その言葉ひとつだけで





それほど多くはない 「暗黙の禁止事項」 の1つを破ってしまったのは
オレのほうがもう耐えられなくなっていたからだ。

三橋との付き合いの中で、話し合ったわけじゃないけど
「これはしない」 ということが幾つかある。

その1つが 「誰かに見られるおそれのある場所では恋人としての接触はしない」 ということ。
部室で触る時だって鍵を閉めてるし、部室棟にもう誰もいない(であろう)
時間帯のことが多い。
1回だけ、放課後の無人の教室でキスしたことがあるけど、ほんの1秒くらいだ。
だからつまり一応オレだって概ねは守っているわけだ。

けどその時オレたちは喧嘩していた。
でも大して深刻とも思えない喧嘩で。
だからすぐに戻るだろう、と高をくくっていたオレだけど、
意外にもその時三橋はいつまでもへそを曲げていた。






○○○○○○○

平気だ  と思ってた。
大した喧嘩じゃないし。
どっちが悪いかってーと、どっちも悪いようなどっちも悪くないような
要するにベッドの中のことでオレのしたいことと三橋のしたくないことが
一致しちゃってたりまぁそういうしょーもないことで、
結局オレが押し切ったわけだからオレが悪いのかもしんないけど、
客観的に考えればいわゆる 「痴話喧嘩」 という部類に入るんじゃないかと思う。

少なくともオレには喧嘩した、という意識はなかった。
その日は泊まれなかったんで、その後途中まで送っていった時三橋はずっと俯いていたけど
恥ずかしがっているんだろうと思って (よくあることだし) 気にしてなかった。
だから翌日の朝、部室で三橋に微妙に目を逸らされたとき、
なんでなのか一瞬わからなかったくらいだ。

練習の時は普通だった。
でもそれ以外では寄って来なかった。  こっちから近寄ろうとすると逃げた。
それでようやく 思ったより怒ってんだ、 とわかった。
その日は1日避けられた。
皆と帰る時も隣にいない。
皆でコンビニに寄って食いモン買って食う時も離れたところにいた。
たったそれだけのことなのに。

その翌日(つまり喧嘩してから2日目) 目が覚めたら
胸の中に小さな鉛みたいなカタマリができていた。
でも大丈夫、と考えて、意識してそのカタマリを散らした。
どうせ練習の時は話さないわけにはいかないんだし、まだ怒ってるようなら謝っちゃおう。
そう思ってから気付いた。
今日から部活がない。  試験が近いからだ。

その日昼休みに三橋は屋上に来なかった。 少し焦った。

だから午後になって花井が
「部の連中が放課後図書室で数学教えてほしいってさ」
と言った時、 しめた と思った。
とにかく顔が見れる。 様子がわかる。

なのに三橋はそこでも来なかった。

「三橋は?」

誰にともなく問うと 「用事があるって帰った」
田島が答えた。   本当に用事があるのか、それとも。
オレに会いたくないのか、 と嫌な考えが拭えない。

その夜ベッドに寝転んで携帯を開けたり閉じたりしながらオレは考える。

どう考えても大丈夫、と思う。
別にひどいことをしたわけじゃないし。 深刻な事態とは思えない。
きっと本当に用事があったんだろう。
わざわざ電話して謝るほどのことでもない。
自分に言い聞かせて安心してから眠りについた。

なのに。
3日目の朝目が覚めたらまたカタマリがあった。  しかも少し大きくなっていた。

平気だ、 と思ってまたそのカタマリを捨てた。
これくらいで壊れるような仲じゃないし。 長引くような喧嘩じゃないし。
冷静に考えると悩んでいるのがバカバカしく思えて気が軽くなる。

それなのに午前中のうちにいつのまにかまたカタマリが戻ってた。 
理性を総動員して落ち着いて考えて、また捨てた。

けどまた戻ってきた。  戻ってくる間隔が短くなってきた。
たとえば授業の前に捨てたはずなのに授業が終わる頃になると戻ってる。

捨てても捨ててもしつこく戻ってくる。

間の悪いことにその日は雨で昼休みも屋上に行けない。
晴れていたら三橋はどうしていたか、なんて考えても埒が明かない。

午後になって田島が毎度のごとく花井に辞書を借りにやってきた。
いつもはいっしょにくっ付いてくる三橋がいない。

なんで?
まだ怒ってる?
それとも翌日避けちゃったせいで引っ込みがつかなくなって勝手に気を回して気まずくなって
勝手に落ち込んでいるだけかも。 (すごくありそう)
だから別に気にするほどのことはない、 と思う。
でもとにかく何をどう考えても屈託なく笑う田島の隣に三橋はいない。 それは確かだ。
それだけのことがこんなにも。

「寂しい・・・・・・・・・」

口に出してつぶやいたらもうごまかせなくなった。

押しても引っ張っても鉛みたいなカタマリが消えなくなった。

しょうがないから開き直って今度はそのカタマリを観察してみると。
芯のとこに 「不安」 がある。
回りにたくさんの 「寂しい」 がくっついてる。
それに 「苛立ち」 とか 「焦り」 とかいろいろ少しずつくっついてる。

