もう1つの始まり (後編)





何も言えずにいる三橋を阿部は黙って見つめている。

「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・三橋」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・はっきり言え」
「う・・・・」

阿部の顔は真面目なだけで、やはり怒っているようには見えない。
そのことに勇気づけられて口を開いた。

「あのオレ」
「うん」
「・・・・・・・阿部くんと ちゃんと した い」
「オレもしてーよ」
「じゃあ」
「だから慣らすんだろうが」
「う」

そこが自分にとっては大きな問題なのだ。 
見透かしたように、阿部は続けて言った。 きっぱりした口調だった。

「それがダメならしねーかんな」
「う」

それは困る。 三橋は賢明に打開策を考える。

「あ、 じゃあ」
「うん」
「指じゃなくて、 何か別の物で」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・別の物ってなに」
「えっと」

何だろう? と首を捻って。

「・・・・・・・割り箸 とか?」
「はあああ??!!!」

びくりとして口を閉じたのは阿部の顔も声も一気に険悪になったからだ。
それも結構な勢いで結構な形相になった。

「なんだよそれ」
「・・・・・・・・・。」
「フザけてんじゃ」

低く言いかけた言葉を阿部は唐突に切った。
しばしの間の後、顔がまた戻った。 不機嫌そうな気配は残っていたけれど。

「・・・・・・・・なんで指じゃダメなんだ」
「えっと そ、それは」

悪いから、 と正直に言うと怒られそうな気がしたので。

「恥ずかしい から」
「・・・・・・・・ふーん」

阿部の目がすうっと細くなったかと思うと、ゆっくりした動作で半身を起こして
ベッド脇に置いてあったチューブ式の何かを手に取り、
その中身を指にたっぷり付けた。 嫌な予感がした。
固まって見ているうちにその指は自分の足の間に移動して、
慌てる三橋にお構いなしに問答無用で再び侵入してきた。

「あ、 阿部く・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・。」
「やっ・・・・・・・」
「痛い?」

痛くない、痛くはないのだが。
さっきの自分の提案は一体どこにいってしまったのか。

「ダ  ダメ」
「三橋、おまえに言っときたいんだけど」
「あ」
「痛くてもいいとかアベクンのためとか、そういうのオレは絶対許さねーかんな」
「あ」
「ついでに言うと、『アベクンの迷惑になる』 ってのもナシな」
「あ」

あ、 しか言えないのは指がどんどん奥に入り込むからだ。
言われたことを認識するのが精一杯で、初めての感覚に体が竦む。 
でもそれは別にいいのだ。 体の不快さよりも、襲ってくる罪悪感のほうが遥かに大きい。
その罪悪感こそが、阿部の逆鱗に触れるのは三橋にも薄々わかった。
わかったところで払拭されることもないそれに耐えているうちに、何度目かの予想外が唐突に訪れた。
全くの不意打ちだったせいで、三橋は派手に身を震わせた。

「んっ」

どうしよう  と内心で慌てた。 こんなのは考えていなかった。
隠したい と願っても隠せない。 だって目に見える形でそれはバレる。

「・・・・・・・・気持ちいい?」

阿部の声が掠れている。 阿部のほうは全然いい目に合ってないのに。

(興奮、しているのかなぁ・・・・・・・・)

霞んだ頭にそんなことがよぎる。
返事をしなきゃと思うものの何も言えない。 そんな余裕がない。
でも阿部はそれ以上聞き直すことはせずに、一度指を抜いてからまた液体を足して入れてきた。

「あ、  ふぁ」

勝手に漏れる声が恥ずかしくて口を押さえた。
指が体の奥で蠢いているのを感じる。
当たると体が跳ねるくらい感じる場所がある、ことを
隠したくて堪らないのに、まもなく指はそこだけを集中して探り始めた。
どうして、 なんて考えるまでもなくわかる。  阿部はじっと自分を見ている。
顔だけでなく全身を見ているから、多分あれもこれも全部バレてる。
いくら声を我慢しても顔を背けてもきっと全部。

こんな展開はまるで考えてなかった、という焦りも次第にどうでも良くなってくる。
阿部の指に神経が集中してしまって、まともな思考ができない。 
おかしくなりそうな自分を自覚して、薄くなっていく僅かな理性にしがみついて
ひたすら耐えていると指が増やされた。 
口を覆う手を片手から両手に増やして、さらに耐える。
我慢するのは覚悟のうえだったけど、我慢の内容が予定と全然違う。 こんなはずじゃなかった。

