たとえ愚かと思われようと
              「その言葉ひとつだけで」の三橋サイド





阿部くんの 「じゃあな」 という声が聞こえた時も顔を上げられずに
小さく声だけで返事したのは、ほとんどが 「恥ずかしかったから」 だけど。
それ以外にごくごく小さなものだったけど 「恨み」 みたいな気持ちがあったのも確かだった。

だってあんなに嫌がったのに。
阿部くんは結局聞いてくれなかった。
恥ずかしくて恥ずかしくて死ぬかと思った。
「恥ずかしいから」 という理由では許してもらえない、というのはもうわかっているから、
別の理由を作ろうとか思ってもなぜかバレてしまう。
オレも最後には流されてしまうからいけないんだってことはわかってるんだけど。
だって以前阿部くんが 「嫌がった時って結局すげー色っぽい顔すんだよなおまえ」
とぼそっとつぶやいたのを聞いてしまった。
そして実は思い当たるフシがあったりもするんだけど、でも。
最中はともかく、終わってからがいたたまれない。
とてもまともに顔が見れない。
そう言うと阿部くんは 「何を今さら」 と言って呆れるけど。

だから翌日の朝阿部くんを見た時も ぼん! と昨夜のことが蘇って恥ずかしくて。
つい目を逸らしてしまった。
同時にいつもはない 「恨めしいような気分」 が半日経ってもまだほんの少し残っている、
とわかって自分でびっくりした。

今日は傍に寄りたくない、  と思ったのはだから恨めしいが半分、
恥ずかしいのが半分だった。

でも帰る頃には 「恨めしい」 のほうはほとんど消えていた。
みんなと分かれて帰る前に、気になってちらりと阿部くんの顔を盗み見たら、
阿部くんはオレをじっと見ていた。 鋭い目だった。

どきりと 心臓が跳ねた。

もしかして。
怒ったのかもしれない。
今日オレ、不自然だったから。 練習以外では避けちゃったから。
だって恥ずかしかったんだもん。 それに。
・・・・・・・聞いて、くれなかった、し。

心で必死で言い訳しながらも不安が次々と湧いてくる。
オレなんかがそんなことで不満を抱くなんて何て大それたことしたんだろう。
以前は考えられなかった。
いつのまにか贅沢になっている、 のかも。
と、いうか。
本当は怒ってたわけじゃなくて。

そこまで考えて突然わかってしまった。 オレは。

・・・・・拗ねてた、 んだ・・・・・・・・・・・・・・

気付いて呆然とした。 自分が信じられない。
これでもし阿部くんが怒ってしまったらどうしよう。
別れ際の鋭い目が脳裏を掠める。

でも明日の朝にはまたすぐ会えるしきっと大丈夫、 と思いかけてから 「あ」 と思った。
明日から部活ないんだった。
でも。
昼休みには顔、見れるから。
必死で自分に言い聞かせて気を静めてから眠りについた。




翌日の午前中にトイレで水谷くんと会ったのは偶然だった。
水谷くんは少し疲れたような顔でぼやいた。

「なんかさー、今日阿部のやつトゲトゲしててさー・・・・・・・・」
「え」
「三橋、なんか知らない?」

オレはドキドキした。 冷や汗まで出た。

「阿部くん・・・・き、機嫌、悪い  の・・・・・・・?」
「あーなんかなー」
「そ、う、なんだ・・・・・・」
「知らない?」
「え!!  知らな、い  よ!?」

言いながら血がすーっと足のほうに下がるような感覚がした。
怒ってる?
もしかして。  ・・・・・・・オレのせい、かも。
オレが、避けたりした から。

でも。 わからないし。 全然関係ないことで機嫌悪いだけかも。
でも。 やっぱりオレのせいかも。
ぐるぐるしながら怖くなった。 もしオレのせいだったら。

そんなふうにびくびくしていたから昼休みになって田島くんに
「行こーぜ?」 と言われた時咄嗟に断ってしまった。

「あの、今日、教室で・・・・・食べる」
「え?」

田島くんは変な顔をした。

「なんで?」
「あ の」
「うん」
「宿題、しなきゃ・・・・・・・」
「えーいーじゃんいつもみたく泉に見せてもらえば」
「た、たまには、自分、で」
「ふーん?」

実は午後の授業の宿題を忘れたのは本当だった。
昨日は阿部くんのことで頭がいっぱいできれいに忘れていた。
学校に来てから思い出して、泉くんに見せてもらいたいな、なんて自分でも思っていたんだけど。
自分でやることにする。
オレが屋上に行かないのは、そのせい、と自分に言い訳した。
そうしながら早くも後悔のような気分が湧いたけど。
すでに田島くんは行ってしまったし。

