賭けの行方





春休みといえど、練習はある。
だからその日野球部の面々がグラウンドにいたのは偶然でも何でもなかったけど、
休憩時間に田島と泉と水谷が 「その話題」 で盛り上がった時に
三橋が近くにいたのは偶然だった。
3人はそれぞれ、「その場面」 を想像してみた。

「怒る」
「呆然とすると思うな」
「泣くんじゃねえ?」

「な、なんの、話・・・・・・・・?」

そう三橋が聞いたのは、会話を交わしながら3人が
時折自分の顔を盗み見ているような気がしたからだ。
入学時の三橋であれば、そういう状況ともなれば最悪な事態を想像して萎縮するところであったが。
勇気を出して聞くことができたのは、半分は当時の後ろ向き思考が随分緩和されていたからと、
残り半分は3人の顔に三橋に対する悪意のようなものが微塵も感じられなかったからだ。

でも田島がけろりと返した言葉を聞いて三橋は仰天した。

「あー、三橋が阿部に 『嫌い』 っつった時の阿部の反応」
「へ?!」

(嫌い?)
(オレが?)
(阿部くんに言う?)
(なんで?)

次々と湧く疑問は、でも口には出せない。
驚きすぎて固まってしまったからだ。
しかしその分露骨に顔に出ていたので、泉が笑いながら解説してやった。

「ほら、明日ってエイプリルフールだろ?」
「あ・・・・・・」
「だから三橋も阿部に嘘言ってもいいんだよ!」

妙にきらきらした目でそう付け加えたのは水谷だ。

「もし三橋が 『嫌い』 っつったら阿部、どうなるかなぁって」
「・・・・・・・。」
「言ってみれば?」
「え!!」
「阿部どうすっかなぁ」
「そ、そんなこと」
「ぜひ言ってみてくれ三橋!!」

顔を横に振りかけた三橋に被せるようにお願いしたのはやはり水谷だった。

「そ、そんな」
「いーじゃん。 エイプリルフールだもん!」
「確かにオモシれーかも」

田島までそんなことを言い出した。 さらにいつもは田島を止めることの多い泉まで。

「言った後ですぐに 『嘘』 って言えば大丈夫なんじゃない?」

楽しげに2人の後押しをし出す始末。
きっぱりと断ることも、やると言うこともできずにおろおろと迷う三橋に
水谷がダメ押しをした。

「言ってくれたら明日の帰りに肉まん2個奢ってやるからさ!」

三橋の頭の中にほかほかの肉まんが ぽん! と出現した。 それも2個である。
思わずふにゃりと頬を緩ませながら、それでも躊躇する気持ちが湧いたが、
結局やけに期待に満ちた目の3人に押し切られる形で、
三橋はもやもやした気分のまま頷いたのであった。



微妙にすっきりしない表情の三橋がその場を去ってから、泉はぼそりと水谷に聞いた。

「水谷ってさ、もしかして阿部に恨みでもあんの・・・・・・・?」
「え? ないないなんにもない!」

わざとらしく首を振る水谷とそれを疑わしげに見つめる泉に向かって、
田島が元気よく提案した。

「なぁ、賭けねえ?」
「賭け?」
「どうなるか賭けねえ?」
「あー、阿部がね・・・・・・」
「でさ、負けたヤツはジュース奢るってことで!」
「うーん」

唸りながらもその気になるその他2名である。

「じゃあオレは怒るってことで」 
「オレは、やっぱまずは呆然とすると思うな。」
「ふーん」
「田島は? さっきと同じで泣く?」
「いやオレ、それやめる」
「え?」

田島はしばし目を空に泳がせて考え込み、それから自信満々のていで口を開いた。







○○○○○○○

そんなわけで4月1日、四月バカ、嘘をついても許される日である。

三橋は目覚めた瞬間昨日の約束を思い出して気が重くなった。
阿部はきっと怒るだろう。
怒って、後から 「嘘だよ」 と言ってももう許してくれないかもしれない。
それでも怒ればまだマシで、一番怖いのは
「あっそう」 と冷たく返されたら。

想像して三橋は泣きそうになりながら頭を抱えた。
肉まんに釣られた己を恨めしく思ったけど、もう遅い。

重い気分のまま登校して部室に入ると、水谷と田島と泉の3人はもう来ていて
きらきらと輝く目で三橋を迎えた。
忘れてくれていたらいいな、 という三橋の淡い期待はその時点で消えた。
4人で連れ立ってグラウンドに向かうと三橋にとってマズいことに阿部が
1人でもくもくとグラウンドの整備をしていた。

