特効薬





ドアを開けて三橋の姿を認めて。

「・・・・・・何で来たんだ」

思わずそう言ってしまってからたちまち後悔した。
けど、遅かった。
予想に違わずその大きな色の薄い目にみるみる透明な膜が張った。

「あ」

我ながらうろたえた声が出た。

「わり・・・・・・・せっかく来てくれたのに」
「う」

膜はかろうじて溢れ出ることなく、目の表面だけに留まっている。
溢れる前にと急いで続けた。

「ありがとな」

ホっ と三橋の顔が嬉しげに緩んだ。 オレもホっとした。
本当は、オレだってすごく嬉しい。 
今もちょうど三橋のことを考えていたところだった。 けど。

・・・・・・・うつるじゃねーか・・・・・・・・・・・




オレは今日学校を休んだ。 風邪をひいて。 うつしたのは多分水谷のバカだ。

以前三橋に 「3年間怪我も病気もしない」 と豪語したくせに、と自分で情けなく思ったけど
何しろ熱が尋常でないくらい上がってしまって休むよりほかなかった。
幸いだったのはちょうど試験準備期間に入ったところで
今日から試験まで部活はない。 せめてもの、というところだ。

三橋はちゃんと勉強してっかなー なんてぼんやり考えていたところに
当の本人が見舞いにやってきた。
うつる、という懸念さえなければ正直すげー嬉しいんだけど。  家族もいねーし。

なんて複雑な気分でボケっとしていたら三橋の不安そうな声が聞こえた。

「あの、オレ」
「は?」
「・・・・・かかか看病しよう、と思って」

うっかり顔がニヤけそうになって慌てて堪えた。 
だからうつったらヤバいだろーが・・・・・・・・・

「ずっと前、オレが風邪ひいたとき、阿部くん 来てくれて」

あぁ、と思い出した。 そういえばあん時はオレ行ったっけな。

「だ、から今度は、オ、オレが」

そこまで言ってから不安でいっぱいな顔で俯いてしまった三橋に 「要らない」 と言うのは憚られた。
うつるから、と言ったところで三橋のことだからまた余計な気を回して
ごちゃごちゃと暗いことを考えそうで。 それに。
・・・・・・・もう少し顔を見ていたいのも事実で。

「とにかく、入れば」

言うとこっちが照れてしまうくらい嬉しそうな顔になっていそいそと入ってきた。
・・・・・・・まぁ、いいか。 
少しだけ何かやってもらって帰せばいいんだし。

「・・・・熱、 あるの?」
「まぁそれなりに」

どころじゃないくらいあるんだけど本当は。
そんなの言わない。 風邪ひいたってだけでも約束破ってかっこわりーのに。

ぼおっと重い頭でそう考えたところで三橋が爆弾発言をかました。

「オレ、阿部くんを 運ぶ」

はい?

「ベッドまで、運ぶ」

見ると目がマジだ。

「・・・・・要らねえ」

てか、無理だろ・・・・・・・・・・・

「ででででも、阿部くんは」

あーそうか、と気付いた。 オレが行った時、こいつを抱えてベッドまで運んでやったんだっけ。
てことは、もしかして。

「・・・・・おまえ、オレがあん時やったことを全部やるつもりで」

皆まで言わないうちに三橋がそう思っていることがわかった。
表情だけでここまでわかるヤツというのも珍しい。 でも。

「おまえがオレを抱えるのは無理だと思うケド」
「う・・・・・・」

オレが三橋を運べたのはオレの腕の力が普通より(多分) ちょっと強いからだ。
三橋だってもちろん弱くはないだろうけどオレには負ける。
それにオレのが重いし、第一投手の腕にそんな余計な負担をかけるわけには。

「おまえの相棒としてそれは却下」
「・・・・ダメ・・・・?」
「ダメ」

それにこれは言わねーけど。
三橋には悪いけど、オレだって命は惜しい。
仮にできたとしても階段の途中で派手に落とされそうでマジこえー。

不本意な顔をしてる三橋に 「そんな大した熱じゃねーしな」 と大嘘をこいて
オレはひとりでさっさと階段を上がった。
三橋もひっそりと付いて来る、はずだったんだけど (実際途中まではオレの後ろから上ってきてたんだけど)
突然ものすごい音が鳴り響いて驚いて振り返ったら、三橋が階段を落ちていくところだった。

「三橋!!」

泡くって駆け下りた。 熱で頭がくらくらしたけどそんな場合じゃねー!!!!

