それぞれの葛藤





*** ABE ***






めくった白い紙に書かれたその文字を読んだ時、瞬間思ったことは。

「よりによって」

だった。






そりゃあさ、盛り上がるのはわかる。
お祭りの高揚感も手伝ってどさくさ紛れに (あるいはやけくそ気味に)
公表しちゃうヤツだって大勢いるし。
それがきっかけで、それまでは片想いだったのが本当にカップルになることだってあるし。
だから別に プライバシー侵害だとかまでは言わないけど。
でも中にはそう簡単に開き直れないヤツだってたくさんいる。 絶対いる。
だって自分だけのことじゃねーもん。


『恋人。  もしくは好きな人。』


見間違いようもなくそう書かれた小さな白い紙切れを睨み付けながら、オレは途方に暮れた。
でも残念ながら今はのんびりしていられる状況ではない。
同じように白い紙片を手にした他のクラスの連中は、
次々と目当てのもの (とか人) に向かってダッシュを開始している。
ぼけっと突っ立っていられる場合でもなければ、
熟考して一番いい方法をじっくりと吟味している時間的余裕も全然ない。
応援席の歓声をやけに遠くに感じながら、
オレはゆっくりと、紙に書かれた単語の該当人物を見た。

それほど遠くない場所にいるその、茶色い髪と目の持ち主は予想したとおりオレを見ていた。
かっちりと、目が合った。

そのまま三橋のところまで全力で走って有無をも言わせずに腕を引っ掴んで
ゴールまで走る自分を思った。  正直言うと。
そうしたい。

それで誰に何をどう思われようがオレは一向に構わない。
むしろそれで三橋に近づく悪い虫が少しでも減ればオレにとっては好都合、だ。
オレはあいつさえいればそれでいいし。
もちろん、それによって噂されたり中傷されたりするリスクもあるだろう。
でも野球部の中では、それはない、ような気がする。 何となくだけど。
だったら何の問題もない。 いいことづくめだ。

それらのことをオレは1秒くらいで考えた。
そして よし! とばかりに走り出そうとして。

走り出せなかった。
三橋の顔がその瞬間明らかに引き攣ったのが見えてしまったからだ。
そう。 いいことづくめのはずのこの考えには1つ、重大な問題点がある。

三橋が嫌がる。
多分おそらく、じゃなくて間違いなく嫌がる。

何で嫌がるんだろう、と実は不満を感じるけど、常識的に考えればわからないでもない。
誰だって 「同性と付き合っている」 と堂々と言うのは勇気が要るだろう。
一般的じゃないからだ。
オレと違ってあいつは中傷だって怖いだろう。
いくらオレが守ってやる、と言ったところで
まさか四六時中べったり張り付いているわけにもいかないから、
オレの知らないところで嫌な目に絶対合わないという保証はない。
それはオレにとっても本意じゃない。

(でもオレは)

本当言えばオレは世界の中心で愛を叫んだって構わないんだ。
だから体育祭の借り物競争で 「恋人=三橋」 と暴露するくらい
への河童というか朝飯前というかお茶の子さいさいというかとにかく全然問題ないどころか
むしろ積極的にぜひ手を繋いでゴールまでお連れしたい気満々なんだけど。

(でももし)

それで三橋が怒ったら。
あるいは泣いたら。 (こっちの確率のが圧倒的に高い)
それだけならまだしもそれが原因で気まずくなったりしたら。
さらに噂とかに耐えられなくなった三橋が 「別れる」 とか言い出したら。

以上のことをオレは今度は1.5秒くらいで考えた。
三橋に振られる、という想像をしただけで、ざっと血の気が引くような嫌な感覚に襲われた。
オレの視界の真ん中にいる童顔の想い人は、引き攣った顔のままオレを凝視している。

(まてよ・・・・・・・)

ふと、気付いた。
考えてみればオレたちはバッテリーだ。 バッテリーといえば夫婦だ。
「恋人」 のカードを引いたやつは大体ゴール後に司会のやつが寄ってきて
なんだかんだと聞いてくるから、その時に
「夫婦なんだから恋人以上でしょう?」
とかなんとか答えれば、真面目に受け止める人間はほとんどいないんじゃねーか?
仮にいても、 「しゃれのわかんねーやつ」 で笑って流せばいいんだうんいい考えだぜ!!!

以上の思考を次のコンマ5秒の間に巡らせ、そして結論を出した。

三橋の元に最短の時間で着くために、オレは足にぐっと、力を込めた。





















*** MIHASHI ***




もうすぐ、阿部くんの番だなぁと思ったところで。

「阿部のは何だろうな!」

隣の田島くんが、オレがさっきから考えていることを楽しそうに声に出して言った。

「恋人、 だったらオモシれーな!」

田島くんの声は相変わらず弾んでいるけど。
オレは内心気が気じゃない。  だから今度は考えていたことと少し違った。
オレの思っていたことは。

(「恋人」、 だったらどうしよう・・・・・・・・・・・)

だったから。
1組に1枚の割合で紛れているそれを、阿部くんが引く確率は低くない。
そもそも、オレが借り物競争を選択しなかったわけはそれもある。
もし、阿部くんがそれだったらどうするんだろう、というのは
実はこの競技が始まる前から漠然と考えていた。

