愛しい愛しいと溢れる心





傷つけたくないと思った。
それが最低限事項で、できれば気持ち良くさせてやりたかった。
さらに言えば、我を忘れるくらいに感じさせたい、

というのは男としては当然の欲だと思うわけだが、現実はその前に壁がある。

「ちゃんとできんのかなオレ・・・・・・・」

無意識に出たつぶやきに、ああ情けないと阿部はため息をついた。
でも現実的な問題として女性とも経験がないのに
同性とすんなりできるとは到底思えなかった。
ダメだった場合の保険に最初に確実にイかせてやろうと
具体的なことまで考えたのは、半分は「性分」というやつだろう。
自分が執着していることに対しては、完璧主義の傾向があるのだ。
ただでさえ負担が大きそうだから、それ以外ではせめて
気持ちいいばかりにしてやりたい。

もし三橋が望むなら自分が下でもいい、とまで真剣に考えた。
ただし向こうが言い出さない限り自分から提案するのはやめようと
ちゃっかり決めたのは、本能に基づく正直な欲求と願望のせいだったけど、
欲求が強いからといって上手くいくという保証はどこにもないのだ。

そもそもの不安に舞い戻った阿部は、尚も悶々と考えた。

救いなのは失敗してもそのせいでダメになることはないだろう という確信と、
ある意味緊張のない相手である、という点だった。
なぜなら慣れ親しんだ相手だからだ。
それこそ、性に関すること以外はほとんどすべてを曝け出した相棒なのだ。
三橋相手に今さら必要以上にかっこつけたいとも思わない。
上手くできるに越したことはないけれど、ダメでもゆっくりとでも
2人で頑張っていけばいいのだ。
そう思えるのは3年という年月が培ったものだと考えると
遅すぎた自覚にも良い点もある、と阿部は少し救われる。

つまり阿部が心底懸念しているのは主に一点だった。
なので己に固く言い聞かせた。

傷を付けないこと。
もし少しでも嫌がる素振りがあったら無理強いしないこと。

途中でやめるなんてできるのか、と不安を覚えてから
見慣れた姿を脳裏に描いて、それはきっと大丈夫と根拠付きで思った。
何しろ3年間自分の体よりも気遣ってきた大事な体なのだ。
もはや本能にも近いそれが、そうそう簡単に消し飛ぶとは思えない。
たとえ人間の三大欲望の1つであろうと、阿部には自信があった。
むしろ大事過ぎてできないんじゃないかと逆の心配すら湧いた。

結果的にはそれは全くの杞憂に終わったが、
それくらい、三橋の体は阿部にとって大切なものだったのだ。











だから呆然とした。 聞き違えたかと一瞬耳を疑った。
言うに事欠いて割り箸とはひど過ぎる。
自分の体をないがしろにしているとも取れる言葉に
それまでの夢心地が吹き飛ぶ程度の怒りだって湧いた。

「フザけてんじゃ」

勢いに任せてそこまで言ったところで、ふいに理性が戻った。 後半を呑み込んだ。

ふざけてなどいない。
三橋は本気でそう言っているのだ。
本気で痛くてもいいと思い、それどころか申し訳なく思っているのは明白だ。
そういう奴だから、というのはイヤというほど知っていた。
申し訳なく思わなければならないのは、むしろ自分のほうなのに。

急速に怒りが薄れて、それから悲しくなった。

半分は三橋の性格だろうけど、半分は自分のせいだとも感じる。
どうすれば、この頑固な引け目をなくすことができるのか。
三橋の提案はきれいさっぱり無視してコトを進めながら阿部は悩んで、とりあえず。

