約束





オレはしばらく前から考えていることがあった。
年が明けた頃から。

なぜかというとその頃から、阿部くんの様子が変わったから。
変わったといっても冷たくなったとか、そういうことじゃ全然ないし
目立ったものでもなかったけど。
だから変化は本当に、少しだけだったんだけど。

何かを一心に考え込んでいることが、増えた。
かと思うと遠くから黙ってオレの顔を見ていたりする。
だからオレも考えた。

阿部くんは、一体何を考えているんだろうと。
そして1つ、推測をした。
それは当たってないかもしれないけど、でももし当たっていたら。
とオレなりに落ち着いて考えた。

当たってる んじゃないかと思った。   当たってても不思議じゃない。

だから今度は次の段階のことを考えた。
だってそのうち嫌でも考えなくちゃならなくなるだろうから、
前もって考えとく、というかつまり  「ココロの準備」 ってやつ、 だと思う。

準備はどうしたって要る。

自分のため、というより阿部くんの、ために。
オレにできるのはそれくらいだけど。

オレは頑張って準備していたんだ。













○○○○○○

明日は卒業式という晴れた昼下がりに、突然阿部くんがうちに来た。
そして 「キャッチボールしようぜ?」 と言った。
断る理由なんてもちろんない。
もう授業はなくなっていたから最近はあまり会えなくて、
電話で誘われたりしていたけどオレはここんとこ、なんだかんだと理由をつけては断っていた。

何でかというと例の心の準備をするのに忙しかったから。
だからその時前触れなく現れた阿部くんに少し驚いたけど
同時に、ついにその時が来たんだ、とも思った。
もうこれ以上逃げ続けるわけにもいかないし、
準備もできていたから 「いいよ」 とオレは言った。

庭でするのかと思ったら阿部くんは黙ってどんどん外に歩いていくので
オレも黙って付いて行った。
正直家で言われるのはキツかったから、有難かった。

結局川沿いの土手まで来て、2人でキャッチボールを延々とやった。
何も話さずに黙々とずーっとやっていた。


オレの投げる球を阿部くんが受けてくれる。

阿部くんの投げ返す球をオレが受ける。

そのことがしみじみと嬉しかった。



投げながらオレは考えていた。




明日は卒業式だな   と。












空が赤く染まる頃になって阿部くんはボールを投げ返してくるのをやめた。
オレのそばまで歩いてきて 「座ろうぜ」 と言ったので
2人で並んで座ってぼーっと川を眺めた。
眺めながらオレはひたすら、阿部くんの言葉を待った。


「3年間なんてあっというまだな」

阿部くんの声はいつもと変わらない。
本当に、あっというまだった。  夢みたいな3年間だった。

「オレ、おまえに会えてホント良かったよ」

阿部くんが言った。
オレは喉元の塊りを必死で飲み下した。

ちゃんと笑わなきゃ。 お礼も言わなきゃ。

でも意思に反して顔が上がらなくて俯いて
自分の手を理由もなくバカみたいに凝視していたら
その手に阿部くんの手が伸びてきたのが見えた。
掴まれて持ち上げられて、 え? と思ったら阿部くんのつむじが見えた。
一瞬何が起こったのかよくわからなかった。 

でも手のひらに柔らかくてあったかい感触を感じて、
あぁ、阿部くんがオレの手のひらにキス、したんだなとわかった。

何だかあまり現実感がなくてぼーっとしてしまって
阿部くんのつむじをまじまじと見ることってあんまりないかもなぁなんて
そんなことを考えた。

と思ってからそうでもなかった、ということに気がついた。
特定の状況下では結構見たような。
ただ、あまりじっと見ている余裕が自分のほうになかっただけで。

なんてことに思い至って恥ずかしくなって、それからまたいっそう悲しい気分になった。


(・・・・・・・でも今日は、 泣かないんだ)

明日も、泣かない。
家では泣いちゃうかもしれないけど、阿部くんの前では、泣かない。
阿部くんは優しいから。   きっと気にすると思うから。

ふっと手のひらが寒くなった、と思ったら
阿部くんが顔を上げてオレの顔をじっと見つめていた。
大好きな、阿部くんの、目。

「ここにちゃんとキスしたのって2度目だな」
(うん、そうだね。)

「ちゃんとしてないのもいれると3度目だけど」

え? と思ってから思い出した。

「2度とも覚えてる?」
(・・・・・・・・覚えてる、よ。)

1度目は1年のクリスマスイブの日だった。
まだ付き合い始めてからそんなに経ってなくて、よく実感が湧いてなくて。 でも幸せで。
阿部くんがオレの手にキスした時、外だったから焦ってきょろきょろしちゃって。
でも、すごく、幸せだったから。  よく、覚えてる。
2度目もクリスマスだった。
ほんの一瞬だったけど、周りに皆がいたからやっぱり焦って。


「手のひらへのキスの意味って知ってる?」

オレは知らなかった。 黙って首を振ったら阿部くんが笑った。

「さっきから、なんもしゃべんないのな。」


ごめんなさい、 阿部くん。
でもだって。   話せないんだもん。
喉に何かつっかえているんだ。 しゃべるとそれが出てきちゃうんだ。
だからダメなんだ。
黙っていれば、オレ、普通の顔、ちゃんとできている、でしょ?


