最大の邪魔





ふいに衝動に駆られた。

通常だったら我慢するような状況だった。

だって思いのほか遅くなったから辺りはもう暗いとはいえ、帰り道だ。 つまり外だ。
誰かに見られたらヤバい。

と、重々わかっていながら我慢できなくなったのは、それくらいその時の
三橋の笑顔がかわい過ぎた。
投球の出来を褒めた言葉に対する笑顔だから、色っぽい類のものであるはずがないのに。
そんな理性の囁きは暗さも手伝ってか、あっというまに霞んで消えた。

オレは無言のまま、押していた自転車を道の端に寄せてからスタンドを立てた。
疑問符を顔中に貼り付けながら三橋も同じようにしたのを見るや、
衝動の勢いのままに近くの物陰 (つまり暗がり) に腕を掴んで引っ張っていった。
驚いて目を丸くしている三橋に前置きなしで顔を近づけようとして。


「おー? 三橋じゃん?」

邪魔が入った。

びくりと揺れて、笑えるくらいの素早さで30センチほど後ろに飛びさすった三橋の肩越しに
田島が自転車にまたがったまま手を振っているのが見えた。

「やっぱそうだったー」

屈託なくそう言った直後にオレと目を合わせて 「お?」 という顔になった。

「なーんだ、阿部もいたのかぁ」

(いたのかぁ、 じゃねえ!!!)

という罵倒は内心だけに留めて 「おまえ、何でこんなとこいんだよ?!」
と問いかけた声は、我ながら少々剣呑な響きを帯びてしまった。
だって田島は真っ先に部室を飛び出したハズだ。
オレは部誌を書いていたり何だりで遅くなったから、とっくのとうに家に着いているはずなのに。

「あー、花井とちょい遊んで今から帰るトコ」

オレの不機嫌な声音などどこ吹く風で明るくそう言うと
「じゃな! 邪魔したな!」 と、
何だわかってんじゃねーかよ!  なセリフを残して瞬く間に去っていった。

びっくりしたせいで挙動不審の三橋の肩を掴んでこっちを向かせて、仕切り直しを図る。
三橋もキョドりながらももうオレの意図を察して、でも拒絶する素振りもないことに
ホっとしながらまた唇を合わせようとして。


パーーーーーーーン

というやけにでかく鳴り響いたクラクションの音に、2人してぎょっとして身を縮めた。
続いて眩しい光がそこら一帯に満ちて、オレら2人も情け容赦なく照らし出された。

「う、 ぉ?!」

またもやぴょん!  と飛び上がる三橋。
大型のトラックが走り抜ける一瞬のこととはいえ、そのせいで気付けばまた
三橋との間に距離が生じている。

「くっそ!!」

こんなことくらいでメゲてたまるか! と半ば意地になったオレは
再々度三橋の腕を引っ掴んで引き寄せた。
暗がりでも三橋の頬が赤くなっているのが見て取れた。
上目遣いにオレを見上げる瞳も僅かに開かれている唇もまるで 「さぁどうぞ」 と誘っているようで
吸い寄せられるように顔を近づけた、 ところで。

「わんっ」

また飛び上がった。
三橋だけでなく今度はオレまで。
慌てて足元を見ると、ハフハフしながら尻尾を振っている中型の犬が一匹。
オレは犬は嫌いじゃない断じて嫌いなんかじゃない。
むしろ好きなほうだ。
けどその瞬間ばかりは、見知らぬその犬っころに殺意が湧いたのは仕方ないと思う。
無意識に拳を握り締めた。

「ひぃ」

三橋の切羽詰ったような情けない悲鳴で我に返った。
顔を上げると三橋は引き攣った顔ですでに1mくらい離れていて、
さらにじりっと、後ろに下がった。  と思ったらくるりと向きを変えた。

「あ、バカ!」

三橋の次の行動の予想がついて急いで止めようとしたのはもちろん、
犬の習性をよく知っているからだ。
犬ってのは走る人間を追いたがる。
多分三橋だってそれくらいは知っているだろうに、オレの制止など聞く耳持たず逃げ始めた。
当然大喜びで犬も追い始めた。
必然的にオレも2人 (正確には1人と1匹) を追いかける羽目になった。