「三橋、おまえに言っときたいんだけど」

前置きしてからあれこれと言って聞かせながらも、
言葉ではダメなんだろうな、ともどこかでわかっていた。
そもそもこの状況下ではまともに聞いているのかも疑わしい。

という判断も手伝って、まもなくそれらの思考だの悩みだのはどこぞに飛んでしまった。
それどころじゃなくなったからだ。
目の前の体と、その反応の艶めかしさに夢中になった。
最初からそうだったけど、それ以上だ。
三橋は気付いてないようだけど、初めての行為にテンパっているのは
阿部とて同じで、余計なことまでじっくり考えられるほどの余裕などない。
それでも己に課した決め事が吹き飛ぶことはなかったけれど。

焦るな、 と何度言い聞かせたかわからない。
やっともう大丈夫と思えてから、入れていいかと律儀に確認した時は
我慢も限界だと逸る気持ちを懸命に抑え付けていた。
そのくせ、いざ承諾が返ってきたら俄かに緊張すると同時に、今さら複雑になった。

「ゆっくり息吐いて、力抜いて・・・・・・・」

指示してやりながらも阿部は密かに葛藤した。
抱いてしまえば、何かが確実に変わるんじゃないだろうか。 良くも悪くも。
たかが体のこと、とは阿部には思えない。
一線を超える覚悟は自分はとうにできているけれど、
三橋にとって本当にいいのか、という逡巡がないと言えば嘘になる。
ましてや女性の役をやらせようとしているのだから、尚更だ。
この行為が三橋の負担にならないとは思えない。

それでも欲しいと願う気持ちはどう引っくり返しても揺るがなくて、
しかも当の本人だって望んでくれている事実に抗うことなど不可能だ。
葛藤だの恐れだの迷いだのは、結局一瞬で霧散してしまった。 
腰を抱えながら 三橋、と心で呼びかけた。 音にはできなかったけれど。

一生、 大事にするから。

浮かんだ大仰なセリフに、オレは案外ロマンチストなんだなと自分で茶化した。
けど本音だった。 それが可能かなんぞ、どうでも良かった。
それを最後に頭が白くなった。



何も考えられない。
予想を遥かに上回る快感に翻弄される。
三橋の表情と声にも煽られる。 引き摺られる。
否も応もなく、全部持っていかれる感覚に眩暈がした。
そしてそれ以上に、奥底から湧き上がる感情とそれの強さに、
自分のことながら阿部は驚いて、でも噛み締めた。 それしかできなかった。


無我夢中で終えてみれば、三橋がちゃんと解放できたことに何よりまず安堵して。

「・・・・・・・・良かった・・・・・」

正直に吐露しながら、阿部はふいに胸が詰まった。
何にかというのはわからない。
冗談抜きで一生手放せそうもない。
三橋の様子も自分の心境も行為そのものもすべてが想像を超えていて、
体の満足だけではない何かが確かにあった、 と思えたので。

(愛を確かめる、てほんとだな・・・・・・・・)

そんなオトメなことまでこっそりと大真面目に考えた。 
口に出しては死んでも言えそうにないけど、本気でそう思った。 幸福だった。
甘やかな空気は高校時代にはなかったもので、酔っているのを自覚して
気恥ずかしさを感じてから、もう恋人なんだからそれでいいんだ、
とじんと浸ったところまでは平和だった。

しかしそれだけで終わらないのが、三橋の三橋たる所以である。

「い、いろいろ、オレばっかしてもらって」

その一言で、ほのぼのとした甘い気分がもやっとした何かに取って代わった。
引っ掛かりを覚えたのは 「してあげた」 つもりはなかったからだ。
「オレばっかり」 というのも気に食わない。
三橋にはおそらく深い考えはないのだろうし、
言葉尻を捉える という類のことかもしれないとわかりつつ、大前提にズレを感じる。
もやもやした感情の正体はすぐにわかった。 寂しいのだ。

(・・・・・・前言撤回)

体を繋げれば全てわかるなんて幻想だ。
三橋は全然わかってない。
先日部屋に行った時にも感じたもどかしさが蘇る。
頭ではわかっているのだろうけど、きっと本当の意味ではわかってない。

砂糖菓子のような甘い酔いが一転、妙な闘志がふつふつと湧き上がった。
嘗めんなよ、とさえ思った。 そして阿部は新たな決意をした。
何年かかろうが絶対に。

(思い知らせてやる・・・・・・・・!)

