いつか見た光景




****SIDE-A****



その日阿部が部活の後残っていたのは、部のことで処理しなければならない作業があったからだ。
本来なら花井の仕事であったが、急ぎのうえ、花井の都合が悪くて副の阿部にお鉢が回ってきた。
そんな経緯で部室に1人残ってもくもくと作業をこなしていたわけであるが。

阿部以外の全員が帰宅の途についてまもなく、雨が降り出した。
雨はみるみる強くなり、あっというまに土砂降りになった。

(あいつら傘持ってんのかな・・・・・・・・・・・)

心の中で一応複数形にしながらも、思い浮かべるのは約1名のみの顔である。
心配しつつも実は自分も傘はない。 朝は晴れていたからだ。
でももう帰るだけだから濡れて帰ろう、と諦める。
それなりに時間が経っても誰も戻ってこないところを見ると
皆諦めてずぶ濡れになりながら帰宅したのだろう。

(夜電話してみるか・・・・・・・・・・)

滞りなく作業を終えて片付けながら、阿部はまた先程と同じ人物の顔を思い浮かべた。
とその時、誰かが部室のドアをそろそろと開けた。
見れば、まさに今思っていた人物がおずおずという風情でその姿を現した。
一瞥するなり阿部はぎょっとして固まった。
思いがけない三橋の出現に驚いたせいもあるけれど。

より問題なのはその姿だった。

三橋は見事にずぶ濡れだった。 状況を考えれば当然なのだが。
何が問題って季節柄下にTシャツを着ていないため、
白いシャツが肌に張り付きくっきりと、その色を映している。

「あ・・・・阿部くん・・・・・」

呆然と動けないでいた阿部は三橋の声で我に返った。

「お、おま、 何やってんだよ!!」
「・・・・・・え・・・・・」
「帰ったんじゃねーのかよ!?」

帰ってないからここにいるわけであるが、阿部はそんな自分の愚問さ加減にも気付かない、
というか 気付く余裕がない。
瞬時にして身内で荒れ狂い始めた情欲を抑え込むのに大忙しだからだ。

「わ、忘れ物・・・・・・・」

またかよ、と阿部は呆れつつふと軽い既視感を覚えた。
前にもこんなことがあったような。     続いてすぐに思い出した。
まだ付き合う前、気持ちを自覚してまもない頃。
あの時は大変だった。 今も大変だけど。
あの時と違うのは本人に隠さなくてもいい ということ。
それに気付いて阿部は知らず少しだけ、笑った。

「・・・・・・・・いいけどさ、おまえ、ちょっとそのかっこヤバい」
「へ?」
「エロ過ぎ」
「!!!」

面白いように三橋が赤くなった。
でも実際ヤバい、と阿部は思う。
特にあの時と同じように濡れたシャツ越しに透けて見える胸の突起が。

(触りてぇ・・・・・・・・・・)

シャツの上から摘んでやったらどんなにイイ声が聞けるだろう、と思っただけで
体の抑制が効かなくなる。
ごまかすために、耳まで赤く染めてうろたえている三橋に話しかけた。

「前もこんなことあったな。」
「え?」
「あん時は朝だったな。 覚えてねえ?」

三橋は一瞬きょとんとして、それから 「あぁ」 と表情を変えた。

「覚えてる、よ・・・・・・」
「あん時オレ、大変だったんだぜ?」
「へ・・・・・?」
「勃っちゃってさ」
「!!!」

三橋の顔に収まりかけていた朱の色がまた走った。





****SIDE-M****

それを自覚して三橋はさらに慌てながらも、そういえば、と思い出した。

(あの時、阿部くん、 雨なのに外に・・・・・・・・・)

そうだったのか、 とわかったところで顔の熱が引くわけもなく。
どころかますます火照ってくるのをどうすることもできない。
どうしよう、 と三橋がおろおろしているところに阿部が容赦なく追い討ちをかけた。