でも一番多いのは 「寂しい」。

たかだか2〜3日接触がないだけで。
多分真ん中の 「不安」 がなければ平気なんだろうけどそれにしても。


いつのまにかどうしてこんなにあいつの存在が大きくなってるんだろう。
理屈でいろいろ考えてもダメなんだ。
感情が言うことを聞かない。
片想いの頃さんざん思い知ったことだけど。
でも今は両思いなんだから、 こんなに凹むなんておかしい。 どうかしてる。

とか思ってもむなしい。
どかん、とカタマリは厳然とあって、理性でいくらあれこれ前向きに考えても
減りもしなければ動きもしない。
まるでオレを嘲笑うかのように。
むしろ理屈でどうにかしようとする己のアホさ加減が身に沁みる始末。

あいつはわかってんのかな。
未だにオレとのことについては自信なさげな言動をされることもあって
そのたびにぐったりすんだけど。
オレがこれだけのことでこんなんなっちゃうって、 あいつわかってんのかな。

むしろあいつのがよっぽど強いんじゃねーか?
オレなんかいなくても (球さえ受けてれば) あいつにとっては何てことないんじゃねーのか?
実際オレを避けてんだとしたらつまりそれだけ平気、 てことだろ?


三橋にとってオレの存在って何だろう。  野球以外で。



そんなことを教室の窓から、
まるでオレの心を映したかのようなどんよりした空を眺めながら ぼーっと考えてみる。


カタマリに 「やるせない」 まで加わった気がした。







○○○○○○○

4日目の朝。
目が覚めたら鉛みたいなカタマリはさらに一回り大きく育っているのがわかった。
どんどんでかくなる。 しかも加速度がついてる気がする。
どうすりゃなくなるんだこれ。
もちろんわかってる。
謝って許してもらえばいいんだ。
でも三橋が逃げ回ってるから (あるいは偶然が重なって) できない。

教室まで会いに行こう。 昼休みにでも。

オレはそう考えた。
自分から行かない限り会えないかもしれない。 
期待するのも意地張るのもやめて会いに行こう。
体が (というかココロが) もたない。

カタマリを持て余しながらそう決めた。




だから、2限目の休み時間に忘れ物を取りに無人の音楽室に入って、そこで
三橋の姿を見た時ひどく驚いた。 (だってまさかそんな所で会うなんて)

三橋は三橋で多分同じくらいびっくりしたんだろう。
目を丸くしてオレを凝視したままぴくりとも動かず固まっている。
2人してびっくりしながら数秒見詰め合った。

我に返ってから思った事は 「逃がさない」 だった。
何だかすごく久し振りに顔を見た気がする。 心臓がばくばくするのがわかった。

固まっている三橋のほうにゆっくりと、近づいた。
三橋は逃げない。
目を逸らして、でもまたちらりとこっちを見て慌てて逸らしたりしている。
けどあと1メートル、というところでじりっと後ろに下がった。

構わずにまた近づいたらまた下がった。 そしてそこで止まった。
後ろの壁に当たってそれ以上は下がれなかったからだ。
でも必死で逃げようとしている感じでもない。
そのことに縋りながら黙ったまま正面まで寄っても
目は少し泳いでいるものの、やっぱり逃げようというそぶりは見えない。

唐突にどうしようもなく抱き締めたい衝動に襲われた。

それを辛くも抑えて手を伸ばしてそうっと、指で唇に触れた。
ドキドキして、バカみたいに緊張しながら。

三橋の肩が微かに震えた。 でもそれだけだった。 拒絶はない。

暗黙の禁止事項が頭を掠めた、けどどうでもいい。
まだ怒っているのかな とか
こんなとこでキスなんかしたら嫌がるんじゃないかな とか
いろいろな小さな不安が一瞬渦巻いたけど。

それらは無理矢理押し込めて今度は唇で触れた。
また少しだけ肩が揺れたようだけど、抵抗はない。
軽くするだけのつもりだったのに。
触れてしまったらやめたくなくて、そのうち我慢できなくなって舌を差し入れた。
柔らかい三橋の舌を捉えると控え目に応えてくれるのがわかった。

泣きたいくらいホっとして夢中になって隅々まで味わった。
時々離して至近距離で顔を見ると、
三橋は頬を染めて目を閉じたまま睫を震わせているだけでじっとしている。  だからまたする。


しんと静かな音楽室で。
2人でこっそりと唇を合わせる。
深く合わせてると時折濡れたヤらしい音なんかもして、三橋の吐息にも間違いなく艶が滲み始めて。
遠くからかすかに生徒の喧騒が聞こえてくるけど
その健康的なざわめきとやっていることがひどくちぐはぐで、
そのせいで罪悪感みたいなものも湧いてくるんだけど
そんな後ろめたさにも煽られてしまう。 止まれない。

いつまでもしていたかったけど、時間はきっちりと過ぎて
無情なチャイムの音が鳴り響いたことで我に返った。
名残惜しく口を離して目の前の顔をじっと見た。

三橋も目を開けて視線を逸らすことなくオレを見た。
潤んだ目と濡れた唇が色っぽい

頭の片隅でちらとそんなことを思った。



「ごめんな」

囁くとふるふると顔を横に振ってから、ついと俯いてしまった。

それから小さな声が聞こえた。




「さみし かった」




胸のカタマリがきれいに、 跡形もなく消えていった。















                                            その言葉ひとつだけで 了

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                                              三橋は勝手にぐるぐるして落ち込んでいた模様。