数日後







今年の初ノロケを聞かされるんだろうなというのは、
予想を通り越してもはや確信事項だったから、ぐったりしたわけでは決してない。
とはいうものの、阿部の露骨な輝き具合にどん引きしていたのも事実なので、
ああそうそれは良かったな、 と返した言葉は棒読み口調になってしまった。

でもそんなことを阿部が気にするわけがない、 
と知っているから花井のほうも気にしない。 
実際気を悪くした様子もない阿部の表情は先刻からずっと 感無量、
といった風情である。  蕩けていると言っても過言ではない。  
余程嬉しかったのだろう。
幸せそうなのは良いことだと、喜んでやる気持ちも嘘ではない。
それにしても、 と花井は素朴な疑問を口にした。

「それってさ、そんなに珍しいことなわけ?」
「滅多にない」
「ふぅん・・・・・・・・」
「そりゃ全然ないってわけじゃないけどさ、
あいつって余程のことでもない限りタガが外れねーから」
「ふーん」

それでは全くの初めてというわけでもないのだろう。
タガが外れるような余程のこととは何だ、などとは聞かずに
シンプルな合の手だけにしておいた。

「特に何もなくても、それなりになる時もあるけどさ」
「・・・・・・・・・。」
「なかなかそこまで至ってくれないわけ」
「はあ」
「それこそ酒の力でも借りたい、てのは前から思ってたんだ」
「まあ手っ取り早いよな」
「でもあんなに正直になってくれるとは思わなかった」

その遠い目をやめろ、と言う代わりに自分の杯を飲み干した。

「それ」 とか 「そこ」 とか 「あんなに」 とか曖昧な指示代名詞が多い日本語はともかく、
明らかに反芻しているような顔はいただけない。
もっとも、惚気ながらも際どい詳細については一切語らない辺りは、
阿部なりにちゃんと気遣いを働かせていることはわかっている。 
それはもちろん自分に対してだけじゃなく、三橋への気遣いがメインなわけだけど
花井にとっても充分有り難いから文句はない。

今日誘ったのは花井のほうだ。 
特に大した用事もなく近所の店に繰り出すのは珍しいことでもない。 
阿部が応じる時は、何らかの理由で三橋が不在の夜だと知っているし、
そういう日に阿部から誘ってくることもある。
頻度は少ないけれど、たまに会って意味もないような四方山話をするのは、
花井にとって結構楽しい時間なのだ。
お互いに晴れて飲める年になってからは、主に居酒屋になったわけだが
気のおけない友人との酒は、いい気晴らしの1つになっている。

会えば当然 「三橋は元気か?」 と聞くし、
それをきっかけに始まるノロケかグチの必須オプションだって、
今やどうということもない。 慣れているからだ。
それを思うと 何だかんだで長い付き合いだなと、ふと感慨を覚えた。
花井の感慨とは全く別の感慨に浸っているらしい阿部は、さらに続けた。

「しかもさ、聞いてくれよ花井!」
「聞いてるよ」
「そん時あいつ、オレのことを、自分のだっつったんだ」
「・・・・・・はあ?」

本気で不審気な声が出てしまったのは、何を今さらと思ったからだ。
しかし阿部は、声音を別の意味に解釈したらしい。

「ほんとに言ったんだよ。 『オレのもんだ』 って」
「・・・・・・・・・当たり前だろ」

また怪訝そうな調子になってしまった。 だってどう考えても今さらだ。
高校時代から三橋の阿部への執着は顕著だった。
表向きは 「捕手」 に対してだったし、それも真実だろうが
内情を知っている花井には、三橋の別の意味での独占欲なんて丸見えだった。
あれから何年経っているのだ。
三橋の口下手は知っているが、いっしょに暮らし始めてから数年経った今になって
そこまで感激するほどのことなのか。

と呆れながら阿部を見れば、うっすらと涙ぐんでいて
ぎょっとして箸を取り落としそうになった。

「・・・・・・・・阿部、酔ってる?」
「酔ってねーよ」
「・・・・・・こんなとこで泣くなよ恥ずかしいな」
「泣いてねぇ」
「・・・・・・・そんなに嬉しかったんだ?」
「だって初めて言ってもらえたんだ」
「へえ・・・・・・・・・・・」

正直驚いた。 
三橋は本来我の強い人間だと思うからだ。
阿部との関係に対する頑固な引け目みたいなものは
在学中にも聞いたグチなので納得もあるけれど、その後の年月を思えば
阿部の感激がいっそ哀れになった。
先刻からの様子も無理からぬ、と同情が湧いたので。

