突き抜けている男





ゼミ仲間の水谷と今日飲むことになったのは、
予め約束していたわけじゃなくてたまたまの成り行きだった。
だから店に向かう途中で水谷の友達も加わったのは、別に構わなかった。
何か内密な相談事があったとかでもないし。

強いて言えばちょっと彼女のグチを言いたい気分はあった。
喧嘩が長引いていて、大して深刻なものではないものの、くさくさしていた。
けど、積極的にグチりたいってわけでもない。 
だって何だか女々しい気がしたから、雰囲気が許せばって程度の思惑だった。
つまり主な目的は飲んで軽い話でもして気分転換したい、だったから
増えたそいつも交えて適当に楽しく過ごせればそれで良かった。

でもそいつの顔を最初に見た時、どこかで見たことがある気がした。
なのに、思い出せない。
同じ大学だから見知っていても不思議じゃない、と思いながらも気になった。
記憶を探っていたからか、店に落ち着いてオレとそいつだけ自己紹介なんぞして
名前を聞いた途端に思い出した。

『前からいいと思っていたけど、実物はもっとかっこよかったあ』
『同じ大学なんてチョーラッキーv』

と熱くまくしたてたのは高校野球ファンの女友達だ。
熱く、といってもそいつにはちゃんと彼氏がいるからミーハー的なノリだったけど、
あまりに熱心に褒めるんで興味が湧いた。
学部は違うらしいし、実際に探して見るほどの強い興味でもなかったけど。
でもその女友達が後日わざわざ野球雑誌の切り抜きまで見せてくれたもんだから、
阿部、というその名前を覚えていた。
顔まではうろ覚えだったのは、写真が不鮮明だったせいだ。

(こいつがご本人か・・・・・・・)

ふーん、 という気分でこっそりとつぶさに観察してしまった。
確かに 「かっこいい」 という部類に入るんだろう。
派手ではないけど整った顔立ちだし、垂れ気味の目に色気がある割には軟派な印象はなくて
表情はむしろ精悍な辺りが一部の女に受けそうではある。
声も低くて男らしい感じで、美声、と言ってもいいんじゃないだろうか。

『試合でかっこよくて』
『でも普段の顔がクールて冷たい感じがするところが、またいいんだよねえ』

友人の賛辞が蘇る。 確かにクールな雰囲気だし頭も良さそうだ。
勝手に値踏みしながら少々の羨望を覚えたものの、
この場だけの付き合いだし、気に障るとかではもちろんない。
そういえば水谷も高校で野球やってたっけと、今さら思い出した。
本人がそう言ったような。  ということは、その関係の繋がりだろう。
実際水谷とは仲がいいようで、会話に気安さが漂っているけど
だからといってオレが疎外されることもない。
それは水谷の明るいキャラクターもあるだろうけどとにかく、
あっちの学部の話を興味深く聞いたり、学内の情報交換なぞもして楽しく飲んでいた。 
途中までは。

怪しくなってきたのは1時間くらいが経過して、いい感じに盛り上がってきた頃だった。

「阿部、飲み過ぎ」

軽い調子で水谷が言うのを聞いて、オレは初めて 「そうなのか」 と思った。
だって全然顔色が変わらないからだ。
確かにピッチ早いな、とは思っていたけど度外れていたわけでもないし
声も顔も普通だし、それがこいつのペースなんだと思っていた。
酒強いんだなとも。
水谷がやんわり注意したってことは、それが普通ってわけでもないんだろうか。

「うーん わかってっけど」

大人しく頷きながらも阿部は杯を空けた。 と思ったら。

「・・・・・・部屋に帰りたくない」
「またそんなことを」
「広くてイヤだ」
「そんな広くないだろ」
「1人だと広い」

えーと、と目が点になる。 話がよくわからなくて参加できない。
と置いてきぼり気分になったところで、水谷が教えてくれた。
あっけらかんとした言い方からすると、内緒話ってわけでもないらしい。

「あー、あのさ、こいつ同棲してんだ」
「へえ・・・・・・・」

彼女いるのか、 とびっくりしたけどよく考えれば変じゃない。 むしろ。

(そりゃいるか・・・・・・・・)

