簡単で難しいこと





「触るな」



瞬間思ってしまってそんな自分に驚いた。






田島くんが教科書を忘れたと騒いで花井くんに借りに行くのに
「おまえも来いよ!」 と言われて一も二もなく頷いたのは、
誘われたのが嬉しかっただけでなく、廊下からでも阿部くんの姿が見れるかなあ
という淡い期待があったからだった。
どうせ放課後になれば嫌ってほど見れるんだから、とわかってはいるけど
でもいつだって見れれば嬉しい。
目が合うともっと嬉しい。
話せればさらに幸せ。

でもそんな甘い期待に少し浮かれながら田島くんに付いていったオレは
7組の教室を覗きこんだ途端に後悔した。

阿部くんは女の子と話していた。

しかもその子はきゃあきゃあと華やかに笑いながら
なぜか阿部くんの腕に何度も何度も触っていた。
阿部くんも苦笑いしながらも別に止めようとしない。
ありがちなごく普通の光景なんだろうと思う。

でも。

オレは固まってしまって心臓がどきどきして吐き気までしてきて
その場に座り込みたくなった。
田島くんが 「入んねーの?」 と言ってるのが聞こえたけど、
黙って首を横に振るしかできない。 だって足が動かない。

オレに女の子を止める権利なんかないのはわかってる。
恋人だからってそこまで縛る権利はないし、
それ以前に 阿部くんはもてるから、いつまでオレと付き合ってくれるかなんてわからない。
その時がいつ来てもおかしくない。
てことをオレはいつも自分に言い聞かせている。 なのに。

触るな、   と思った。

思ってから ぎょっとした。
しかもさらに、続けて頭の中に勝手に出てきた思考は。


オレの、  オレのなのに。

阿部くんの腕に触るな。  どこにも触るな。




もっとびっくりした。 自分が信じられない。
と慌てている間にも。
止めることができない。
抑えようとしてもどんどん溢れてくるそれを、オレは必死で
ぎゅうぎゅうと奥のほうに押し込んだ。

そんなこと思っちゃいけない。
我慢しろ我慢しろオレ。

押し込めながら一生懸命普通の顔をしようと頑張っていたのに。
用事を終えて廊下に出てきた田島くんがオレを見て変な顔をした。

「・・・・・・・三橋?」
「え?」
「・・・・・・何で泣いてんの?」

オレはまたびっくりした。
泣いてなんか、と思いながら自分の頬に触って確かに少し濡れているのに気付いて
すごく焦ってしまった。

「あ、あの、め、目にゴミが」

声が変な感じに掠れた。 こんな言い訳で通用するだろうか。 
しますように・・・・・・・

祈るような気持ちでいたのに、田島くんは じーっとオレの顔を見てそれから。
いきなり7組の教室の中に向かって
「阿部ぇ!!」  と叫んだ。
心臓が止まりそうになった。

「あ、あの、田島くん、オレ、・・・・・・もう戻るね・・・・・・・・」

わたわたとそれだけ言うと歩き出してしまった。
逃げたい。 早く。
早く行かないと阿部くんが出てきてしまう。
オレの顔を見て 「なに泣いてんだよ」 と聞くだろう。

それは、 それだけは絶対に避けないと。
本当のことなんて言えない。 そんな図々しいこと。
歩きながら 「でももしかして追ってくるかも」 とあり得ないことが頭を掠めた。
そんなことはないと思うけど。
でも万が一ということもあるし。
それに第一こんな顔で教室に戻れない・・・・・・・・

そう思ったオレは俯いたまま自分の教室の前を素通りして
そのまま何も考えずにすごい勢いで歩いてたらいつのまにか部室の前に来ていた。
ちゃんと靴まで履き替えていた。
習慣て怖い。
でも、この時間部室には誰もいないし、と思いながらドアを開けたら開いた。
鍵がかかってなかったことにホっとして中に滑り込んだ。

もう涙は止まっている、けど胸が重たい。 なんか、カタマリが詰まっているみたい。
いつもいつも覚悟しているつもりだったのに。
だから平気なはずなのに。 
本当は全然できてないんじゃないか・・・・・・・・・・。