「い・・・・た・・・・・・・・・」

見事に下まで落ちた三橋は、でもすぐに半身を起こした。

「大丈夫か?!!」
「だ、ダイジョブ・・・・・・・・・」
「どこ打った?!」
「え・・・・どこも・・・・・・・・」
「そんなわけあるかバカ!!!」

オレの剣幕にびくっとした三橋はおそるおそる、という風情で
「・・・背中をちょっと・・・・」 と小さな声で言った。

「見せろ」

座り込んでいる三橋の後ろに回ってシャツをたくし上げて背中を検分する。
特に傷はない。 打っただけか・・・・・・・・・・

「立ってみろ」

大人しく立ち上がった三橋に2〜3動きを命じて、異常がないことを確認して安堵のため息をついた。
念のためにと居間に連れて行って薬箱を出して湿布だけ貼った。
そこまでてきぱきと終えて気が緩んだ途端に頭がさっきの倍くらい重くなった。

ヤバい。 悪化したかも・・・・・・・・・・

三橋は青い顔で今にも泣きそうだ。

「ごめん・・・・なさ・・・・オレ・・・・」
「あーいいから」

言いながらも真剣にベッドに戻りたい。 とにかく横になりたい。
「おまえ、先に上がれ」 と今度は三橋を先に行かせてその後ろから階段を上った。
ようやく布団に戻れて はーっと無意識にため息が出そうになって辛くも堪えた。 
こういうことで三橋の涙で潤んだ目を見たくない。
でもこれで三橋も思い直して 「帰る」 と言わないかな、とちらりと思った。
だってうつるのが心配だ。 
なのに。 意外にも三橋はめげていなかった。

「オレ、看病する、からね!!」
「え・・・・・・」

どうしても、オレと同じことをしたいらしい、と遅ればせながら気付いた。
あの時オレがしてやったことは。

ベッドに運んだ後はおかゆ食わせて薬呑ませて体拭いてやって、それから・・・・・・・・

かぁっと顔が熱くなるのがわかった、けど、多分最初から赤いだろうから三橋は気付かないだろう。
それに。
三橋は途中から寝こけていたから、おかゆを食った後の記憶はないハズだ。
残念なような、でも少しホっとしたような、(だってあんなことされたらオレの理性がもつわけない断じてない)
と複雑な気分でいるオレの内心には頓着なく三橋は
「オレ、何か作ってくる ね!」  と言いながら元気良く立ち上がった。

なにかってナンだ?

「阿部くん、台所、借りる よ!」

ちょっと待て。

そう言いたくてもすぐに言葉が出てこない辺り、熱が相当上がっている。
ボケっとしているうちに三橋はさっさと部屋から出て行ってしまった。

・・・・・・また階段から落ちるんじゃねーか・・・・・・・・
つーか、なに作るつもりだあいつ・・・・・・・
オレ、昼飯はちゃんと食ったんだけど。 パンだけだけど。
でもそんなこと言ったらまたがっかりすっかもしんねーしな・・・・・・。
まぁいいか。 もう少しなら食えるし。
あいつの考えそうなもんっつったら、・・・・やっぱおかゆかな。
オレのしたことそっくりしたいみたいだからその確率が高い。
でもあいつ作れんのかな。
炊飯器にメシは残ってたような気がすっから、鍋さえ見つければ問題なく作れそうだけど。
それはあくまでも 「普通の人間なら」 ということであって。

ぼーっとしながらも忙しなくあれこれ考えてしまうのは性分だ。 というより。
心配で気が休まらない。
いっそ起きて様子を見にいくか・・・・・・・・・

思いながらも正直だるくて、起き上がるのが億劫だ。
心配だけどこういう時くらい信じて甘えてみるかな、 と考えた、 途端に。

がっしゃーん!!!

という派手な音が階下から聞こえて反射的に飛び起きた。
慌てて台所まで駆けつけてみれば。

床がすごいことになっていた。

「ごめ・・・・・・・」

三橋もすごい顔をしていた。 今度こそ泣く一歩手前。
瞬間 「なにやってんだ」 と怒鳴りそうになったのをかろうじて踏みとどまれたのは
怒鳴る元気もなかったから、というのが一番近い。
泣かせるのがイヤだから、というのはその次。

