最強天然





そのクラスメートの人間性には以前から疑問を感じていた。
実のところ評判もあまり良くない。
個人的には性格だけでなく、頭も悪いと思っている。 勉強という意味じゃなくて。

だから昼休みの気だるい空気の中、目の前でせっせと宿題を写している
水谷のつむじをぼんやり眺めながら、そいつと阿部が話しているのが何となく気になった。
阿部は自分の席に座っていて、相手のほうがその前の席の椅子に後ろ向きに座っている。
もちろん自分の席じゃないから、わざわざ阿部と話すために出向いたわけだ。
そして2人で話しているというより、そいつが一方的に話しかけているようなのも
気になった要因の1つだった。
なので、意識をそっちに向けた。  つまり聞き耳を立てた。
内容を聞き取るなり、オレは僅かに緊張した。

「だからさ、数こなしてナンボだとオレは思うわけよ」

そう言い切るそいつの表情を注意して見ると、あっけらかんとはしてないし、
あまり友好的という感じでもない。
一応笑いに紛らせて目立たないように抑えているけど、
あいつは多分、阿部に喧嘩を売っている。
それも、本人気付いてないけど、およそ勝ち目のないようなネタで。

「いっぱい付き合ってんだろうなぁ阿部ってさー」

嘲るように言いながら口調にかすかに羨望も混じっている。
もしかしてそいつの狙ってた子が阿部に片想いとかしてんのかもしれない。
それが原因で振られたとか、いかにもありそうだ。
そう考えたのは、2人の近くに群れている女子の固まりに
そいつが時折ちらりと視線を走らせているからだ。
もし、わざと相手の子に聞こえるように言ってるとしたら。

「・・・・・・完全に誤算だぜ・・・・・・・」
「え? なにが?」

最後のところだけ無意識に口に出してつぶやいて、水谷に変な顔で見られてしまった。

「あ、何でもない。 終わったか?」

オレの問いに、水谷はまた慌てて5限の宿題の続きを写し始めた。
なのでオレもまた、やや離れたところにいる2人の会話 (と言えるのか疑問だけど)
に意識を集中した。  離れていても集中すれば聞こえてしまうのは、
そいつの声が普通より少しだけ大き目だからだ。

「いいよなぁもてるヤツはさ」
「・・・・・・・・・・・・・。」

阿部は黙っている。 おそらく声音に含まれている不穏な響きを察知して
一応穏便に収めようとか考えてんだろう。 わかんねーけど。

「なぁ、高校入ってから何人くらいと付き合ったんだよ?」

そこで初めて阿部が口を開くのが見えた。
一瞬冷やりとしたものが掠めたのは阿部の目が氷のように冷たいからだ。
普段からクールに見えるヤツだから目立たないけど 
(もっとも阿部がクールだなんて野球部では誰も思ってない) オレにはわかる。
でもオレの懸念に反して、阿部はシンプルに質問に答えた。

「1人」
「へ?」
「あ、違った。 2人だ一応」
「えぇ〜?!」

ようやく返ってきた阿部の返事にそいつは素っ頓狂な声を上げた。

「まーたまた。 嘘だろ?」
「嘘じゃねーよ」
「だっておまえってすんげーもてるんだろ?」
「もてねーよ」

おお阿部が気を遣っている、  と内心で驚いた。
それとも本気でそう思ってるんなら、それはそれで相当天然だ。

「あ、わかった。 付き合ったんじゃなくて遊んだんだ?」

そいつはどうしても阿部が陰でたくさんの女の子とよろしくやっている、
という固定観念を捨てられないらしい。
しかも口調にも内容にもさっきまでとは違って、あからさまに好戦的な色が出てきた。
阿部のご乱行 (的外れもいいとこだ) をさり気なく暴露してやろう、という思惑のうち
「さり気なく」 の部分だけ捨てたようだった。

阿部はまた黙り込んだ。
黙っていると肯定と取られかねないぜ、と心配しつつも
阿部にとっては誰がどう誤解しようが、たった一人だけわかっていればそれでいいんだった、
と思い出して小さく苦笑いしてしまった。
そいつは黙り込んだ阿部に我が意を得たとばかりに、調子に乗って一方的にまくし立て始めた。