だから永遠とも思えた長い時間の後指が出て行って、
それとは比べ物にならない質量が押し付けられた時、三橋はむしろホっとした。 
ようやく予想の範囲内に戻ってきた。

「・・・・・・いれていい? 三橋」
「うん」
「ゆっくり息吐いて、力抜いて・・・・・・・」

言われたとおりに努めて体の力を抜きながら
薄目を開けてみれば阿部は不思議な目をしていた。 初めて見るような目に
少しとまどったものの、深く考えずに三橋は目を閉じて待った。 幸福だった。

その瞬間に思ったことは  熱い  だったけれど。
圧迫感は想像以上なのに、覚悟したような痛みは思っていたよりずっと少なくて。

「・・・・・・・あ」
「三橋」
「ん」
「・・・・・・・・大丈夫、か?」
「だ、だいじょぶ」

などころじゃない。  どうしよう、 とまた思った。 またしても予想が外れた。
こっそりと慌てているうちに阿部が動き出して、目蓋の裏が白くなる。

(こ、こんな、はずじゃ・・・・・・)

そう焦るのももう何度目だろう。 もちろん痛みも間違いなくあるのだが。
それよりも快感のほうが強い。
入れられてイけるなんて思ってなかった。 自分が信じられない。
次第に激しくなる阿部の動きに体が煽られる。 
初めてなのにまさかと、どこかでストップがかかるのに
そんな理性は本能の前にあっけなく流された。
無我夢中で背中にしがみつきながら昇り詰めようと、腰が勝手に動き出すのを止められない。
自身の先端部分が動く阿部の腹に擦られて、それが快感に拍車をかける。

「ふ、 あ・・・・・・・」

我慢する術もなく達した瞬間 信じられない、 とまた掠めた。
直後に阿部が小さく呻くのが耳元で聞こえた。

「そんな、締めんな・・・・・・・」
「へ・・・・・・・・」

締めてるつもりは、ない。
と心だけでつぶやきながら、その声に聞き惚れる。
苦しそうなのに色っぽくて、初めて聞くような声音だった。
きっと他に誰も聞いたことがない、と思うとそれだけでぞくぞくする。 嬉しくて嬉しくて堪らない。

けれど間もなく阿部が放ったのがわかった時、三橋は嬉しいよりも安堵した。
阿部が自分の体でイけたことに何より安心した。
役に立てた、 という感慨が近い。
最も不安だったのは、阿部がイけなかったらどうしよう、ということだった。
そうなるくらいだったら、しないほうがマシだとまで思い詰めた。

(良かった・・・・・・・・・・)

とりあえず最大の心配事が消えたことに心底からホっとしながら
耳に当たる荒い息が心地よくてぼうっとしていると、吐息混じりのつぶやきが聞こえた。

「・・・・・・・・良かった・・・・・」
「・・・・・・・へ?」

心を読まれたのかと一瞬混乱した。 そんなわけない、と浮かぶものの
霧がかかったように思考が散漫なのは、まだ快感の余韻を引き摺っているせいだ。
はーっと息を吐きながら阿部が出て行ったので、少し頭がはっきりする。
身を起こした阿部は三橋の顔を見て、照れたように笑った。

「・・・・や、ちゃんとできて良かったと思って」
「え・・・・・・・」
「全然自信なかったから」

びっくりした。 阿部が自信がないなんて。 自分じゃあるまいし。
ぽかんとしているとさらに阿部は言った。

「なんか、余裕なくてごめんな」
「・・・・・・?」
「・・・・・・・・早くしたくて焦った、かもオレ」

また呆けた。 良かった、だの ごめん、だの 焦った、だのは自分こそが言いたいことだった。 
上手く言える自信などなかったけど、三橋は体を起こして阿部と向き合った。
一番言いたいことは。

「あの、ありがとう・・・・・・」
「え・・・・・・・」
「い、いろいろ、オレばっかしてもらって」

照れたような柔らかい顔が一転して眉間に小さなシワが現れた。 
怯みながらも、どうしても最後まで言いたい、伝えたい。

「オレ、す すごく 幸せ、だ! ありがとう、阿部くん」
「・・・・・・おまえ」

言いかけて、阿部は口を閉じた。 それから難しい顔で何かを考え始めた。
三橋は不安になった。 何を考えているんだろう。
眉間のシワは消えたから、怒ってるわけじゃなさそうだけど。
御礼を言ったのはマズかったんだろうか。

