訣別





相手が野球だから、というのが救いで、慰めだった。
だから諦めがついた。  自分を納得させた。
同時にだからこそ。

諦めがつかなかった。









○○○○○○

「あれー、あれって阿部くんじゃない?」

中学からいっしょの友人のその言葉にどきりと、胸が鳴ったのは
その名前が自分にとってはトクベツだったから。
中学生だった2年前のあの頃。
そして多分今でも少しだけ。

混んだファストフード店の中で友人の視線をたどって振り返って斜め後ろ方向を見ると、
少し離れたところに彼はいた。
友達らしき人と向かい合わせに座って何か話している。
懐かしい、その顔。
ちょっと大人びたみたい。
背も伸びて、精悍な感じになったみたい。
自分でも思いがけなくどきどきと、胸が高鳴った。
相変わらず、野球頑張ってるのかな。
まさかと思うけど彼女とか、できたのかな。
野球バカだからそれはないような気がする。

今。
ちょうど向こうも2人だし、「偶然ね」 とか自然に話しかけて
いっしょに座れないかな。
別に今さら何か期待、なんてないけど、話すくらいなら。

いろいろな思いが一気に駆け巡った。

本当に、そうしようかな、とさらに大きくドキドキしながら考えた、ところで。

「あ」

びっくりして、思わず声が出てしまった。

阿部くんが、笑った。

笑っただけなら別に普通だ。
そんなによく笑うほうでもなかったけどそれでも、
中学時代、阿部くんが友達とふざけて笑っている顔を何度も見た。  けど。

何かが引っかかった。 今の笑顔。

僅かに頬を染めて、照れたように、でもぶっきらぼうに、
まるでもっと笑いたいのに、わざと抑えているような、
でも抑えてもうっかり漏れ出てしまったかのような。

それはかつて絶対に見たことのない種類の笑顔だった、から。

くるりと、顔の向きを戻した。
さっきとは違う感じでどきどきしていた。
気付いたら手にじっとりと汗までかいていた。

「ね? あれそうだよね?」

友人が聞いてきたのに、意識して笑顔を作りながら頷いた。
上手く笑えているかわからない。

「そういえば阿部くんて、結構もてたのに、彼女作んなかったよねー」

それは違う、 と言いたくても言えない。 
だってほとんど付き合うって感じじゃなかったし。
2ヶ月と10日しかもたなかった。

野球と私とどっちが大事なのよ!

なんて泣き叫ぶような付き合い方でもなかった。
あの時、阿部くんはすごく困ってた。
心底困ってうんざりしているのがよくわかった。
こんなこと言ったらもうダメだ、てこともどこかでわかっていた。
でも止められなかった。
だって初めての 「お付き合い」 にたくさん夢を見ていたから。
言ったのはこっちからだったけど強引に頼んだらOKしてもらえて、嬉しくて、夢見心地だった。
デートとかいっぱいしたかった。 
阿部くんに、というより 「交際」 にもっと素敵できらきらしたイメージがあって、
漠然と いろいろなことを期待していた。
だから我慢できなかった。 コドモだったから納得できなかった。 今でもコドモだけど。
でもあの頃よりは成長した。
あの頃よりわかることも増えた。  例えば。

恋しい人を見る時の人間の目とか。

「ね、声かけてみる?」

友人の声に我に返った。
そして首を横に振ろうとした。  でもそうする前に彼女は続けて言った。

「あ、でももう出るみたい・・・・」

顔を上げて見ると向こう側の通路を2人で歩いているのが見えた。
相手の子は華奢だけど、女の子には見えない、 けど。
随分そそっかしい人みたいで、持っているトレーからゴミがぽろぽろと落ちているのに気付かない。
阿部くんが目ざとく気付いて代わりに拾ってあげてる。
阿部くんがその人の分のトレーも奪って、きちんとゴミを分別して手早く捨ててあげてる。
何か、言いながら。
ぽんぽん言ってるみたいだけど、目が。
目は全然怒ってない。 それどころかむしろ。

その表情に見惚れた。  やっぱり初めて見る表情だったから。
間違いなんかじゃない、と確信しながらじっと見つめた。 食い入るように。

すうっと、周囲のざわめきが消えるような感覚に襲われた。
だけでなく、2人の動きがスローモーションみたいに見える。
他には何もない空間みたいに2人しか視界に入らない。 

阿部くんの一挙一動から目が離せない。
確かに阿部くんなのに、別の人みたいに見える。
たくさんの知らない表情と、なにより全身から漂う雰囲気が。

あの頃何よりも欲しくて、 切望して、 でも決して得られなかったもの。

自分じゃなくても、相手が誰でも手に入らないものなのだと、
一生懸命自分に言い聞かせたもの。

まるで幻を見てるよう。  現実じゃないみたい。
想像が見せた白昼夢で、実は自分にしか見えてないんじゃない?

ぼんやりと、そんなことまで思った。

呆然としながら、ひたすら見つめているうちに2人は外に出て行って、視界から消えた。


「・・・たら!!」
「え?」

びっくりした。
目の前で友人が何か言っている。 急速に音が戻った。
店内のざわめきや友人の声や目に入る風景とかが一気に元に戻った。
夢から醒めたみたいに瞬間眩暈がした。

「聞いてた?」
「あ、ごめん、 ぼーっとしてて」

慌てて言い訳しながら、 ふと、本当に幻だったんじゃないかと、思った。

「あの、さっきの人」
「え?」
「・・・・阿部くん、だったよね・・・・・?」
「うん。 てあんたもそう言ったじゃん」

やっぱり現実だったんだよね・・・・・・・・・
まだ半分ぼーっとしながらそう考えた。  自分に言い聞かせるように。
脳裏にさっき見た阿部くんの顔がちらりとよぎった。

「ところであの話さ、どうしてもダメ?」
「え?」
「ホントにすごくいい人みたいなんだけど」

そこで思い出した。
友人の彼氏の友達が彼女を募集していて、
どういうわけか自分を気に入ってくれていて、一度会ってみないか、と言われたんだ。
断ったのは、決して他に好きな人がいるとか、そういう理由じゃないんだけど。

だって2年も前のことで、しかも付き合いというほどの付き合いじゃなかった。
野球ばっかりで忙しくて甘いことなんてほとんどなかった。
だから、恋愛なんて興味ないんだと。
野球だけやってればそれでいいんだと思って。

そう思ったから諦められたんだ。
同時にいつまでも心のどこかで。


「・・・・・・あんな顔も、ちゃんとできるんじゃない」
「え、なに?」
「・・・・んー、  何でもない・・・・」


今度こそ、本当に、忘れられるような気がする。


「・・・・やっぱり会ってみようか、な・・・・・」
「え、マジ?」

友人の弾んだ声に頷きながら、やっと無理なく思うことができた。


いい加減歩き出そう。

自分はあの頃間違いなくコドモだったけど。

それでもあのキモチは精一杯本当だった。  でももう。


後ろを振り返るのはやめる。


ああいう目で見れる相手と出会えて、良かったね。

心の底からそう思える日がいつかきっと、自分にも来る。




「バイバイ、          阿部くん。」



口の中だけで小さくつぶやいた。











                                                      訣別 了

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