「ちょっと遊んで、ポイってか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「いいなぁホント、もてるヤツはさ」
「・・・・・・・・・・・・。」
「恨まれないように後腐れなくやってるわけ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「今度オレにもその辺のテクを教えてくれよ」
「・・・・・・・・・・・・。」
「あ、でもオレってそもそももてないからダメかぁ」

ムカムカした。 オレが。
阿部の一途さをよく (それはもううんざりするほどよーく) 知っているだけに余計。
揉め事になりませんようにと祈っていたはずなのに
いつのまにか拳を握り締めているのに気付いて慌てて解いた。
何で言い返さねーんだよ!   と心の中で怒鳴ったところで
ぼそりと、低い声が聞こえた。
決して大きい声じゃなかったけど、鮮明にそれは聞こえた。

「くだんねー」

薄い笑みを浮かべながら立て続けに毒を吐いていたそいつは、さっと顔色を変えた。

「なにがくだんねーんだよ!?」
「全部」

へっ  とそいつは顔を歪めて笑った。

「図星さされたからってごまかすんじゃねーよ!」
「オレはさ、1人でいいよ」
「え?」
「1人いればいい」


瞬間そいつはぽかんとした。
それは多分阿部の言い方がひどく静かだったからだと思う。
けど、すぐに気を取り直したように尚も反論しようと口を開けたそいつに、
被せるように阿部は言った。   はっとするくらい真摯な声音だった。

「これからもずっと」

離れたところからでも、そいつの顔が引き攣ったのがよく、わかった。
対して阿部の目は平静で、しかも真剣だった。
近くにいた女子の群れから 「ほー」 という感嘆のため息が漏れたのが
ここまで聞こえた。

バカだなぁ、  とオレは思った。

思ってからふと視線を巡らせて、2人の周囲にいる連中が女子だけでなく男子まで、
それぞれ赤くなったり感心したりしているような表情で阿部をぼけっと
見つめているのに気がついた。
本人はそんな視線などはまるでどこ吹く風、という様子だけど。

そいつも周囲の雰囲気に気付いて、いっそう焦った顔になった。
よせばいいのに、最後の反撃を試みた。

「そーゆーのってさ、偽善じゃねえ?」
「ギゼン?」
「たくさんにもてたほうがいいって、本当は思ってんだろ?」

ははは、  と阿部は声を出して笑った。
それから満面の笑顔のまま言った。  いっそ爽やかにすら見える笑顔だった。

「おまえ、本気で誰かを好きになったことねーな?」
「な、なに・・・・?」
「オレは1人にだけ想ってもらえれば」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「それで充分だ」
「そんなのキレイ事・・・・・」
「他のヤツなんて、 要 ら な い」

最後の一言は再び真顔になって、文字どおり吐き捨てるように言い放った。
さすがに相手も口をつぐんだ。
多分それ以上何を言っても墓穴が深くなるだけだと悟ったんだろう。  遅過ぎたけど。
阿部もそれ以上は何も言わずに、この話はおしまいとばかりに
おもむろに本を開いて読み始めてしまった。

阿部の周辺は今やしーんと静まり返っているだけでなく、皆一様に赤面している。
女子の顔はみーんな 「うっとり」 になってしまっている。
飛び散るハートマークが見えるような勢いだ。

当の本人は、自分がこれ以上ないくらい盛大に惚気たことにも
あてられてぐったり (あるいはうっとり) している周りの連中の様子にも気付く気配すらない。

結局相手のヤツは悔しそうな顔をしながらも諦めたのか、
舌打ちを1つするなり立って廊下に出て行った。
内心ではらはらしていたオレも、それでようやくホっと息をついた。
同時に胸のすいたような気分も間違いなくあることを自覚して、苦笑してしまう。
阿部があのまま黙って耐えていたら、オレのほうが我慢できなかったかもしれない。



それにしても、   とオレは阿部の何事もなかったかのような横顔を眺めながら
つくづく思った。

うちの部で天然といえば田島と三橋の専売特許みたいになってるけど。

「あいつもある意味すげー天然かもなぁ・・・・・・・・」

また無意識につぶやいて、水谷に怪訝な顔をされてしまったんだ。















                                                 最強天然 了

                                                 SSTOPへ







                                                      私はそう疑っとります。