胸は騒げど





ざあっと風が鳴った。
それにつれて桜が舞う。

くるくると大量に散っているせいで、辺り一帯は地面のみならず
空気までが薄桃色に染まっているようだ。

最初は見惚れていた。 きれいだと、思った。

でもそのうち気付いた。

花びらの舞う風景に人影がいる。
さっきまでは誰もいなかったはずなのにいつのまに。

目を凝らすまでもなくすぐに誰だかわかった。
なぜなら毎日見てるからだ。

学校だけではなく家でだって見てる。 頭の中にいるからだ。
己の中心に常にいるその人物を見間違えるはずもない。

名前を呼ぼうとして、でもふと躊躇した。 顔がよく見えない。
確かに彼のはずなのに。
姿が見えづらいのは舞い踊る薄桃の破片が多すぎるせいか。

乱舞する花びらの中に立つ姿は妙に儚い。
風は一向に止む気配がなく また ざあと音がして桜が舞う。 狂ったように。

綺麗なはずの光景が、そう思えなくなった。
近くに行きたいのに足は動かない。
花びらを纏った細身の体が次第に霞んでいくようで。

ぞくりと、肌が粟立った。

繋ぎとめたくて
あらん限りの声でその名前を、呼んだ。















「・・・・・・・・・というわけなんだよ」

阿部は最後にそう締めくくった。 花井は頭を抱えた。
とはいえ内容についてはなかなか、と浮かんだ正直な感想を
そのまま言うのも何だかなと思ったところで、阿部が自分で言った。

「なかなか情緒的な夢だと思わねえ?」
「まあな・・・・・・・」

積極的に賛同してやるのも癪に障って曖昧な返事をする。
情緒的で幻想的なのは認めるが、その後に起こったことは情緒とは程遠い。
新学期早々また派手にやらかしてくれたもんだ、とため息を1つ。

「春だからな!」

田島が元気良く放ったわけのわからない理屈も聞き流したところで
阿部が付け加えた。

「でもなんか、最後のほうはすげー怖かった」

それで叫んだんだ、と阿部はけろりとしたもんだ。
叫んだのは別にいい。 夢の中で叫んで目が覚めるのは花井とて覚えがある。
ただしその場所が悪過ぎた。
夢では桜の舞い散る丘だったかもしれないけど実体がいたのは教室、
それも授業中だった。  しんとした中で突如響き渡った
「三橋ーーーーーーーーーーーー!!!」
という絶叫に、その場にいた全員が5センチは飛び上がったことを
一体わかっているのだろうかこの男は。

「あん時の授業の内容がマズかったよなー」

平然とそんなことを言う。 
コノヤロウとムカつきながらも、すぐにはピンと来なかったので。

「えーと、何やってたっけ?」
「西行法師の歌」
「あー、桜の えーと」
「『春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐ也けり』」

すらすらと、阿部は諳んじた。 
寝てたくせにと、花井は呆れつつもこっそり感心した。 悔しいことに。

「おかげで胸の騒ぐ夢を見たぜ・・・・・」

いやそれ、騒ぐ理由が全然違うから。

とは思ったけど、その歌が影響したのはどうやら間違いなさそうだ。
授業中の居眠りで見る夢にしては風情があり過ぎる。
しかし原因にはなるが、言い訳には断じてならない。

しかも恐ろしいことに事態はそれだけに留まらなかった。
不幸だったのは阿部の声がよく通る、平たく言えばでかい、ということだ。
運動部員としては利点であるそれは、今回に限り災いとなった。

思い切り叫ばれた声は両隣と上下、ヘタすれば同じ階の全教室に届いたに違いなく、
その結果呼ばれた人物が血相を変えて飛んできた時、花井は仰天した。
ここでもまた全員が度肝を抜かれたくらい、派手な登場だった。
阿部に何か重大事が起きたと勘違いした三橋は
飛び込んできながら早くも泣いていて、最悪なことにオマケまでくっ付けていた。

