全力で恋してる





いわゆるホワイトデーのその朝、花井が部室に入ると先客が1人いた。 阿部だった。
阿部は花井を待っていたかのように挨拶もそこそこに話しかけてきた。

「昨日三橋、おまえんちに行ったんだって?」

鬼みたいだな、 と花井はその時一瞬だけ思った。
何がというと、阿部の顔である。

恋とは人を菩薩にも鬼にもするものだな、などと詩人よろしく考えて
そんな自分に苦笑しそうになったのを堪えた。 
阿部の目を正面からちゃんと見たからだ。
押し殺した声で、次に阿部は言った。

「・・・・・何の用で行ったわけ? あいつ」

つまり阿部が知っているのは昨日三橋が花井の家に行った、という事実だけなのだろう。
田島あたりから聞いたのか。
その理由がさっぱりわからないがために、余計なことを数多ぐるぐると考えたに違いない。
本人に聞くこともできずに、もしかしたら一晩中。

にも拘わらず、いきなり詰問口調で怒鳴ったりせずに
懸命に抑えているところは評価してやらねばならないと思う。
残念ながら最初の質問の時点で、すでに隠しようもない諸々の感情が
滲み出てしまっていたわけだが、おそらく本人は自覚していない。

阿部の顔を見ながら、花井は昨日のことを思い出していた。


一週間前から頼み込まれて妹たちに手伝わされたのは
「バレンタインのお返しの菓子作り」 だ。

なぜホワイトデーに女の子が、という発想は今はもう古いらしい。
友チョコなるものが流行っていて、
2月に自分があげなかった友人から貰ってしまった場合には3月に返す、
というのが今の 「常識」 とはクラスメートの女子の弁である。
昨日立ち話しした折に 「今日帰ったら手伝わなきゃならなくてさあ」 とぼやいてから
「何でホワイトデーに」 と続けたら、そう教えてくれたのだ。

その会話をした場所が廊下だったのはたまたまで
その時に三橋がそばにいたのはもっとたまたまだった。

「え、花井くん、じゃあ今日 作るんだ」

聞いているだけと思った三橋が突然目を輝かせて口を挟んだだけでも意外だったのに。

「オレ、も! て、手伝っていい、ですか?」

続けて三橋らしからぬ意気込みで言ったもんだから、花井は内心で驚いた。
とまどいつつも感慨を持って承諾してやると三橋は嬉しそうに笑い、
そして本当に手伝いに来た。
不器用ながらも一生懸命にやってくれたのも本当だ。
真の意味での 「手伝い」 になったかどうかはともかくとして。

その途中で 「オレ、のも1個作っていいです か?」 と聞かれた時、
花井は咄嗟に 「三橋が食べる分」 と解釈して、直後に違うと気付いた。
ああそうか、 とそこで正しく理解した。  
三橋の顔にありありと書いてあったからだ。 
わかってしまえば実に簡単なことだった。
自分の家に来たい、と言うのは三橋にとっては簡単なことではなかったはずだが
それをした理由も、つまりはそういうことなのだろう。

花井は快諾し、三橋は遠慮しいしい、でもいそいそと己の分を確保して
妹たちに混じってオーブンの前できらきらと目を輝かせながら待ち、
焼き上がったその小ぶりのケーキを崩れないように大事そうに箱に詰めて
その箱をまた大事に大事に胸に抱えて、何度も御礼を言ってから辞したのだ。


という顛末を説明してやれば事は一発で解決する。 
電光石火で阿部の顔は晴れるだろう。 
晴れるを通り越して嬉し泣きするかもしれない。
そう承知しながら、花井は簡潔に返事をした。

「・・・・・・・もうすぐわかるよ。 今日中に」

それだけに留めたのは決して意地悪じゃない。
どうやらサプライズを狙ったらしい三橋への気遣いと、
阿部とてそのほうが喜びも倍増するだろうと考えたからだ。
花井の曖昧な返答に当然阿部は不満気な顔をしたけれど、
それ以上形相が悪化することもなかったのは何かを察したのかもしれない。
痛いほどの阿部の視線を感じながら、花井は無言で着替えを終えてさっさと部室を出た。


放課後には、 とグラウンドに向かいながら花井は考えた。
阿部の顔は見事に一変していることだろう。
そして自分に対しては気まずげな表情をして、それでもきちんと謝ってくるのだろう。

先刻の阿部の顔が蘇る。
早とちりのうえ、必死過ぎるその様を笑うことは花井にはできない。
怒りだけでなく、焦り、不安、心配、苦悩、自己嫌悪などの様々な感情が
ぎゅっと凝縮したような目を見て笑えるヤツがいたら、そいつは恋をしたことがないのだ。

花井は次に、昨日の三橋を思い出した。 
一生懸命に作りながら、顔だけでなくて全身が輝いていた。
それはきっと三橋が純粋に阿部を喜ばせたい一心でやっていたことだからだ。
先月三橋のために特大のケーキを作った阿部も、
その時同じように輝いていたに違いない。

好き過ぎるあまりに暴走しては笑われることも多い男だが。
それに呆れたり脱力したりだのの被害は、自分だってしばしば被るのだけど。

(きれい、だよな・・・・・・・・)

ふとそんな言葉が浮かんだ。 素直な思いだった。 
適切ではないかもしれないが、そう思う。 2人ともに純粋で綺麗だ。
打算や思惑がないせいかもしれない。
時には苦しみを伴う感情と知っていても、
それだけの相手に出会えたことに羨望も感じる。 感動すら覚える。

(あいつ、どんな顔して受け取るんだろう・・・・・・・・)

ホワイトデーの今日、三橋の気持ちはきっと阿部に届くだろう。
三橋の性格を考えれば、誰もいないところで渡すだろうから
それを見られないことが少し残念な気もするが、
阿部のその瞬間の顔は三橋だけのものなのだ。

再び、阿部の目を思い出してから、

全力で恋をしている友人の、一転した幸せそうな顔が見られるであろう放課後を、
花井はどこかで待ち遠しく思った。













                                          全力で恋してる 了

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