三橋が頑固なら自分はそれ以上に粘ればいいのだ。
しつこさには自信がある。
諦め続けてきたせいで身に付いてしまった習性を、いつか必ず消し去ってみせる。

頑張ろう、と密かに燃えてから阿部はふと気付いて、内心で笑った。
頑張る必要など全くない。
その努力は自分にとっては「努力」ではないから簡単なことだ。
己の気持ちに忠実に行動すればいいだけの話だ。 

決めたらすっきりして三橋にもきちんと決意表明をした。
丸い目がもっと丸くなるのを眺めながら、最後の仕上げとばかりに提案する。
軽く聞こえるように意識したけれど、その場で思いついたことでは決してなく
三橋の部屋に行った時からずっと考えていた。

「んでとりあえずさ、いっしょに暮らさねえ?」

三橋の顔がいっそう面白いものになった。 無理、とありありと書いてある。
元より 「はいそうですか」 という返事など期待してなかった。
同居に漕ぎ付けるまでまたすったもんだあるのだろうし、時間もかかるかもしれないけど。

「言っとくけど長期戦覚悟だかんな」 

鳩が豆鉄砲を食らったような顔に、ダメ押しをする。

「おまえも覚悟しろよ?」

全部宣言し終えてから、阿部は3度笑った。
最初は覚悟を知らしめたくて、意識して笑った。
2度目は、三橋の顔が面白くてそれが愛しくて、笑った。
3度目の笑いはきっと人の悪いものになったなと自分で思った。
ついでに言えば2度目のはきっと三橋はわかってないだろう。
けど 手始めに、と思いついたことをやめる気もさらさらなく
目の前の体を引き寄せて、心のままに思い切り抱き締めた。

もっと触れたい。 感じさせてやりたい。
拙い愛撫だったと思うのに、ちゃんと応えてくれた。
切な気に身を捩った姿は扇情的で、それも想像以上の1つだった。 
また見たい。 もっと乱れさせたくて堪らない。 でもただし。

「今日はもう入れないけど」

その理由は阿部にとっては当たり前のことだった。
思っていたより上手くできた、とはいえ
初めてで慣れていない体にこれ以上の負担をかける気はない。
自分への戒めも込めて告げてから張り切って押し倒せば、
三橋の顔にまたしても後ろ向きな影がよぎった。
見逃さなかったのは、予想していたからだ。

「悪い、とか言ったら怒るぞ」

何を思ったか丸分かりな顔を見下ろしながら、先回りして遠慮を封じてやると、
驚いたような目がまっすぐに自分を見た、直後にそれは起こった。

初めて、三橋の表情が変わった。

僅かな変化だったけど、今までとは違う何かが目に宿った。
すぐに閉じられて見えなくなったそれを、阿部は確かに見た。

それでホッとした。 嬉しくもなった。
決意したこと、告げたことの本気はきっと伝わっている。
この先どんなにイライラしようがもどかしかろうが、
虚しい空回りにだけはならないだろう。 それだけで今は充分だ。

手に触れる感触も相まって、阿部はすっかり満ち足りた心地になった。
気持ちのまま素直に行動できるのが嬉しい。 
奥底から溢れてどうしようもない感情を我慢しなくていい、ばかりか
受け入れてもらえるのは何て幸福なことだろう。


指先から想いが伝わればいいのにと願う。 
愛しい愛しいと溢れるこの気持ちが、
三橋にとって当たり前になる日を思い描くのは楽しい。
遅くても早くても構わないのだ。
だって三橋に勝ち目などないのだから。


新しい関係を目指して2人で作っていく時間は、まだ始まったばかりなのだ。

















                                      愛しい愛しいと溢れる心 了

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