でも午後の授業になる頃にはもう頭の中は後悔一色になっていた。
阿部くんの不機嫌がオレのせい、だったら行ったほうが良かった。
オレのせいじゃなかったらもっと行ったほうが良かった。
オレ、バカみたいだ。 
押し寄せてくる後悔の念で先生の声もろくに耳に入らない。

そんなだったから田島くんが 「数学のここんとこさ、放課後阿部に教わんない?」 と言って
それを聞いた泉くんが 「あ、オレも教わりたいとこあんだよなぁ」 と同調した時、ホっとした。
不自然でなく会える。 様子がわかる。
阿部くんがまだ怒ってても、こんなふうにいろいろ想像して悩んでいるより
ずっといいような気がする。

少し安心して にへっ と顔が緩んだところで携帯が鳴った。
メールだった。 見てみたら、お母さんからだった。

『今日の夕方ガスの点検が来るのをすっかり忘れていて、仕事でまだ帰れないので
 できるだけ早く帰って。 お願いね。 母』

がっかりしながらぱたりと、携帯を閉じた時、田島くんが言った。

「あれ? どした?」
「へ?」
「急に元気なくなったんじゃね?」

田島くんは時々すごく鋭い。

「今日、オレ、ダメ だ・・・・・・・」
「えー?」
「早く、帰らなきゃ・・・・・・・」

ぼそぼそと言ったオレに田島くんは一瞬不審気な顔になったけどすぐに明るく言った。

「まー阿部だしな! おまえは個別にまた教えてもらいな?」
「う、 ん・・・・・・・・」

頷きながら  「ダメ、 かも」 と思った。
泣きそうな気分だった。






点検に来たガス屋さんが帰ってからオレは考える。
平気だ、と思う。 多分平気。
全然大したことじゃない。 喧嘩したわけじゃない、んだし。
すぐに暗いほうに考えるのはオレの悪い癖だ。 と、いつも阿部くんに叱られるし。
電話すればいいんだ。 それで普通に話せばこんな不安はすぐに消える。

よし、 と意を決して携帯を開けた途端に心臓がすごい勢いでばくばくした。
息苦しくなって慌てて深呼吸しても収まらない。
操作しようとして指が震えた。 もし。
電話に出た阿部くんの声が怒っていたら、どうしよう。

想像したら指がぴたりと動かなくなった。

「メ、メールに、しよう・・・・・」

口に出してつぶやいてから、すぐに でも返事が来なかったら、と思った。
そしたらどうしよう。 気になって不安で勉強どころじゃなくなるだろう。
それよりも。
明日会いに行くほうが簡単なような気がする。
待つのは怖い。 もし来なかったら。

オレは携帯を閉じた。






でも翌日の朝目が覚めた瞬間に 「会いに行く」 なんて絶対無理だ、とわかった。
普段用事がないのに1人でわざわざ教室を訪ねることなんてない。 田島くんに便乗するくらいで。
行ってそれから、何て言っていいのかわからない。
もし、怖い顔をしていたらきっと何も言えなくなる。
もっと怒らせてしまう。

あれこれ考えているうちに結局午前中が終わってしまった。
偶然廊下で会ったらどうしよう、会いたいような会いたくないような  なんて
複雑な気分で期待していたけど会えなかった。
雨だから昼休みも会えない。

まだ怒っていたらどうしよう。

こういう場合はどういうタイミングで謝ればいいんだろうか。
電話して謝る?  会いに行って謝る?
でもそもそも阿部くんはオレに怒っているんじゃない、のかも。
もしそうだったら謝ったりしたら逆に怒らせるだけかも。
こんなことならおととい恥ずかしくても普通にしてれば良かった。
大体拗ねるなんて、オレにそんな資格ない、のに。