納得はしたものの、同棲するほど溺れるタイプには見えなかったんで
少し意外にも感じる。  外見がクールでソツなく見えるせいかもしれない。

驚きながらも急速に阿部に対する興味が増した。
何でかというと、彼女との喧嘩の原因が
「いっしょに住まない?」 と言った彼女に対してオレが躊躇したことだからだ。
彼女はそれで怒ってしまったんだけど、そんなに簡単なことじゃない。
自慢じゃないけど、オレは用心深くかつ理性的なほうだと自負している。
良い面だけじゃなく、悪い面も全部吟味して慎重に決めたいのが悪いこととは思えない。
イメージだけだと同じようなタイプにも見える阿部が、踏み切った理由が知りたい。
でもさっきのグチらしきものから察するに喧嘩でもしたのか。
やっぱり面倒なことも多いんじゃないだろうか。

等々の疑問だの思惑だのが湧いたので。

「や、事情は知らないけど大変そうだな」

まずは適当に話を合わせてみる。
上手くすればいろいろ聞きだせるかもしれない。

「大変なんだよ・・・・・・」
「女ってこじれると面倒だよな?」
「ふーんそうなんだ?」

あれ? と一旦口を止める。 そこまでひどくないってことか。
細かいところに突っ込むのもナンだし、目的は同棲生活の忌憚ない実態を聞き出すことだから
思い切ってずばっと聞いてみる。

「というかさ、いっしょに暮らすのって面倒なこともあるんじゃない?」
「ない」

一瞬聞き違えたかと思った。
即答だったうえに、あまりにきっぱりした言い方だったからだ。
こういう場合少しは考えたりするもんじゃないだろうか。
それに、面倒事がないとは思えないし虚勢かもしれない。 それでは参考にならない。
何とかして本当のところを知りたいので、聞き方を変えてみる。

「面倒でなくても苦労することとかさ、全然ないわけ?」
「あー、うん それはあるな・・・・・」

阿部は今度は考えるような顔になった。 この調子でいろいろと聞き出そう。

「家事の分担とかさ」
「あー まあな」
「メシとかも任せっぱなしだと文句言われたりしそうだよな」
「メシは大体オレが作ってる」
「えっ」

ちょっと、いや大分驚いた。 イメージに合わない。 同時に掛け値なしに感心もした。

「あんたの彼女、幸せだなあ」
「そうでもないかも・・・・・・・」

心からの賛辞に阿部は顔を曇らせた。 

「窮屈かもしんねーって思うんだよな」
「窮屈?」
「いっしょにいると安心だけど不安だ」
「・・・・・そういうもん?」
「帰りが遅くなると気を揉んだり」
「なるほど・・・・・・」
「腹冷やすんじゃねーかとか」
「・・・・・・へ?」
「あいつ、寝相悪いんだもんな」
「あー、なるほど・・・・・・」
「だもんで様子を見に行くと結果的に寝不足にさせちまったり」
「・・・・・・・・。」
「次の日試合だったりするとぜってーダメだから我慢すっけど」
「試合?」
「その我慢が大変で大変で」
「・・・・・・・・・はあ」
「いないと寂しい」
「・・・・・・・・・。」
「帰りたくない・・・・・・・」

話が最初のグチに戻った。 阿部は頭を抱えてしまった。
けど遅ればせながら気付いた。
これはいわゆる、ノロケってやつじゃないだろうか。
ところどころよくわからなかったり腑に落ちない点もあるけど、多分そうだ。

(・・・・・・・イメージに合わない)

ふと隣を見れば水谷はもくもくと飲んでいる。
ちょんちょんと肘でつついて小声で聞いてみた。

「えーと、こいつっていつもこんな?」
「え、いつもじゃないよ?」
「酔った時だけ?」
「てか、帰っても1人、て時かなあ」
「ふーん・・・・・・」

今はいないからか。  この暗い雰囲気はやっぱり喧嘩が原因で不在なんだろう。
原因を聞きたい。
興味津々なのに躊躇ってしまうのは、今日初対面でそこまで聞いていいものか
判断がつかないからだ。
迷っている間に阿部は呻くようにつぶやいた。 暗い声だった。
オレの姑息な思惑が申し訳なくなってしまうくらい。

「早く帰ってほしい・・・・・・・」
「・・・・・電話してみれば?」
「毎日してる」
「あ、そう・・・・・・・・」
「声だけ聞くと余計に会いたくなんだ」
「・・・・・・・そう言えば?」
「言えない」
「え、なんで」
「気ぃ遣わせるから」
「・・・・・・・・?」

