最優先事項





阿部がクラスメートの女子に数学を教えてやっている。
それは別に珍しい光景じゃない。
阿部が数学に強いのは皆知っているし、
男女問わず 「教えて」 と寄っていく輩が2〜3日に1人くらいはいる。
阿部も時間があればそれなりに親切に教えてやっている。

けど、今回のは明らかに毛色が違うようだ。
なぜなら連日、同じ女の子が行く。
目をきらきらさせて。 少し頬を赤らめて。
いささか、ヤバい感じだ。   あの子は多分、阿部のことを。

そんなことをぼんやり考えながら見るともなしに見ていたら、
教室の入り口に見慣れた姿がちらりと掠めた。  小柄で茶色い髪の。

オレはちょっと心配になった。
けどそんな心配は無用だった。
教えてやるのに没頭しているように見えた阿部は つと、顔を上げると

「わりぃな、後は自分でやって」

と言うなりさっさと立って廊下に出て行った。
いつも思うけど阿部には三橋アンテナが付いてるとしか思えない。
廊下で無事に三橋と何やら話しているのが見えて、オレは他人事ながらホっとした。
何しろ三橋はああいう性格だから、勝手に深読みして
簡単に落ち込んで簡単に調子を崩さないとも限らない。
それは友人として気掛かりでもあるし、主将という立場上でも避けたいところだ。

けど。 オレの安堵とは対照的に置いて行かれた女子のほうは、
あからさまに面白くなさそうな顔をしていた。

(どうすんだ阿部・・・・・・・・)

とか思ったものの、大して心配もしてなかった。 その時点では。



でも、そんなことが何回か重なった。
三橋が休み時間に9組まで来ることなんてそんなに多くはないから、
それだけその女子が頻々と何だかんだと理由をつけては阿部のところに来ていた、わけだ。
そして三橋が来るたびにあっというまにそっちに行ってしまう阿部。
そのたびにムっとして不満気な顔になる彼女を何回か目にして、
オレの心配 (というか予感というか) は少し、大きくなった。

ある日ついに女の子がキレた。
それをたまたま近くで聞いてしまったオレはもう、そういう星巡りの元に生まれたとしか思えない。

「もう! また?!」  とその子はやや大き目の声で言った。
「あの子って阿部くんの何なの?!」
「旦那」

平然と、阿部は言った。

「だ、旦那??」

彼女は面食らったようだった。

「あいつはオレの投手。」
「あぁ野球の・・・・・・・・・・・」

ちょっと考えてからその子は言った。

「でも部以外ではそこまで優先する必要ないんじゃない?」

命知らずな・・・・・・  とオレは思った。

「女房が旦那に一番に尽くすのは、当たり前だろ?」

案の定、阿部はぬけぬけと言って、笑った。
女の子は絶句して顔を引き攣らせた。
そして三橋のほうへいそいそと去っていく阿部を怖い顔で見送った。

その顔を見てオレは今度こそ嫌な予感がした。
その子がクラスの中でも結構気の強い、というか強引なほうの子だったからだ。






○○○○○○○○

オレの嫌な予感は当たった。
それから程なくして三橋が全く来なくなった。
三橋が阿部に会いにくる理由の9割は「忘れ物」を借りにくることだったから
(阿部が何か忘れたら自分のとこに来い、と厳命しているらしい)
忘れ物をしなくなった、 なんてことはあるはずがない。
誰か別の奴に借りに行っているに違いない。  他のクラスの、例えば、栄口とかに。
そして阿部がそんな三橋の変化に気付かないはずがなく。
なぜわざわざ遠くの教室まで借りに行くようになったのか、
オレの予想が当たっていれば、一波乱あるのは必至だ。

そしてやっぱり予想は当たっていた。

その女の子が友達と話しているのをまたたまたま (やっぱりそういう星巡りなんだ・・・・・・)
耳にしてしまった。

「えー? 本当に言ったんだ」
「うん、だって我慢できなかったんだもん」
「阿部くんにつきまとわないで、 って?」
「あの子が来るとすぐに行っちゃうんだから・・・・・・・・・」
「それで何て?」
「え?  『わかった』 って言ってたよー。 大人しそうな子だったし。」


あぁ・・・・ バカだなぁ彼女。

オレは少々同情の混じったため息をついた。
元々絶対無理だったところにもってきて、さらに墓穴を掘っている。
それをオレが阿部に教えてやらなくても、 (教えてもいいけどチクるようで嫌だ。)
阿部は今の話をおそらく確実に聞き出す。 三橋本人から。
三橋は多分言いたがらないだろうけど。
あの阿部が黙って見過ごすはずがない天地神明にかけてない。

どんな手を使っても聞き出すに違いない・・・・・・・・・・・・・






○○○○○○○○

その日もその子はいそいそと阿部のそばに何か口実を作って寄って行った。
そして阿部はいつもと少し違う対応をした。
「ちょっと話があんだけど。」  と言ったんだ。
続けて 「ここじゃまずいから場所変えねえ?」  とも。
彼女は嬉しそうな顔をした。

オレは何だか気の毒になってしまった。  あの顔は絶対に誤解している。
オレには阿部の周りに漂っている怒りのオーラが手に取るようにわかる。
何であれに気付かねぇのかな。
彼女の友達がひそひそと彼女に 「やったね!」 と囁いてるのが聞こえた。
オレはオレで阿部にこっそり囁いた。

「おい阿部」
「何だよ」
「相手は女の子なんだし、あまりきついこと言うなよ」

阿部は数秒考えるような顔で黙ってから 「成り行きによる」 と言った。
こりゃダメかなぁ・・・・・・・・・・・




しばらくして教室に戻ってきたその子の顔は文字通り、蒼白だった。

あぁやっぱり・・・・・・・・・・・・・・

もうあの子は2度と阿部には近寄らないだろう。






後でオレは阿部に聞いた。

「なぁ、結局何て言ったんだ?」
「は?」
「あの女になんつったの?」

阿部は微かに笑った。 それから言った。

「今度三橋に余計なこと言ったらただじゃおかねぇ」
「げっ」
「・・・・・て言った」
「・・・・・・・阿部・・・・・・・・」
「なんだよ」
「・・・・・容赦ねーな・・・・・」
「だってあの女のせいで三橋は1人で泣いたんだぜ絶対!!!」
「それはまぁそうだろうけど・・・・・」
「これでも控え目に言ったつもりなんだけど」
「おまえ・・・・・・・・そのうち女子全員敵に回すぞ・・・・・・・・」
「別に構わねぇよ」

オレは呆れた。

「そんなに三橋が好きかよ。」
「好き」

聞いたオレがバカだった。

とオレはぐったりしたけど、  同時に少しだけ。

そこまでの相手に出会えた阿部が羨ましい、  とも思ってしまったんだ。














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