水谷が三橋をつついた。

「今がチャンスじゃない?」
「う・・・・・・・」
「頑張れ三橋!!」

水谷の声援に背中を押されるようにして三橋はのろのろと阿部に近づいた。
昨日は魅力的に思えた肉まんが今は重くのしかかる。
言えば奢ってもらえると、  そう思っても少しも楽しくならない。
後ろを振り返ると3人は先程と同じ場所で固まってじーっと自分を見守っている。
三橋は観念した。
おずおずと阿部の背中に声をかける。

「阿部くん」
「おぅ」

振り向いた阿部は三橋を見て笑った。

「おっす三橋」
「お、はよう・・・・・・」

阿部はまだ笑っている。 穏やかに、親しげに自分に向かって笑いかけてくれている。
ずきりと、三橋の胸が痛んだ。
慌てて (エイプリルフールだし) と心の中でつぶやく。
嘘だし、冗談だし、すぐにバラすんだし、    と必死で自分に言い聞かせてから
意を決して口を開いた。

「あの」
「ん? なに?」
「オレ、阿部くんが」
「?」
「き」

そこまで言って、三橋は固まった。
以前1回だけ、羞恥と怒りの勢いで口走ったことのあるその言葉。
あの時の阿部の表情がまざまざと蘇った。
あの時は明らかに阿部が悪かった、 と思う。
にも拘わらず言ってしまった直後に激しく後悔したのだ。
しかも今は阿部になんらの非もない。
阿部の笑顔が怒りに変わる、あるいは冷たく無表情になる様が頭を掠めた。
ましてやあの時と同じように悲愴の権現のような顔になったりしたら。

想像した途端に どっと冷たい汗が噴き出る感覚がして、口がぴたりと動かなくなった。 
口どころか体も動かない。

「き?」

阿部が訝しげな顔で問うてきた。

「なに? 三橋」

黙っている三橋に重ねて辛抱強く促してくる。
作業の手も止めて待ってくれている。
背中には3人の視線をちくちくと感じる。 
勇気を総動員して三橋は再び鉛のような口を無理矢理動かした。

「き」
「・・・・・・・・・?」

またもや一文字だけ発したきり固まった三橋に、阿部の顔がますます不審気になった。
三橋はぎゅっと目を瞑った。

(ダメ、だ・・・・・・・・・・)

ついに三橋はへなへなとその場に座り込んでしまった。 阿部は驚いた。

「おい三橋?」
「・・・・・・・・・。」
「おまえ具合悪いのか?!」

問いかける声は真剣に心配そうな響きを帯びている。
三橋の頭の中にもう肉まんはない。 あるのは後悔ばかり。
浮かぶのはたったひとつの事柄だけだ。

(嘘でも、 言えないよぅ・・・・・・・・・)

「大丈夫か? 三橋?」
「・・・・・うん・・・・・」

かろうじて、答えた。 それから心を決めて立ち上がった。
そして今度はきっぱりと言った。 

「あの、何でもない、んだ」
「は?」

阿部はきょとんとした。 わけがわからない。

「あの、ご、ご、 ごめん、なさい!!」

叫ぶなり三橋は阿部の前から走り去った。 阿部は今度はぽかんとした。
何が 「ごめんなさい」 なのか全然わからない。
でもそのテのわけのわからない謝罪は三橋にはよくあることだ。
が、今回のそれは三橋にしてはやけに、

(・・・・・・・・大きな声だったな)

などと不思議に思ったけど、とりあえず具合が悪いわけではなさそうだし、
三橋の挙動不審には慣れている阿部なので、それ以上特に深くは考えなかった。
ヘタに問い詰めるより投球練習をしたほうが三橋の心境はよっぽどわかりやすい、ということを
阿部はすでに学習していた。





一方固唾を呑んで成り行きを見守っていた3人は
あさっての方向に走り去る三橋を見送りながらがっくりと脱力した。
正確には脱力したのは2名だけで、田島は楽しげにからからと笑った。

「やっぱりな!」

はー、 とため息をついた水谷と 「うーん」 と感心したように唸る泉に向かって 
田島は全開の笑顔で言い切った。

「オレさ、あいつは絶対言えないと思ったんだ!!!」





その日の夕方田島が2人からジュースを奢ってもらったのは言うまでもない。













                                                   賭けの行方 了

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