「まあなあ、三橋だから仕方ないけど、おまえも結構かわいそうだよな」
「でもそういうとこも好きなんだ」

ああそうですか。

そうでしたね、と脱力したものの別に呆れたりはしない。
長い付き合いだもんな、とまた思ってから苦笑してしまう。

「あーオレ、マジ嬉しい」
「良かったな」
「酒の力ってすげーな」
「オレは三橋の自制のがすげーと思うよ」
「でもそういうところも」
「それはもうわかった」
「酔った三橋なんて何年ぶりかってくらい久し振りでさー」

またしても遠い目になった阿部のつぶやきに、ここで花井は引っ掛かった。
若干聞き捨てならない部分があったような。

「何年ぶり・・・・・?」
「えーと、たしか」
「じゃなくて! まさかそれって高校ん時」

あ、 という顔を阿部はした。 しまった、と書いてある。

「あー、家でちょっとだけだよ。」
「・・・・・・おまえなあ・・・・・・」
「店とかじゃなかったし」
「ったりまえだ! ヤバいだろーが!」
「悪かったって。 でもそれ一回きりだから」
「はあ・・・・・・・・」
「それにもう済んだことじゃん」
「まあそうだけど」

確かにすでに過去のことなので、今さら本気で怒る気分にもなれない。

「でもあいつ、そん時のこと覚えてねーんだよな」
「え?」
「飲みすぎて記憶がないってやつ」
「・・・・・・・今回も覚えてないんじゃねーの?」
「いや多分それはない」
「何でわかんだよ」
「起きた時の顔がすごかった」
「あー・・・・・・・・・ははは」
「それに、飲ませ過ぎないように気ぃつけたもんオレ」
「おまえらしいな」
「本当はもっと早くに機会作りたかったんだけどなあ」

その言葉に、先刻から不思議に思っていたことを聞く気になった。
卒業してから随分経つのに。

「おまえらってさ、その高校の時を除いて
今までいっしょに飲むことって全然なかったのかよ?」
「実質ない」
「へえぇ・・・・・・・・」
「だって断られてたんだ」
「へ?」
「三橋は酔うことにすんげー警戒してたから」

何で、 と聞きそうになってから呑み込んだ。
不用意に突っ込んだ質問はしないが無難、という身についた習性だけでなく、
今日の話から過去にあったことも大体想像がついたからだ。

「だからオレも同じ轍は踏まねーんだ」
「はーん」
「だって苦節何年かってくらい待ったんだぜ?」
「お疲れさん」
「以前の学習を活かして、夜のことは全部忘れたんだ」
「覚えてんじゃん」
「忘れたことにしたんだよ。 三橋には」
「ははあ・・・・・・」
「そうしとけばまた次の機会も作れるからな!」
「なるほど」
「目先の小さな楽しみよりも先々の大きな幸福」
「正論だな」
「そのうちに免疫ができて、いろいろと普通になるかもだし」
「なることを祈っててやるよ」
「ならなくても別にいいんだけどな」

阿部はいかにも楽しそうだ。
捕手には欠かせない阿部の計算高い面は、こと三橋に関してだけは
空振りまくっていたものだが、今回は有効活用できたのも嬉しいのだろう。
本領発揮といったところだ。
非常に瑣末なことと花井には思えるが、阿部にとっては重要なのだろうとは
容易にわかる。 だって何しろ。

「・・・・・・おまえって、ほんっとにベタ惚れだよなあ」
「悪いかよ」

予想通りの切り返しに頬が緩んだ。
時には脱力したりもするけれど、昔は引いていたその迷いのない姿勢が
今の花井には実は嬉しくもあるのだ。 
変わらないものなどない世の中で、変わらぬ気持ちを当たり前のように持ち続ける友人に
どこかで救われているのかもしれない。 
同性であるがゆえの苦労だって、言わないだけでないはずはないだろうことを思えば
奇跡のようだ。
人の心の移ろいやすさを見るたびに、こっそりと阿部と、
そして三橋を思い出していることは本人たちには内緒だが。

「まあ、頑張れよ」
「それにオレ、今年は目標を決めたんだ」
「・・・・・・どんな?」

一拍逡巡したものの、聞いてみる。

「オレってどうも、一言多いことがよくあるみたいだから」
「あー・・・・・」
「それもあんじゃねーかと思うんだ。 あいつの恥ずかしがりには」
「かもな」
「だから今年は余計なことは言わねーんだ」
「ふーん」
「沈黙は金というか、言わぬが花というか」
「オレにはべらべら言ってんじゃねーかよ」
「対三橋限定で」

ああそうですか。
愚かな突っ込みだったと自嘲してから、少しだけ逆襲する。

「オレの永遠の座右の銘は 『言っても無駄』 だよ」

なんだそりゃ、 と阿部は上機嫌で笑った。
こと三橋に振り回されるおまえに対してだけな、 というのは言わぬが花だ。

心の中だけでそう付け加えてから
今年も平和な年になりそうだと、花井も笑ったのである。













                                           言わぬが花 了

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                                                  もはや達観の域すら超えたらしい花井くん。