「よし決めた」
「へ?」
「あ、その前に オレもありがとう」
「へっ」
「・・・・・・・すげー嬉しい」

阿部が嬉しそうなので三橋も嬉しくなる。 もっと喜んで欲しくて言ってみる。

「あの、こ、今度はね、オレもその、 くくく口とかでも」

最後まで言えなかったのは羞恥のあまり口ごもったせいもあるけど、
途中で阿部にさえぎられたからだ。 

「いい」
「え」
「しばらくいい」
「え・・・・・・・・・なん で」

自分にされるのはイヤなんだろうか、あるいはしばらくしない、ということかもしれない。
何かはわからないが、がっかりさせたのかもしれない、  と目の前が暗くなったところで。

「今オレ、決めたんだ」
「・・・・? なにを・・・・・?」
「おまえを徹底的に甘やかすことにした。 しばらくは」
「へ」

よくわからなくて三橋はきょとんとした。 
今だって充分優しくしてもらっている。
今日だって予想外の連続だった。 これ以上幸せになったらバチが当たる。

「とにかくオレにできる限りは甘やかすからな!」
「あ、あのでも・・・・・・・・今だってそう、じゃない、か」
「今以上に、 て意味」
「え、 あのそんな」
「だっておまえ、それが全然普通になんねーじゃんよ!!」

あ、 と三橋は固まった。  阿部の顔は憮然としていた。

「おまえにとってそれが当たり前になるまでそうするかんな!」

バレていた、 とそれで三橋は悟った。 阿部にはわかっている。
「当たり前じゃない」、それは図星だった。
そのことで怒らせた記憶はまだ新しいし、自分だって頭ではわかっている。
気持ちを新たにする努力だってするつもりだ。  阿部がそう望むのなら。

ただ身に染み付いた考え方が、もはや体質に近いくらい根強いことを、
自分自身よりももしかしたら阿部のほうがよくわかっているんじゃないだろうか。
でもそれで怒られるならともかく、そう来るとは予想だにしていなかった。

三橋がぽかんと半ば呆けているうちに、阿部は再び口を開いた。
告げられたことは三橋にとってはさらに信じられないもので、今日一番の予想外となった。

「んでとりあえずさ、いっしょに暮らさねえ?」


そんなこと、できるわけない


というのが咄嗟に浮かんだことだったけど。

「言っとくけど長期戦覚悟だかんな」 

内心を見透かしたかのように阿部はそう付け加えてから 
「おまえも覚悟しろよ?」 と言って、今度は笑った。
その笑顔はとても懐かしい見慣れたもので、三橋はふいに思いだした。
高校時代に阿部がその表情で宣言したことは、いつの時も現実にするべく真摯に努力してくれた。 
中には叶わなかったものもあるけど、口先だけのその場限りだったことは一度もない。
では本気で言っているのか、 と掠めるものの信じられない。  驚き過ぎて上手く頭が回らない。

放心しながらまじまじと見つめていると、その目がイタズラっぽく笑んだ。
伸びてくる手が目の端に映って、あっ と気付いた時にはもう胸に抱き込まれていた。
その力の強さにうっとりしているうちに手が動き出した。
さっきと違って遠慮のない動きに、三橋の理性は瞬く間に薄くなる。

「今日はもう入れないけど」
「はっ・・・・・・・」
「気持ちイイとこ、教えて?」

全部、 と浮かんだ言葉も言えないくらいに感じる。 簡単に翻弄される。
2度も解放したのに、もう熱くなっていく。
もしかしたら自分は普通よりも淫乱なんじゃないだろうか。

「ちゃんと、イかせてやっから」

耳元で囁かれた刺激にすら体が反応する。
続いて強引に押し倒されて震えるほどの歓喜が湧いたのも確かなのに、
同時に性懲りもなく湧き上がるものを三橋は無視できない。
なので流されそうになる体を必死で押し留めて、抵抗を試みた。

「あの、でも それじゃあ、その・・・・・・」
「悪い、とか言ったら怒るぞ」

先に言われてしまって、口を閉じた。
見れば阿部の顔は真剣そのものだった。
揺るぎない光が見え隠れする、大好きなその目。


きっと、阿部は実行するのだろう。 言ったことを全部。
それくらいはわかる。 3年間阿部だけを見てきたのだ。


三橋は目を瞑った。 それから

熱い手に身を委ねながら、残っていた理性をそっくり手放した。
















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