と、わかってしまった。
わかりたくなかった。

阿部くんの腕にかかる華奢な白い手を思い出した。
それから自分のごつごつした右手を見た。

はーっ とため息が出た。
考えてもしょうがない。
考えたからって女の子になれるわけじゃない。 なっても困るけど。

隅っこに座ったら新しい涙が湧いてきた。
こんなことでいちいち泣いててこの先どうするんだろう、と思う。
自分が嫌になる。 けど今は。
いっそこのまま思い切り泣いてしまおう。  誰もいないし。
泣いて、すっきりして (できるかどうかわからないけど)、普通の顔をして教室に戻るんだ。
それで次からはもう絶対泣かないんだ・・・・・・・・・



そう考えたところでいきなりドアが開いた。

「三橋!」

息が止まりそうになった。

「あ」

べくん、と言おうとして言葉にならない。
涙が邪魔したのとびっくりし過ぎたので。

口をぱくぱくしてたら阿部くんがずかずかと隣に来て座った。

「このバカ!!!!」
「ひぃっ」
「何で逃げんだよ!?」
「逃げた、わけじゃ・・・・・・・」
「ウソつけ!!」

あぁバレてる・・・・・・・

「おまけに何で泣いてんだよ?!」
「・・・・・・・・・。」 

なんか、上手い言い訳、ないかな・・・・・・

オレは回らない頭で必死で考える。 だって悟られちゃいけない。
嫉妬したなんて。 阿部くんはオレのものだ、て思ったなんて。
口が裂けてもそんな図々しいことは。

「もしかして妬いた?」
「!!!!」

阿部くんの言葉はいつも、心臓に悪い。

「妬いたんだろ?」
「そんな、こと」
「うるせぇ!!!」

びょん!  と体が少し跳ねてしまった。
お、お、お、怒ってる・・・・・・・・・・・・

「本当のこと言えよ」
「・・・・・・・・・・うぅ・・・」   

言いたくない・・・・・・・・

「何で泣いてたのさ」
「・・・・・・・・」
「正直に言わねぇと」

阿部くんの目が光った。 オレは少し引いた。

「ここで押し倒す」
「!!!!!」
「鍵かけねぇで」

そ、それはイヤ・・・・・・・・・・・・・
ま、まさか本気じゃ、ないよね冗談だよね・・・・・・・・
ででででも阿部くん、 目がマジ・・・・・・・・・・

オレは観念した。

「阿部くんが」
「うん」
「女の子に触られてたのが」
「・・・・・・・・・・。」
「ヤだった・・・・・・・・・・・」

あぁ言っちゃった・・・・・・・・・・・
でもどうせもうバレてたんだ・・・・・・・・

うなだれていたら阿部くんが立つ気配がした。
呆れられたのかなぁ  とぼんやり投げやりに考えていたら
かちりと、鍵のかかる音が聞こえてびっくりして思わず顔を上げた。
阿部くんが鍵を閉めてオレの方に戻ってくるところだった。
オレは焦った。

「う、ウソなんか、ついてない、 よ・・・・・・・・」
「うん」

阿部くんは笑った。 それも すごく嬉しそうに。

「オレに触りたくねえ?」
「え?」
「触りてーだろ?」

・・・・・・・・・うん。 触りたい。

「オレ、さっき女にべたべた触られて気分悪かったからさ」

・・・・・・・・本当・・・・・・・?

「おまえ触ってよ。 いっぱい」

阿部くんは満面の笑顔で、オレは霞む視界でその笑顔を見て
それからいっぱい阿部くんに触った。


阿部くんの腕に。  胸に。  背中に。



でも触っているはずが、気付いたらいつの間にかオレのほうが触られてた。
気持ち良くて ぼーっとして自分の手はお留守になってしまった。

目を瞑っているオレの耳に阿部くんの囁きが聞こえた。

「オレが触ってほしいのはおまえだけなんだから」

それを絶対忘れんなよ、 と阿部くんは続けて言った。

それから 「数学の公式は忘れてもそれは忘れんな」 とまで言われた。

オレはおかしくなって少し笑っちゃって。



でもそれって簡単なようで、実は難しい気がする

と思った。

そう思った途端に今度は

「忘れたら泣く前にオレに聞けよな」 と言われた。

いつでも思い出させてやるからさ、  と阿部くんはまた笑った。



・・・・・・・何でオレの考えたことがわかるんだろう。


阿部くんの言葉はいつも、 心臓に  悪い、


とオレはまた思ってしまった。












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