てことは喧嘩とも違うんだろうか。
なんにしろよっぽど惚れているんだな と感心する。
イメージがどんどんズレていく。
こんな調子なら同棲を決めた時もほとんど迷わなかったんじゃないだろうか。
逆に彼女のほうが鬱陶しくなって距離を置きたくなった、とかもありそうだ。

「でも早く帰ってくれるかも」
「そうなんだ?」
「でも効くか効かないかわからない」
「・・・・???」

またよくわからない。 
ノロケでもグチでも構わないけど、できればわかる話をしてほしい。

「えーと、長い間会ってないんだ?」
「すごーーーーーーーーーく」
「そりゃ・・・・・寂しいな」
「寂しい」

世にも悲愴な顔にまた同情が湧きつつも、同棲生活の実態と
一時的にせよ中断している原因を知りたい下心もまだしつこく燻っているので。

「寂しいだけじゃなく、不便もあるだろうなー いっしょに暮らしている人間がいなくなると」
「そうなんだよ!!!」

がばっと乗り出してきた。  びっくりした。

「わかってくれるか?!」
「え、まあなんとなく・・・・・」
「不便つーかだから、大変でさー」
「あ、掃除とか洗濯は彼女担当だったんだ?」
「は・・・・・・・?」

阿部の顔が怪訝そうになった。 何か変なことを言っただろうか。

「あー・・・・まあ一応洗濯はあいつだけど・・・・・・・掃除はオレだな」
「え、あんたの分担のが多いわけ?」
「そんなことはどうでもよくて!!!」

どうでもいいのか。

「だから大変なんだいろいろと!」
「なにが?」
「わかるだろう?!!」

わからない。

「それに心配だ・・・・・・・・」
「・・・・・・・なにが?」
「オレの知らないところでナンパされるかもしれない!」
「・・・・・そんなにかわいいんだ?」
「かわいい」
「そうなんだ・・・・・・」

見てみたい、と思ったところで阿部はまた頭を抱えてうなだれた。

「1人の部屋に帰りたくない・・・・・・」
「はあ」

どうしてもそこに戻るわけだ。 大分煮詰まっているようだ。
様子からすると相当長い間会えてないんだろう。
あまり聞くのも悪いかもしれない。
自分の思惑は叶いそうにないと諦めモードになっていると、阿部は水谷に話しかけた。

「水谷、今日は朝まで飲もうぜ?」
「勘弁してくれよー阿部」

水谷の声がのんびりして笑いさえ含んでいることにちょっと驚いた。
オレはさっきからいろいろな意味でびっくりしてんだけど、水谷は平気なんだろうか。
いつもじゃない、と言っていたけど実は慣れてるんじゃないだろうか。
阿部は今度はオレに向かって嘆いた。

「風邪ひいてないかとか、腹壊してないかとかも気になってしょーがねえ」
「はあ・・・・・・・」
「あいつ、調子に乗って食い過ぎてそうだ」
「ふーん・・・・・・」
「オレがそばにいれば体調管理だって万全だからな!」
「へえ・・・・・・・」
「たまに無理させたりもすっけど」
「・・・・・・・・・。」
「部屋に帰りたくない・・・・・」

またまた戻った。 まるで酔っ払いみたいだ。

(・・・・・・・みたいじゃなくて)

ひょっとしてこいつ、ものすごく酔っているんじゃ、と今さら気付いたところで
誰かの携帯が鳴った。 阿部のらしかった。
取り出した携帯を一目見るなり阿部は顔を輝かせた。
それまでの暗い顔とのギャップの大きさに、うっかり見惚れた。
相手が誰かなんて、他人のオレでも見当がつく。
ずーっと不在だったクダンの彼女だとすると、もしかして重要な場面に居合わせてるんじゃ、
と思わず聞き耳を立てた。   けど、会話は意外にも短かった。

「うん」
「・・・・・わかった、今からオレも帰る」
「え?いや全然。 とにかく帰るから」

それだけ言うと、阿部は通話を切った。
切ったと同時くらいに立ち上がった。  平然と、水谷が言った。

「じゃなー、阿部」
「おう。 あ、ここの金、明日でいいか?」
「いいよー、立て替えとく。 三橋によろしくな」
「おお、じゃな」

あれよあれよ、という言葉があるけどまさにそれだ。
水谷の次にオレにも軽く手を上げたと思った次の瞬間にはもう後姿だった。
その3秒後には店から消えた。 
清々しいほどに素早かったんで、呆れるを通り越して感心した。
でもそれまでの様子を思えば無理ないかもしれない。
事情はよくわからないけど、長期間織姫彦星状態だったんならあれだけ素早いのも頷ける。 
矢も盾もたまらず、てやつだろう。  結局オレの知りたいことは聞けなかったけど。

