言葉で、あるいは行動で。   もしまたあんな顔をしてもらえるなら。

奇跡みたいなことだ、  と思いながらも、それは奇跡でも何でもなくて
自分の勇気ひとつでまた、見られる、だけでなく自分だけに向けられるのかと、
そう考えた途端に足が前に動かなくなった。
ドキドキと、鼓動が速くなるのを感じながらきょろきょろと辺りを見回すけど誰もいない。
頭の片隅で 「男がこんな雑誌読んでたら変に思われる」 と小さく声がするけど、
それを他人事みたいに流しながら、気がつけばその本を手に取っていた。


『上手なベッドへの誘い方 
 たまには積極的になって彼のハートをがっちりキャッチv』


見るからに恥ずかしい煽りの付いたその特集ページを、
三橋はすごい集中力でもって熟読し始めた。










○○○○○○○

野球雑誌を熱心に読んでいる今がチャンスだ、  とオレは思った。

今日はオレのうちに阿部くんが来ていて、泊まる予定で。
もう夕食もお風呂も済んで、オレの部屋に2人で落ち着いてくつろいでいる状態だ。
もう少ししたらきっと阿部くんは見たいところを読み終える。
そうしたらきっといつものようにいつもの展開になる。
それじゃあダメなんだ。
あの笑顔は見れない。
いつもと違う展開にするんだ。 頑張って。
だって見たい。 見れるかどうかわからないけど、見たい。

と気持ちだけは焦るんだけど口が開かない。 緊張しちゃって。
大体あんな言い方で本当に 「誘っている」 ことになるのかもよくわからない。
立ち読みした特集記事にあった誘い方 「その1・その2・その3」 を頭の中で反芻してみる。
読んだ時は、頑張れば自分でもできそうな気がしたけど。
やっぱりその場になると結構難しい。
多分変に意識しちゃうからダメなんだ、 とは思うけど。

何気なく言えばいいんだ。 普通の感じで。
あ、でも普通の感じで言ったら誘ってることにならないんじゃ・・・・・・・・・・・・

そう気付いて目を瞑って記事の内容を思い出した。 パターンその1の注意事項は。

『震えながら流し目で彼を見ながら言うのがコツです』

・・・・・・・・・できるだろうか。
わざと震えるなんてできそうもない、からとりあえず流し目・・・・・・・・・・
・・・・・て、・・・・・・・どうやるんだろう・・・・・・・・・。

おろおろと考えている間にも時間は過ぎていく。
オレは勇気を振り絞った。

「阿部くん・・・・・・」
「ん」

返事してくれたはいいけど、目は雑誌を見たまま、でこっちを見てくれない。
もういいや、どうせ 「流し目」 なんてできないし。
諦めながらマニュアルどおりに言ってみた。 なるべくか細い声で。

「あの、オレ、・・・・・寒い・・・・・・・・」

すごい勢いで阿部くんは反応した。
がば! と顔を上げて鋭い目でオレをじっと見てそれから。

「だから髪の毛ちゃんと拭けっつってんだろがいつも!!!!」

・・・・・・・・怒られた・・・・・・・・・・・

涙目になったオレの髪を阿部くんはその辺にあったタオルで
乱暴にごしごしと拭いてくれた。

「湯冷めすると風邪ひいたりすんだから」
「・・・・う」
「ちゃんとしないとダメだろーが!!!」

おかしいな・・・・・・・・・・・
全然色っぽい展開にならない。
阿部くんの笑顔どころか、怒らせてしまった。

内心でがっくりしているうちにいつのまにかドライヤーまでかけられて
「これでよし!」 と阿部くんは満足したようにつぶやいた。

「まだ寒いか?」
「え」

反射的にぷるぷると顔を横に振ってしまった。
阿部くんはまた雑誌に戻った。
『これで反応しなかったら小さな声で 「あたためて」 と言ってみましょう』
という記事の内容を思い出したのはその後だった。

しまった・・・・・・・・・・・

でも。 そんな恥ずかしいこと、言えないし、 と自分を慰めた。
諦めて次をやってみることにする。 パターンその2。

『その2のコツは全部脱がないで思わせぶりに半分脱ぐことです。
 肩を少し見せてもいいでしょう』

今度こそ、 と思いながらまたオレは勇気を出した。
その2の 「セリフ」 を言ってみる。

「阿部くん・・・・・・」
「なに?」
「暑い・・・・・・・」
「はぁ??!」

また阿部くんは顔を上げてオレを見てくれた、のでオレは頑張って
パジャマのボタンを、もたもたと1つ外した。
こんな外し方でいいんだろうか。 
何だか違うような気がするけど正直外すだけで精一杯だ。
阿部くんが目を剥いた。