「手のひらへのキスは懇願のキス」

言われてオレは、きょとんとした。
コンガン?   と思ってから気付いた。
 
(あぁ、お願いの「懇願」・・・・・・・・)
「・・・・・・・て聞いたことあるから。」
(ふぅん・・・・・・・・・・・)
「オレ、あん時心の中でおまえにお願いしたんだぜ?」
(なにを・・・・・?)
「それはちゃんと叶ったんだ」
(何を、お願いしたんだろう・・・・・・・・・・)
「今も」
(え?)
「おまえにお願いしたんだけど」
(・・・・・・・・・・なに、を・・・・・・・・?)
「叶うかな。」
(・・・・・・・・・・・・・。)
「聞いてくれる? 三橋」
(うん。 ・・・・・・・聞くよ。)

オレは頷いた。
阿部くんが何を言っても、オレ、聞くよ。
ちゃんと、心の準備もしといたし。 万全だし。
泣かないでいることだって絶対できる。  それどころか笑うことだってできるかも。
大丈夫。  自分から何も話さなければきっと大丈夫。

阿部くんはでもしばらく黙ってオレの顔を見ていた。
きれいな黒い目にぼーっと見惚れた。

(気を遣ってくれなくて、いいのに・・・・・・・・)

阿部くんのおかげで3年間本当に幸せだった。
野球でも幸せだったし、それ以外のこと、でも。
それだけですごく感謝しているんだ。
だからもうこれ以上、優しくしてくれなくていいんだ。

「絶対聞いてくれる? 三橋」

うん、 と声には出さずに、また頷いた。 

「絶対?」

阿部くんはまた言った。 すごく珍しい。
よっぽど言いにくいことなんだろうか。
それともよっぽどオレにとって、大変、とか。

(・・・・・・・・大丈夫、なのに・・・・・・・・)



阿部くんは意を決したようにオレに向かって 「お願い」 を言った。



















絶対泣かないって思ってたのに。

全然ダメだった。

気が付いたら後から後から涙が出ていて。
止めようと思ってもまるで止まらなくて。

でも返事をしたくて、なのに声が出なくて、
オレは俯きながらまたバカみたいに何度も何度も頷くしかできなかった。

阿部くんの手が優しく肩を抱いてくれたのがわかって
嗚咽まで出そうになって必死で堪えた。

「あぁ良かった・・・・・・・・」

つぶやく声はため息混じりだった。 安心したみたいな。

「最近、避けられてたから」

避けてた。

「最悪もうダメかと思ってた」

オレもそう思ってた。

「おまえ、ひょっとして暗いこと考えてた?」

図星だったんで、小さく頷いたら声の調子が変わった。

「なんでそうなるんだよおまえは!!」
「ひっ」
「・・・・・・て、オレもちょっと変だったかな」
「・・・・・・・・・・・・。」
「説明してやりゃ良かったんだけど」
「・・・・・・・・・・・。」
「まだどうなるかわかんねーし」
「・・・・・・・・?」
「でもそれで今さらそう取られるとはなぁ」
「・・・・・・・・・・・。」
「ほんっと、ヒクツなとこは野球以外では直らなかったなおまえ」
「・・・・・・・・・・・。」
「泣き虫も3年間直らなかったなぁ」

阿部くんの声の調子に、呆れているような響きがあって。

恥ずかしくて泣きやみたいんだけどちっとも止まらなくて困ってたら
阿部くんの手がまたオレの手を掴んで
「指切りな!」  とか言いながら勝手にオレの小指に自分の小指を絡めて
ぶんぶんと勢いよく振ったりするんで。

可笑しくなって、泣きながらちょっとだけ笑ってしまった。

「あ、何だよ、 笑うなよ!」

不満気な声に 怒らせちゃったかなと焦って、
霞む目で阿部くんの顔をちらりと見たら、阿部くんは笑っていて、
でも阿部くんの目も少し赤くなっているのが見えてしまって、
オレはまた新しい涙が出てきてもっと困ってしまった。











指切りなんてしなくても、 約束、 守るよ、

阿部くん。










涙が止まったら、そう言おうと   思った。






































『これからも、ずーっと、オレといっしょにいる  って約束してくれない?』

















                                                   約束  了

                                                   SSTOPへ








                                                      願いを込めて。 m(__)m