「・・・・・・なんでまたこんなことに・・・・・・・・」

ぐったりとつぶやいたオレに三橋はつっかえつっかえ長い時間をかけて説明した。

「おかゆを・・・・作ろうと  思って」  
やっぱりそうか・・・・・・・
「ご飯、探して・・・・・」   
いいんじゃねーの?
「お鍋、探して・・・・・・・・」   
そうだよな。
「お鍋にご飯、 入れて」   
合ってるぜ?
「火に・・・・・・・・かけて」     
待て。
「しばらく、待ってたら・・・・・・・・・」  
水は?
「変な匂いが・・・・・してきて」  
水入れなかったのか??!!
「どうなってるのか・・・・・見ようとしたら」  
・・・・・・・・・・・・・・。
「フタが熱くて」    
取っ手まで熱かったワケね・・・・・・・
「慌てて、鍋飛ばしちゃって・・・・・」  
器用だな・・・・・・・
「鍋が床に、落ちて」  
見ればわかるけど。
「とにかく、 火を、消して」  
大正解。
「それで布巾を 取ろうと、・・・・して」  
布巾で床を拭かないでほしいんだケド。
「隣に あった 別のお鍋  に 手が・・・・当たって・・・」  
その鍋には昨夜の味噌汁の残りが。
「落っことして・・・・・・」   
そうみたいだな。
「・・・・・・ごめ・・・・・・」

オレは優しく言ってやった。

「・・・・・いいよ」    だから泣くなよ?
「・・・・・オレ、なにやっても、ダメぴ・・・・・」
「失敗は誰にでもあるだろ?」  

泣くのが見たくないってのもあるけど、本当はさ。

「・・・・・ごめんなさ・・・・」
「てか、おまえ、手は?」  

そこで初めて気付いて焦った。
火傷、したんじゃねーか?
今までそれに気付かなかった自分が信じられない。 やっぱ熱のせいか?
ぼーっと説明聞いてる場合じゃねーじゃん!!

「手ぇ大丈夫か?!」
「・・・へ・・・・」
「へ、 じゃねーだろ?!!」

大急ぎで三橋の右手を引っ掴んで水道の水で冷やし始めた。

「あの、阿部くん」
「なんだよ!!」
「・・・・熱かったの、  左手・・・・」

早く言えよバカ!!!!

また心の中だけで怒鳴ったオレは偉いと思う。
今度は左手を冷やす。 指が赤くなっている。
しばらく冷やしてから、火傷用の軟膏を塗ってやった。 それから。

「おまえは座ってろ」

動かないように厳命して床に散らばった諸々を拾って捨てて
その後床の掃除をして、最後に焦げた鍋を洗った。
すべて終わった時にはもう頭は重い、なんてものじゃなく盛大にガンガンと鳴っていた。
三橋は涙目で見ている。
頼むから泣くなよ・・・・・・・・・・・

「ごめ・・・・・・・・」
「いいって。 オレは平気だから」

なるべく元気なふりで言う。 泣いてほしくないから。
ふらふらしないように気を付けながらベッドに戻った。
横になれるだけで有難い気分。
付いて来た三橋はおどおどと言った。

「・・・・おかゆ・・・・作ったら・・・・食べさせて、 あげようと・・・・オレ」

ぎょっとした。
食べさせてやるって。
・・・・・・オレがそうしたから?
・・・・・・・してほしいような気も少しはすっけど。
けど、勘弁してくれ・・・・・・・・・
オレがすんのはいいけどされるのはちょっと。 我ながら勝手だけど。

なので慌てて言った。

「あーオレさ、実はメシは食ったんだちゃんと」
「そ、そう、なの・・・・・?」
「うん。 そんでさっき薬も呑んだ」
「・・・・・・・・。」
「だからもう何にもしなくていいんだ」

恐れていたことが起こった。   ぽろりと、三橋の目から涙が落ちた。

ざわりと、  体が疼いた。

あーあ・・・・・・・泣いちゃった。
何が困るって。
しょーもないことで泣かれるのもイヤなんだけど。
こういう2人きりの状況でそんな顔で泣かれると。
・・・・・・・・・・・・我慢できなくなんだけど。
引き寄せて、抱き締めて、キスしたくなんだけど。

「オ、オレに できること、・・・・なんにも・・・・」
「おまえ、もう帰れ」

何も考えずについ言ってしまった。
オレの忍耐が切れる前にいなくなってほしい、と思ったのはひとえに、うつしたくなかったからだ。
同じ部屋にいるだけでも気が気じゃねーのに。
うっかりキスなんてしたら風邪菌がてんこ盛りで三橋の体内に入るわけで。
今三橋にうつったらただでさえぎりぎりの三橋のテストの点数はどうなる。
何がなんでも絶対にうつすわけにはいかない。