「・・・・・・・・おまえまさか」

・・・・・誘ってるんですケド。

オレはドキドキした。 わかってくれたのかな・・・・・・・・・

「熱あんじゃねーか?!!」
「へ?」

な、何でそうなるんだろう・・・・・・・・とパニックになったオレのほうに
阿部くんはずいっと寄ってくるなり額を付けてきた。  心臓が勝手に飛び跳ねた。

か、顔が近いんですけど!! (当たり前か)

慌てまくっているうちに阿部くんは離れてしまった。 がっかりした。

「熱はねえみたいだな・・・・・・・」
・・・・・・・・ない、よ。
「でも寒かったり暑かったりって風邪の引き始めじゃねーかな」
「え」

全然本のとおりにならない。  
でもそういえば 「その1とその2はいっしょに使ってはいけません」 と書いてあったような。
なんてことを今さら思い出しても遅い。   誘うどころか。

「今日はオレ、帰ったほうがいいかな・・・・・・・・・・・・・いると絶対・・・・・・・・」

小さなつぶやきが聞こえてオレは焦った。
頑張っているのに180度違う方向に向かっているのは何故だろう。
やっぱり慣れないことはするもんじゃない、てことかな・・・・・・・・・

なんてしみじみと悟っている場合じゃなくて!

「か、帰らない、で」
「・・・・・・そう?」
「風邪、じゃないし」
「うーん。 確かに熱はないみたいだけど」
「も、もう暑くない、し」
「・・・・・・本当か?」

疑わしげな阿部くんに必死で頷いてみせた。
頷きながら 「その3」 が頭を掠めた。
どうせまたダメな気がしたけど、一応全部やってみようと、やけくそな気分で考えた。

『潤んだ瞳で物言いたげに彼の目を見つめてみましょう』

潤んではいないだろうけど、じぃっと想いを込めて阿部くんの目を見つめてみた。
阿部くんが 「お」 という顔になってオレを見つめ返してきた。
うっかり逸らしたくなった。  けど、そのまま数秒頑張る。

と、阿部くんが 「は!」 と何かに気付いたような表情になった。 続いて目がきらりと光った。
オレはまたドキドキした。 期待で。
もしかして伝わった、のかも。

「わかった!!」

にへ、 と頬が緩んだ。 やっとわかってくれた。
そう、 オレね、 誘ってたんだよ阿部くん・・・・・・・・・

「おまえ腹減ってんだろ?!」
「へ?」

がっくりと、   オレは床に手をついてしまった。
・・・・・・・・・・どうしてこうなるんだろう・・・・・・・・・・・

うなだれているオレの耳にがさごそと音が聞こえた。 と思ったら。

「ほらこれやる!」

目の前に差し出されたのはポッキーの箱だった。

「オレの食い残しだけど、まだ半分以上あるし、食えよ」

阿部くんは満足そうだ。 オレは箱を受け取った。
別にお腹はすいてない、けど、見たら食べたくなったし。
もう誘うのは諦める、ことにする。
慣れないことするよりポッキー食べるほうが楽しそう。
・・・・・・阿部くんのあの笑顔がまた見たかったけど。

そのことを少し寂しく思いながらもとりあえずポッキーを食べる。
そんなオレを見て阿部くんは安心したように、また雑誌に目を戻した。
よっぽど読みたいんだな、 と思ってから気付いた。
強豪校の特集記事で細かいことがたくさん載っている。 阿部くんの好きそうな記事だ。
きっとどんどん頭の中にインプットしてるんだろうな・・・・・・・・・・・

