ささやかな苦労





瞬間ひらりと赤い舌が踊った。

「アチ」 という声とともに。

もちろん三橋に何の思惑も下心もないことは百も承知の阿部だったが。
あやうく持っていたカップ麺を取り落としそうになって慌てた。
そんな阿部の密かな焦りなど知ることもなく、三橋はふにゃりと笑って言った。

「オレ・・・・猫舌・・・・・なんだ」

(あぁそうですか)
(そういえばあっついもん食うときはいつも一番遅いっけね。 そうですネ。)

阿部はそう思いながらあくまでも平静を装って、かろうじて死守したカップ麺の続きを
かきこんだ。

年が明けて初詣を口実に誘い出して、2人でお参りしたその帰り。

昼下がりの人気のない公園のベンチで、近くのコンビニで買った麺にお湯を入れてもらったのを抱えて
2人して食べている穏やかなひととき。
三橋はまた 「あつい・・・・」 と言いながら冷たい空気をすうすう吸って舌を冷ましている。
半分ほど口の外に出したまま。

(・・・・・目の毒。)

てか心臓に悪い。

阿部は内心でこっそりつぶやいた。

三橋と付き合い始めてから随分経つのに、もっとヤバい表情や様子を見ることだって
それなりの頻度であるのに。
阿部は未だにこういう何でもないときに
三橋が無防備に晒す所作の色っぽさ (と果たして言えるのかどうかというのはさておいて) に
慣れることができないでいた。

(・・・・・・天然ヤロウめ・・・・・)

問題は、    と阿部は最後のツユをすすりながらぼんやりと考えた。

(こういう目の毒を他の連中がいるときにでも無自覚にやらかすことなんだよなぁ・・・・・・・)

その度にやきもきする自分の身にもなってほしい。
もちろん、阿部とて自分の目が対三橋においては相当トチ狂っていることを充分自覚していたので、
他の人間が同じものを見ても全然、何てことない、ことだってたくさんあることはわかっている。

が。
もし、 もしもである。
「へえ、三橋ってかわいーな。」 とか何とか、
あるいは 「まぁ、三橋くんて構ってあげたくなっちゃうv」 とか思う輩がいたらヤだな、
という漠然とした不安を捨てきれない。
どころかいつもそれで心配してる、と言っても過言ではない。

そんなふうに毎度お馴染みのぐるぐる思考にハマりそうになって
慌てて頭を振って払おうとした阿部の目に飛び込んできたのは。

少し顔をしかめてまたもやひらひらと舌だけ出している三橋の姿だった。

まるで誘っているかのようなその、 赤い舌。

ぷつり。

と、簡単に理性の糸がキレてしまったのは 
周りに誰もいないな、と先刻確認済みだったせいか。
けど、阿部は辛くも踏みとどまった。  外だし。  代わりに憮然として言った。

「三橋、それヤメロ。」
「へ?」
「その、舌を出すの、やめてくれ。」
「・・・・・・え・・・・・」
「てか、オレだけのときはいいけど、他のヤツの前ではすんなよ!!」
「・・・・・・何で・・・・・?」

言いながらまた痛そうな顔をしてちろりと、出した。

(・・・・・コノヤロウ・・・・・)

今度は何がしかの怒りが加わったせいで、かろうじて繋ぎとめていた理性が
すいっと飛んで行き、阿部は己の欲求に忠実に動いた。
つまり、その赤い美味しそうな舌を、自分のそれで素早くぺろりと舐めたのである。

「!!!!」

言葉もなく三橋は真っ赤になった。
ぱくん! と口を閉じた。

「・・・・・・こーゆーこと、したくなんだろ!!」

わかっているんだかいないんだか、急いでこくこくと頷いている三橋の様子に
阿部は心中でぼやいた。

(・・・・・ったくもう・・・・・・・)

結局は何にもわかってないような羞恥に染まる表情を眺めながら
「・・・・・うどんの味がした。」  と言ってやる。
ますます赤くなった三橋の顔に一応満足しながら阿部は
(これくらい意地悪言っても許されると思う)  などと考える。

強調したいのは本当は 「皆がいるとこではするな」 というほうなんだけど、
多分三橋はわかってない。
でも阿部はそこのところをことさら強く主張することができない。
どうせもう己の嫉妬深さはバレてるんだし、今さらだという感は拭えないもののそれでも
狭量な独占欲を情けなく思う気持ちが消えてなくなるわけではない。

(オレの心配をちっともわかってくんねーんだもんな、こいつはよ。)

ぶつぶつと心の中だけで文句を垂れる阿部の前で、三橋は慌てたように続きを食べ始めた。
ふと、気になっていたことを何気なく聞いてみる。

「さっきさ、何かお願いした?」
「・・・・・ふぇ?」
「だから、お参りしたとき」
「・・・・・・う、ん」

もぐもぐと口を動かしながら三橋は頷いた。

「なんて?」
「・・・・・・え・・・・あの」
「うん」
「・・・・な、ない、しょ」

言いながら三橋はまたふにゃっと笑った。  だけでなく、頬をぱーっと染めた。
うっ と阿部はまた内心だけで呻いた。
期せずして墓穴を掘ったような気分に陥る。

「あ、阿部くん、は?」

逆に聞かれて今度は自分の顔が熱くなる番だった。

「・・・・・・・オレも内緒」

言えっかよ、 と思いながら  (同じことだと、いいな) と願っていた。
1つは多分同じだろう。 おそらく高校球児なら誰だって。
でももう1つは。

目の前にいるその切なる願いの対象である張本人は、すでに無心に食べることに専念している。

(今年も1年、自覚のないこいつにいいように振り回されるんだろうなぁ)

ぼんやり思いながら、そのくせ頬が緩んでいることを阿部は自覚していない。

まったく何でこんな筋金入りの天然くんに惚れちゃったんだか、と
阿部は心中でため息をつきながらも でも続いて、

(早く食べおわんねぇかな・・・・・・・・)
(そしたらもう一回ちゃんとキスしてーな。   それまで誰も来ねえといいな)

などと不埒な考えを巡らせている自分に気付いて、今度こそ、こっそりと笑ったのだった。













                                                 ささやかな苦労 了

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