でも口に出した瞬間 「まずい」 と思った。
同じ失敗を立て続けにやらかしたのも多分熱のせいで頭がぼんやりしてるからだ。
三橋が来たときより明らかに症状がひどくなっているし。
案の定、言った途端に三橋の涙の量はどっと増えた。

「阿部く・・・・・ごめ・・・・・・・・」
「えーと、三橋さ」
「ふぇ・・・・・・」
「怒ってんじゃねーから」
「・・・・・・・・・・・。」
「ほんと、嬉しかったから」
「・・・・・・ほんと・・・・?」
「本当」    これはマジ本当。

涙が少し引っ込んだ。

「おまえの試験が心配なだけ」
「・・・・う・・・・」
「オレは心配ねぇからさ、 帰って勉強しな?」

三橋はまだ涙目ではあったけど、大人しく頷いた。 ホっとした。
正直寂しいけど。
でもこれ以上悪化しないで済むのは有難いしとにかく何より。
オレ自分が全然信用できねーから。
三橋に襲い掛かって風邪をうつすのだけはぜってーヤだ。
こうしている今だって。
すぐそこにある腕を掴みたい。 
掴んで、引き寄せて、涙を舐め取りたい。

三橋はごしごしと目を拭ってから立ち上がって荷物を抱えた。
玄関まで送ろうと起きかけたオレに 「いい、よ。 寝てて・・・・」 と慌てたように言った。
その顔があまりにもしょんぼりしているんで切ないような気分になった。

涙目のまま帰ってほしくない。
笑ってほしい。

「オレの風邪、うつるなよ?」

精一杯明るく笑いながら言ってやった。  したら。

「うつらない、よ?」

やけにきっぱり言い切った。

「え?」
「だって、元々はオレ、が持ってきた風邪 だもん」   
え?
「オレが最初にひいて、泉くんと田島くんに うつして」
え?
「次に花井くんと西広くんにいって」 
は?
「それから水谷くんに飛び火して」   
水谷が休んでたのは知ってっけど。
「次が阿部くん」
「でも水谷以外は休んでねーじゃん?」
「・・・なんか、だんだんひどくなるみたいで・・・・・・・・・」
「・・・・・はあ」
「オレ、が一番軽く済んだ、 んだ・・・・・・・・・」

呆けてしまった。  

じゃあ。 オレの今までの必死の我慢と気遣いは一体。

「じゃ、オレ、帰る、ね・・・・・・」
「待った」
「へ?」
「もう1つだけやってって?」
「へ?」
「どうしても、おまえにして欲しいことが」
「え」
「おまえにしかできねーし」

三橋の顔がぱーっと輝いた。 

「キスして」

今度はぱーっと赤くなった。

「ちょっとでいいからさ」
「・・・・う・・・・」
「してくれたらすぐ治る気がすんなぁ」

赤い顔で頷いてくれた三橋はオレにそっとキスしてくれた。
あっというまに離れちゃったんで。

「もっかい」
「え」
「もう一回だけ」

おずおずと、またしてくれた瞬間に右手で三橋の首の後ろをぐっと掴んで舌を差し入れた。

「む!!」

色気のない声を発しながら少しもがいているようだけど、押さえ付けながら遠慮なく堪能させていただいた。

離してやったらまた涙目になっている。
その涙だったらいいんだ・・・・・・・・・・

そんな不埒なことを思いながらオレの体力はどうやら限界になってきた。
猛烈に眠い。
逆らえずに瞼が自然に落ちてしまう。 もう開けられない。
動き回ったのと薬が効いてきたせいだろうけど、うつらない、と安心したせいかな。
うつらないならもっといろいろしたいところだけど、三橋のおかげで悪化した体では無理ぽい。
キスもできたし。


「オレ、寝るから」

目を瞑ったままかろうじて言った。

「気をつけて帰れよ」

三橋が小さな声で うん、 と言ったのが聞こえた。

「ありがとな」


オレはすっかり満ち足りた気分になって。
意識を手放す前にぼんやり思った。


階段から転げ落ちたり火傷したりして、オレの寿命を縮めやがったのも、
かなり大変な後始末をする羽目になったのも、 おかげできっちり風邪が悪化したのも全部。


今のキスで帳消しにしてやる。


おまえが特効薬をくれたから。


明日には治ってみせるからな。














                                                      特効薬 了

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                                                  とか言って治んなかったりして