ぽりぽりと食べながらつられて記事を覗き込んでいたら阿部くんがついと、顔を上げた。

「ほらこれ、ここが面白いぜ?」

指で示しながらオレに雑誌を渡してくれたんでそこを見てみる。
読み始めたところで阿部くんがオレの背中のほうに移動して、後ろからいっしょに覗き込んできた。

「ここさ、去年のセンバツでいい線いった学校なんだ。 覚えてるだろ?」

ぎょっとして、固まった。 言われた内容に驚いた、とかじゃなくて。
阿部くんの息が首筋にかかったからだ。
瞬間ぞくりとして。

体が震えた。

「すごく特徴のある打ち方するヤツがいて」

また震えた。 だけでなく今度は体が小さく跳ねるくらい感じた。
阿部くんにはそんなつもりないのに、と思うと羞恥で顔が熱くなるのがわかった。
背中には阿部くんの温もりがあってダイレクトに体温が伝わってくる。
それだけで瞬く間に全身が熱を帯びる。
きっとさっきからずっと 「誘う」 ことで頭がいっぱいになっていたせいだ。
いくら誘ってもまるで上手くいかなかったのに。
逆にオレのほうがすっかり妙な気分になりつつある。
しかも阿部くんにはそんな下心は全然ないのに。

そう思ったら恥ずかしくてますます全身が火照ってきた。
こんな自分は知られたくない。 
でもさっき体が跳ねちゃったし、
と思うと気が気じゃなくて、もう記事を読むどころじゃない。 
口の中のお菓子だけかろうじて呑みこんでひたすら固まっていたら。

「・・・・・・・・三橋?」

訝しげな声で呼ばれた。 当然だと思う。
阿部くんの言葉になにひとつ反応できてない。
阿部くんは真面目な話をしているのに。
オレは勝手に感じて熱くなってせっかく見せてくれた記事も読めなくて。
1人でどきどきして焦って、何も言えないし何もできない。

涙が出そう。

本当に泣きそうになった時、阿部くんの腕が頭に回って反対側の頬に手を感じたかと思うと、
ぐいっと阿部くんのほうを向かされた。
至近距離に黒いきれいな目があって余計焦った。
逃げたくても阿部くんが片手で頭を抑えているからできない。

「三橋・・・・・・・」
「・・・・・は・・・・・・」
「・・・・・・感じちゃった?」

ぼん! と音がするかと思った。 顔が熱い。
急いで横に振ろうとして。
はたと気付いた。
そもそも、オレは誘おうとしてたくらいなのに。
ここで否定したらいつもと同じになっちゃう。  せめてこれくらいは。
顔を振りたい衝動を抑え付けてオレはまた勇気を出した。 恥ずかしかったけど。

「・・・・・・うん、・・・・・・感じた。」

言った途端、黒い目が大きく見開かれた。 びっくりした。
何で、阿部くんはびっくりするんだろう、 とそのことにびっくりした。

こっそりと慌てていたら でも次に、阿部くんは笑った。
それは派手な笑顔ではなかったけれど。

あの時と同じ、 笑顔だった。

(見れた・・・・・・・・・・・・)

またぼーっと見惚れた。 
柔らかい、深い部分から自然と滲み出るような、そのとびきりの顔に。
しかも、その表情をさせたのがやっぱりまた自分なんだ、 と思ったら。

しみじみと  幸せな気分になった。   


でも。


「誘われたからには」

阿部くんの言葉に我に返った。
阿部くんはまだ笑っているんだけど、笑顔が何だか、少し変わった。 ぎくりとして内心で引いた。
でも同時に不思議に思った。

誘われた??
・・・・・・・・・オレ、今は誘ったわけじゃない、のに。

その疑問とかついさっきのほんわかした気分とかは、次の阿部くんの一言で吹き飛んだ。

「今日はたっぷりサービスしてやるな!!!」
「えっ!!??」

慌てながら、 いきなり気付いた。  オレは。
阿部くんのあの笑顔が見たかったわけで。
いやもちろんしたいけど。 したいのも間違いないけど。
でもそもそも笑顔が見たくて誘っていたわけで、
全部失敗に終わって諦めたところで何故か見れたのはすごく嬉しい。 嬉しいんだけど。
・・・・・・半分くらいはそれだけで満足しちゃっ・・・・・・・・

なんて言えるはずもない。 
もちろんしたい。 だって体が熱いし。 阿部くんとするの好きだし。
でも阿部くんは普通でもいっぱいサービスしてくれるのに、
それが意識して 「たっぷり」 になるとどういうことになるかというと・・・・・・・・・・・・


等々はすべて頭の中だけで瞬時に回ったことで。

満面の (よく見る) 笑顔の阿部くんに、なす術もなく押し倒されながら最後に考えたのは。



もしかしてオレ、いろいろな意味で今日は失敗したんじゃないだろうか・・・・・・・・・・・・・



ということだった。















                                                  失敗と教訓 了

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