午後に田島くんが 「花井に辞書借りてくる」 と言いながらオレを見た。
目で 「いっしょに行く?」 と聞いている。
どうしよう、いっしょに行きたい、けど行くのが怖い。
またもやぐるぐるしながら決めかねていたら田島くんに腕を掴まれた。

「行こうぜ? 三橋」
「う・・・・・・・」

強引に引っ張られて 「あ」 とか 「う」 とか慌てているうちにどんどん阿部くんの教室が近くなる。
あぁどうしよう。 怒ってたらどうしよう。
でも、田島くんの用事に付いていくだけだし。
それに実を言うと。
すごく顔が見たい。 会いたい。
もう怒ってても何でもいいから、声が聞きたい。

そう願う気持ちのほうが強くて、もうすぐ会える、と思ったら嬉しくてどきどきした。
けどもう少し、というところで。

「お、三橋、ちょっと」

次の時間の英語の先生に呼び止められた。 田島くんも 「え?」 という顔で立ち止まった。

「自習用のプリント渡すから取りに来てくれ」
「え、センセー、もしかして自習ですかぁ?!」

けろりと聞いたのは田島くんだ。 目がきらきらしている。

「前半だけな。」
「なーんだ」

小さく田島くんはつぶやいて、ちぇっ て顔をしながらも続いて
「センセー、何で三橋なんですかぁ?」
と聞いたもんだからオレは別の意味でどきどきした。 
いつも思うけど田島くんてすごい・・・・・・・・

「日直だろう?」

あ、 と思い出した。 確かにそうだった。

「ふーん」 と何だか不満気な田島くんに努力して笑いかけた。

「オレ、行かなきゃ」

笑いながら心の中ではひどくがっかりしていた。
また会えない。 もう少しだったのに。
じんわりと胸に広がったのは寂しさだった。
不安で、寂しい。

次の自習時間にプリントをぼけっと眺めながら寂しさに耐える。
阿部くんはきっとこんなふうに不安になったりしないんだろうな。
もちろん阿部くんだって時には変になることもある。
一番多いのは怒ることだけど。
それ以外にも慌てたり落ち込んだり、ごくたまには泣いたりすることもあるのを
オレは知っている。 けど。
こんな何でもないようなことで不安になったり、2〜3日会えないくらいで寂しくなったり
しないんだろうな。  オレじゃあるまいし。


その日の放課後、オレはありったけの勇気を総動員した。
会いに行って、そして 「数学教えてください」 と言ってみよう。
それでどういう顔されてもその時考えよう。
とにかく顔を見に行こう。

なのに日直の仕事に手間取って、終わった時はもう人がまばらになっていた。
試験勉強で早めに帰る人が多いせいだと思う。

昼間と違って一人で自分の意思で阿部くんの教室に向かう。
近くなると緊張のあまり足が震えた。
ドキドキしながらそっと中を覗くと。
もう阿部くんはいなかった。
阿部くんだけじゃなく、花井くんや水谷くんもいなかった。
緊張していた分 どーっと力が抜けて、へなへなと座り込んでしまった。
でも廊下を歩く人の不審気な視線を感じて頑張ってまた立ち上がった。
歩き始めたらもう勇気の元みたいなのが空っぽになっている気がした。



その夜は携帯を開けることすらできなかった。
もう、ダメかも、しれない。

ふとそう思ったら涙が滲んで、慌ててごしごしと拭った。
いくらなんでも悪く考え過ぎだと思う。
会えないからだ。 会えたらきっとこんな不安なんて消えるのに。 消えてほしい。

勇気の元といっしょに他も空っぽなような感じがする。
胸に穴でも開いているような物悲しい気分。 すかすかしている。

会いたい、なぁ・・・・・・・・・・・・・・・

思っているうちにいつのまにか眠っていた。






○○○○○○○

翌日目が覚めた途端にいきなり寂しくなった。
起きた瞬間に寂しいのってすごく嫌な感じ。  起き上がるのも億劫になる。
でも起きないと。  学校に行けば阿部くんに、 会えるかも。

そう思ったら起きることができた。
何だか随分長いこと顔を見てない気がする。 ほんの数日なのに。
きっと不安があるからだ。 何もなければいくらオレでもこんなふうにはならない。