「・・・・・・・早く会いたいんだろうなあ」
「だろうねー」
「なに、喧嘩したってわけでもないわけ?」
「まさか、違うよー」
「いやーヒトゴトだけど良かったな!」
「ははは」
「よっぽど長い間いなかったんだろ?」
「4日」

へ? と目が点になった。
水谷は笑っている。

「今日が4日目」
「4日目・・・・・?」

鸚鵡返ししてしまった。 
呆けてから、気を取り直した。
てことはつまり、4日の不在でアレってことは成就したばかりのアツアツ時期なんだろう。
その勢いでの同棲もありそうだし、それならわからないでもない。
オレと彼女の付き合いは友人期間を含めて1年半だ。 
仲間内では長いほうだけど、それでも慎重にしたくなるオレには無謀に思えるが。

「もしかしてまだ付き合い浅いんだ?」
「3年目」

はい?

「その前を入れると6年目だなーもう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「あれはまあ、相手の里帰り中の恒例行事みたいなもんだから」
「里帰り・・・・・・・・・・・・・・・」
「うん、明日の夜までの予定だったから嬉しかったんじゃない?」
「・・・・・・・・・もしかしてあいつ、見た目より大分酔ってたよな?」

酔うと感情が増幅されるもんだから、
と自分を納得させるための確認をしたオレはバカだった。

「やーそうでもないよ」
「え、でもおまえだって飲みすぎって・・・・・」
「一応言ったけど、ほとんど酔ってないよ多分」
「・・・・・・・へえ、そう・・・・・・・」
「あいつ、強いもん」

確かにシラフっぽく見えたけど、ただ言っていた内容が。

「でも何気に惚気たりしてたし、今日は例外で酔ってたんじゃないかあ?」
「ああ、ありゃ素だよ」

素。

ぱくんと口を開けたきりもはや何も言えないオレに、水谷はへらりと笑った。

「本人は惚気てるつもりないんだって。 許してやってよ」
「や・・・・・・・別にいいんだけど」
「そう? なら良かった」

不快だったわけじゃないから、本当に別にいいんだけど。

「ただその」
「ただ?」
「イメージと違うってか」
「イメージ?」
「うん、クールな感じがしたんで」
「クール・・・・・・・・・」
「うん、あと理性的で無駄なことはしないとか」

言いながら女友達の賛辞がまた脳内に再生された。 オレだって最初はそう思った。 
最初だけで終わってしまったけど。
あははは、 と水谷が今度は声を上げて笑った。 すごく楽しそうだった。
目尻に涙まで滲んでいるところを見ると、心から笑っているらしい。

「あ、ごめん、笑ったりして」
「いやいいけど」
「なんか久々に聞いたんで、つい」
「・・・・・・・・。」
「あ、でもそういう面もあるよ。 当たってるよ」
「ふーん・・・・・・」
「面白いヤツだろ? 阿部って」
「・・・・・・・うん、面白いかも」

かもじゃなくて、非常に面白い。  イメージと実態のギャップが素晴らしい。
それだけじゃなくて何というか、上手く言えないけど。

(何かを突き抜けている・・・・・・・・・・)

というのは言わずに、オレは勝手に銚子のお代わりを頼んだ。
何だかとことん飲みたい気分だったもんで。

「飲もうぜ?! 水谷」
「わかってるよ」

水谷はいいヤツだ。 明るいし、軽く見えるけどちゃんと思いやりを持っている。 
多分普通よりたくさん。  だからきっと気の済むまで付き合ってくれるだろう。
ついでにやっぱり彼女のグチを聞いてもらうのもいいかもしれない。
水谷にとってはオレのグチなんておそらく、かわいいもんだ。
女々しいなんて虚勢を張ること自体が女々しい気さえしてきた。

でも1つわかったのは、オレにはやっぱり同棲は無理かもしれないってことだ。
何やら悟ったような気分になりながら、忘れちゃいけないことを頭にメモした。

次に女友達に会ったら訂正してやらないと。

おまえの憧れの「阿部」って奴はクールとは対極にいる人間だってな。

















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