オレのところには来る、わけはない、と思う。
だってそんな、恐ろしいこと。
阿部くんだって、知られるのはイヤだろう。 せっかくもてるんだし。
オレと付き合ってる、なんて、とんでもないことをわざわざ公表する気はないはずだ。

そう自分に言い聞かせながらもオレは一抹の不安を感じる。
なぜって阿部くんはたまにすごく無防備なことをするから。
鋭い人にはわかっちゃうんじゃないか、というようなことを
人前で平気でするから慌てることがたまにある。
もしかしたら 「隠したい」 という気持ちがオレより薄いのかもしれない。
でもオレは知られるのは恥ずかしい。 それに怖い。 
阿部くんに申し訳ない気もする。  だから実際来られたら困る。 
・・・・・・・嬉しい気もするけど。
でもやっぱり困る。

けどじゃあだからといって阿部くんが他の誰か、のところに行っちゃったら。
それはそれで。

(ショック、かも・・・・・・)

うっかりそう考えてしまった自分に軽い自己嫌悪を覚えた。

(オレ、図々しい・・・・・・・・・・・・・・)

そんなふうに勝手にいろいろ想像して赤くなったり青くなったりしているうちに
阿部くんの番が来た。 阿部くんが借り物の書かれた紙を手に取るのを、
自分のことのように緊張しながら見守っていたら、次に阿部くんはオレを見た。
どきりと心臓が跳ねた。

「お? こっち見てねー?」

田島くんのうきうきした調子の言葉は当たっている。
阿部くんは、 オレを、 まっすぐに見ている。  難しい顔で。

(まさか)

内心で慌てふためいているうちに阿部くんの表情が変わった。
来る。

と、 わかった。
瞬間思ったことは、  「逃げよう」  だった。
逃げてしまおう。 どこか、後ろのほうに。

そう思ったところで阿部くんの表情が曇った。
やめた、のかな とホっとした途端に、またもや阿部くんの顔が変わった。
それでオレはもう何も考えずにくるりと後ろを向いた。

「あれ? 三橋どこ行くんだー?」

田島くんの訝しげな声に答える余裕もなく、
人を掻き分けるようにして後ろのほうに一歩、足を踏み出した。



















*** HANAI ***




阿部がクラスの連中に責められている。
その様子を見ながら、オレはため息をついた。

「何でちゃんと走らなかったんだよ?」
「いないならいないで、適当に誰かに頼んで連れていけば良かったのに!」
「ほんとはいるんじゃねーの?」

責める調子の、あるいはからかう調子の声を阿部は黙って全部聞き流している。
淡々とした表情で何も考えてないみたいにも見える。
でもきっと心の中で、泣いている。
それなりに長い付き合いのせいでオレにはわかる。

「いーじゃん、別に総合順位に支障はなかったんだしさ」

オレの出した助け舟に、文句やからかいの言葉をぶつけていた連中も
それもそうだな、と思ったのか、それ以上追い討ちをかけるやつはいなかった。
オレは何気ないフリで阿部の隣に移動した。

「・・・・・サンキュ。 花井」

相変わらず表面は普通の顔をしているけど、声に力がない。
相当落ち込んでいるんだな、 とわかった。

正直言うとオレはホっとしていた。   
てっきり阿部は躊躇なく三橋を引っ掴んで、
引き摺ってでもゴールまで走るんじゃないかと思っていた。
でもそれはやっぱりまずい気がする。
野球部全体が好奇の目で見られるのは必至、という気がしたし
それが原因で三橋が情緒不安定になって部だけでなく、
阿部にとってのダメージも大きいんじゃないか という不安が湧いた。
だから一度は三橋のいる方向に走りかけた阿部が途中でぴた、と止まって踵を返して
結局1人でゴールまで走ったことで当然失格になった時、無意識に安堵のため息が漏れた。

だから本音を言えば 「よくぞ思い留まってくれた!」 と100回くらい肩を叩いてやりたいくらいだ。
でも阿部が留まったのは部のためなんかじゃなくて絶対三橋のためだ。
こいつはそういうヤツだ。
とはいえ、内心ではおそらく落胆だの憤懣だの、やり切れない思いでいっぱいだろう、
ということも容易に想像がついた。

「・・・・・・・三橋のためには良かったんだよ、きっと」

慰めを込めて、ぼそぼそと言ってやる。

「わかってるよ」
「気持ちはわかるけどさ」
「でもオレ、本当は連れていきたかったんだ」
「・・・・うん」
「けどあいつ、逃げ出しやがるんだもんよ・・・・・・・・」

同じようにぼそぼそとつぶやく阿部の顔があまりにも悄然としているんで、
本気で同情の気持ちが湧いた。

「偉いよおまえ」
「・・・・・・・そう思うか?」
「うん思う」
「・・・・・・おまえ、いいヤツだよな」

しみじみと言われて内心で少し照れてしまって、一瞬何やら温かい心境になってしまったんで。

次に阿部の口から漏れた

「オレ、卒業式で 『三橋はオレのもんだ』 って壇上のマイクでがなろうかな・・・・・・・」

という本気とも冗談ともつかない恐ろしい言葉はもうさっくりと
聞かなかったことにしたんである。
















                                                 それぞれの葛藤 了

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