「どうした三橋?!」

すかさず聞いたのは阿部だ。
どうしたこうしたもおまえが呼んだんだ! 
と全員が心で突っ込む中阿部は王子様よろしく三橋の傍に駆け寄り、
それを見たオマケの田島が 
「阿部、おまえ死にそうなんじゃないのか?!」 
などと喚くに至って、花井は卒倒しそうになった。
辛くも踏みとどまり、騒ぎを何とか収集しようと立ち上がったところで教師が切れた。

そりゃ切れもするだろう。 その気持ちはよくわかる。 でもだからといって。

「何でオレまで・・・・・・・・・」
「ご、ご、ごめんなさい・・・・・」

ぼやいた花井に湿った声で謝ったのは三橋だ。 責任を感じているのだろう。

「いやーまあさ、あの場合は仕方ねーよ!」
「そうそう」
「春だしな!」
「そうそう春だし」

能天気にフォローした田島と阿部を、じろと花井は睨み付けた。
元凶が何を偉そうに。

とは一応自覚しているのか、形だけでも小さくなる2人である。

やれやれとため息をついたものの、でも花井はもう罰として与えられた
課題プリントを終えようとしていた。
4人それぞれに別のものを渡されたから、この後約2名に教えることになりそうだが
三橋のほうは阿部が担当してくれるだろう。
この分なら練習には僅かな遅れで済みそうだ。
新入部員も入ってきつつある今、示しのつかないことはしたくない。

ホッとしてから外を見れば、満開だった桜が散り始めている。
今年は例年よりも開花が遅かったうえ、花冷えしたせいで長く楽しめたが
そろそろ終わりだ。

はらはらとのどかに散る様を眺めながら、ふと阿部の見た夢を想像してみた。
不安な何かを象徴しているような、危うい夢だと思う。
歌の影響だろうとはいえ、普段のイメージとはおよそ合わない。
そんな夢を見た阿部を意外に感じてから、思い直した。

もしかしたらそれは、誰しも心に持っている風景なのかもしれない。
意識せずとも。


その当人は先ほどから上機嫌である。 理由は簡単だ。
三橋のぶっ飛んだ反応が嬉しかったからに決まっている。
あの三橋が周囲の目も憚らず、しかも授業中に席を立って素っ飛んできたのだ。
花井だって驚いた。 けれどどこかで納得もしていた。
後から聞けば田島が 「阿部に何かあったんじゃ?」 と言ったらしいが、
あそこまで我を忘れたのはそのせいだけじゃないだろう。
誰の目にもそれは明らかで、当の本人が嬉しくないわけがない。

穏やかな春の風景から目を戻すと、自分のプリントを終えた阿部が
三橋にわからないところを教え始めていた。 その頬が嬉しそうに緩んでいる。
教室の外だけでなく、中も春爛漫だ。
無自覚に友情以上の何かを醸しているのはひとまず置いて
親しげに寄り添いながら小声で話している様は、最初の頃を思えば感慨深い。

と花井が何やらしみじみとしたところで。

「な ん で わっかんねーんだよおめーは!!?」
「ひっ」

見慣れた光景になった。

がくりとしてから、花井はふと可笑しくなった。
この男は不安だの何だの、一切合財蹴散らかして進んでいきそうだ。
たとえどんな困難があっても物ともせずに、どこまでも。

それから次に、教師の切れた時の顔を思い出して、今さら笑ってしまった。
これじゃあ元凶たちが増長すると思いながらも止まれないのは、
田島じゃないけど 「春だから」 ということにする。

そういえば田島は終わったのかと目を向けると、
こちらもいつのまにか窓の外を熱心に眺めていた。

「あーマジで、胸が騒ぐな!」

唐突に、かつ高揚も顕わに田島が叫んだ。
「だから意味が違う」 と内心で突っ込みつつも花井にはその気持ちがわかった。
田島が目を輝かせながら見ているのは桜ではなく、桜が散ったその後なのだろう。

木が桃色から鮮やかな緑に姿を変えた後は、空の色も空気も日々濃くなっていく。
田島曰くの「胸の騒ぐ」季節は、もうすぐそこまで来ているのだ。

つられるように、
一年で最も熱いその時に 花井も心を馳せて、そして躍らせたのだった。
















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                                                胸は騒げど桜に非ず、 の西浦ーぜ。