「ったくもう・・・・・・・・」

ちょっとキスしたいだけなのに。   何でこんなに次から次へと邪魔が、 
とげんなりした気分で思ったところで。

「すみませーん」

甲高い声がした方向を見ると、片手に引き綱と思しきものを持った女が
小走りでやってくるところだった。 飼い主らしい、とホっとした。
普通犬の散歩って夕方じゃねーか?!  とかの文句はこの際横にどける。
とにかくとっとと回収してくれればそれでいい。
嬉々として三橋を追っていた犬は飼い主の出現にあっさりと方向転換して
「すみませんでした〜」 とぺこぺこと謝るその女のほうに駆け寄った。
そしてあっけなく去って行った。
はーっと息をつきながら見ると、三橋はオレから10mは離れた場所で
まだ怯えた顔のまま突っ立っている。
先刻の 「ちょっといい雰囲気」 はもはやどこにも微塵も残ってない。

オレは。

燃え上がった。

こうなったら意地でも何が何でも。

「ぜってーする・・・・・・・!」

小さく声に出して決意表明しながら、ずんずんと三橋の傍まで行って、むずと腕を掴んで
無言のまま引っ張って元に位置まで連れ戻した。
三橋のほうに向き直った途端に三橋の顔が引き攣るのがわかった。
何で?  と心外に思ってから気付いた。

(オレ今怖い顔してるかも。)
(かもじゃなくてきっとしてる。)

そうわかったんで、一旦俯いて目を瞑って深呼吸した。 平常心平常心。
落ち着いてから目を開けたら、三橋の顔は 「心配げ」 に変わっていた。

(ヤバいかわいい・・・・・・)

なんてことはもちろん言わない。
改めて手を頬に当てたらまた顔が赤らんで、それだけでなく目まで瞑ってくれた。

(よし、いける大丈夫!!!)

一気に気を良くしながら4度目の正直で再々々度顔を近づけた。
何だか妙に緊張してドキドキする。
今度こそ、邪魔も入らずあと5ミリで唇が触れ合う、


というその刹那。


「ぐ」


奇妙な音がした。

何だ今の?   と不審に思ったのと

「きゅるるるるるるるるるる」

という間のヌけた、かつ派手な音が盛大に鳴り響いたのが同時だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

うなだれてしまった。

脱力   とはまさに正しくこのことだぜ。

とか

これも 「邪魔が入った」 というべきなのか。

なんて音に負けず劣らずマヌケな思考が幾つか頭をよぎる。

「あ  の」

三橋を見るとまっかっかで。

「ごめ・・・・・・・・」

情けない声に被さってまた 「ぐうぅう〜〜〜〜」 と腹の鳴る音が
それこそ情け容赦なく響き渡ったもんだから、オレはうっかり不覚にも。

「ぷっ・・・・・・・・・」

吹き出した。

「くくくく・・・・・・・」

笑いの止まらなくなったオレに三橋はホっとした顔になるやら
恥ずかしそうになるやらだけでなく、
珍しいモノでも見るようなびっくりした顔だのの百面相を繰り広げてくれて。
そのせいでますます抑えられない。
本格的に止まらなくなった。
三橋は目を丸くしてから、つられたのか 「うひ」 なんて小さく笑ったりもしたんだけど。
あんまりオレがいつまでも笑っているんでしまいには むぅ、と膨らんだ。
膨れたその顔もかわいいなんて末期だろうか今さらか。

「・・・・何か買って食ってくか」

ようやく収めてそう言ってやれば、たちまち笑み崩れる様がまた愛しくて。

「あの、ごめん、ね?」

謝る三橋に口には出さずに答えてやる。

(邪魔の対象がおまえ本人じゃあ、怒るに怒れねーだろうが!!!)

正直残念だけど。  したかったんだけど。

(最大で最強の邪魔が三橋の腹・・・・・・・・・・・・・・・て)

「どうなんだそれ・・・・・・・・・」

口に出してつぶやいたらまた可笑しくなってきた。
オレの顔を見ていた三橋がそれに気付いたのか、
再び真っ赤になって罰の悪そうな顔をしたのすら楽しくて、

結局オレは店に着くまで延々としつこく、笑い続けてしまったんだ。














                                                 最大の邪魔 了

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                                                      色気より食い気。