怒ってるかもなぁと思うけど。
そう思うと怖いんだけど、それよりも今は寂しい、のが大きい。   
学校に行けば会える、かもしれない。  行かなければ絶対会えない。

それだけ考えながら支度した。

1時間目の授業中に今日こそ、会える、と思った。
昼休みに嫌でも。 怖いような、嬉しいような気がする。
不安で楽しみで緊張してどきどきする。
こういう時思い知らされる。
野球以外でも。
こんなに阿部くんの存在が大きくなっている。
普段しょっちゅう会えるからあまり意識しなくて済むけど。
何かの拍子にこうやって突きつけられる。  その度にいつも不安になる。

こんなでいつか来る別れの日に耐えられるのかな、 と。





そんなふうに阿部くんのことで頭がいっぱいになっていたから
音楽室なんて思いがけない場所で阿部くんに偶然会ったとき、
一瞬 会いたいという思いが見せた幻かと思ってしまった。

次に 「怒ってる、かな」 と頭を掠めてびくびくした。
けど、阿部くんは最初こそ驚いたような顔をしたもののすぐに
いつもの自信に溢れた顔になって、それからまっすぐにオレのほうに向かってきた。
オレは。

どうすればいいのかわからなくて動けない。
怒っているようには見えない、ような気がする。
でもちらちらと見ているうちに顔がまた微妙に変わって怖い感じになった。
目が怖い。 何だか怖い。
背中が壁に当たって初めて、いつのまにか無意識に後ろに下がっていたことに気付いた。
これ以上は下がれない。
けど、逃げたくない。 ここで逃げたらまたもっと悩むことになる。 それは嫌だ。
阿部くんの顔が怖いのが怖いし、黙っているのも怖いけど、逃げたくない。
心臓が破裂しそうだけど、逃げたくない。

緊張しながら固まっていたら阿部くんの指が唇に触れた。 優しい触れ方だった。
それでわかった。  きっと、阿部くんは、もう怒ってない。
ホっとして泣きそうになって それから。
キス、してほしいな  と思った。
だって、今触れられた唇が熱い。
こんな場所でそんなことして誰か入ってきたら困ったことになるな、  と思ったけど、
でもしたい。 







だから嬉しかった。

阿部くんが怒ってなくて嬉しい。  会えて嬉しい。  キスできて嬉しい。

あんなに寂しくてぽかっと穴が開いたみたいなところがどんどん満たされていく。


オレね。  寂しかったよ、阿部くん。
数日顔を見れなかっただけで、本当にとても、寂しかったんだ。
怒らせたのかな、て不安だったし、寂しかった。
そんなこと言ったら阿部くんは呆れたように笑うのかな。
「会わなかったのたった2日だろ?」 て言われるかな。

ぼーっと考えながら、時折 ふっと離れるたびに足りなくなって、
もっと、と願いながら目を瞑っているとまた温もりが戻る。 
嬉しくて、ずっとこうしていたい。
でもチャイムが聞こえた。
温もりが離れて、もう戻ってきてくれない。
仕方なく目を開けて阿部くんの顔を見た。 すごく優しい目だった。
ぼぉっ とその黒いきれいな色に見惚れていたら声が聞こえた。


「ごめんな」


一瞬よくわからなかった。
なにが ごめん なんだろう・・・・・・・・・・
思ってから気付いた。 きっとこないだのことだ。
慌てて顔を振った。  振りながらびっくりしていた。
オレ、全然怒ってなんかいないのに。 (拗ねたけど)  阿部くんはそう思ってたんだろうか。
怒ってるどころかオレは、  オレはね。



こんなこと言ったら笑われるかなぁ。
バカだと思われるかもしれないな。   実際バカだから別にいいんだけど。
でもオレ、本当にこの2日間すごく。
・・・・・・て言ったら阿部くんはどう思うかなぁ。
うざいとか重いとか思われるかもしれないな。  バカと思われるよりそっちのが悲しいな。



瞬間的にまたいろいろと考えちゃったけど。

それに、恥ずかしくて目を見てられなくて俯いてしまったけど。


やっぱり何だかわかってほしくて伝えたくて、   オレは勇気を出して口を開いた。

















                                           たとえ愚かと思われようと 了

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                                                 「オレも」と言ってもらえるから大丈夫