「今も」
「・・・・・!!!」

言いながら阿部は三橋に近づいてくる。
反射的に三橋は一歩、後ろに下がろうとした、けどできなかった。
一瞬速く、阿部が三橋の腕を掴んだからだ。

「触っていい・・・・・?」

質問の形を取りながらも、そのくせ返答を待つこともなく
阿部の手はもう三橋の胸元に伸びてくる。  抗うヒマもなかった。

「あっ・・・・・・・・」

羞恥と快感で三橋はきつく目を瞑った。
体の一点からみるみる全身に熱が走る。
でもそれは一瞬のことで、意外にもすぐに阿部の指はそこから離れていった。

「・・・・・??」

おそるおそる開けた三橋の目に阿部の情欲を湛えた、でも困ったような顔が映った。

「ヤベぇ・・・・・・・・」

阿部がつぶやいた。  何でかというともちろん。

((止まらなくなる・・・・・・・・))

2人は同時に同じことを思った。 それから

(それは、・・・困る・・・・・・・・)
(それはマズいな・・・・・・)

また似たようなことを考えた。
そしてほぼ同時に揃って窓のほうを見た。   そう、窓が問題なのである。
お互いの顔をちらりと見てしまったのがまた同時だったため、かっちりと目が合った。
お互いの目にあるものを双方で見て取って、はーっとため息をついたのは阿部のほうだった。

「ここではヤバいよな・・・・・・」
「うん・・・・・・」

阿部が暴走しなかったことにこっそりと安堵の息を吐きながら三橋も
急速に体が熱を帯びてしまって困惑していた。  阿部がつけた小さな、でも確かな火。

「でもオレ歩けねーよこれじゃマジでさ」

阿部が情けなさそうにつぶやいた。
その言い方に少しおかしくなって、三橋が笑ってしまいそうになった瞬間またもや爆弾発言が。

「な、いっしょにトイレ行かねえ?」
「!!!」

阿部の言わんとするところは明白だ。
三橋は即行かつ必死で顔を横に振った。 学校のトイレなんかで。

「やっぱダメ?」
「ヤだ・・・・・・・」
「そっか・・・・・・・」

三橋の顔を見て阿部はあっさりと諦めた。
基本的に強引な阿部は、でも時々拍子抜けするほど諦めが早い。
それは三橋にとってとても有難いことであった。
ホっとしている三橋の顔を見ながら阿部は うーんと唸って、それから妙な頼みを告げた。 

「じゃさ、オレに 『嫌い』 っつって?」
「えぇ?!?」
「そう言われたらショックできっと萎える」

阿部の顔は真面目である。 三橋はまたうろたえた。
そんな心にもないことは言えない。

「なるべく本当っぽく言ってくんないと効かないと思う」

引き続き大真面目な阿部の様子に、仕方なく三橋は口を開いた。
そんなことで収まるとはとても思えなかったけど、このままの状態では帰るに帰れない。
だけならまだしも、阿部の忍耐が万が一切れてしまったりしたら
自分にとって大変宜しくない事態になだれ込む可能性が高い。
うっかり阿部が本気でその気になったら自分はまず抗えない、ということも三橋はよく知っていた。
それは避けたい。

「・・・・・あ、阿部くんなんて」
「・・・・・・・・・・。」
「き、キライ」
「うっっ!!!」
「あ、阿部くん??」
「・・・・・やっぱそれやめて」
「・・・・・・・・・・。」
「嘘ってわかっててもキツい・・・・・・・」
「う、嘘、 だよ!!」
「だからわかってっけど」
「・・・・・・・・・・・。」
「でも収まんなかった」

がっくりと、三橋は脱力した。 必死の思いで言ったのに、 と恨めしい気分にさえなった。
阿部にとって痛い言葉は自分にとってだって痛いのだ。

「だからそのかっこがまずいんだよ!!」
「あ、ごめ・・・・・。 ぬ、脱ぐ・・・・・」
「それはもっとまずい」
「あ」
「今寒い?」
「え、だいじょぶ・・・・・・」
「とりあえず上から何か着てくんない?」

言われて慌てて自分のロッカーを開けて探すけど何もない。
阿部が何か持っていたらそれを借りようと考えながら振り向いたら。

「「あ」」

思いがけなく阿部の手が至近距離に伸びてきていて ぎょっとして体を引いた。
じっとその手を見つめる三橋と慌てて引っ込める阿部。

「えーとその、手が勝手に」
「・・・・・・・・・。」
「や、そんな気はねぇよ?」

三橋の目が疑惑一色になった。 同時に身の危険も感じる。
さっき一度は諦めてくれたとはいえ、でもやっぱり阿部はこのテのことでは往々にして強引になるのだ。

「あ、何だよその疑いの目?!」
「・・・・・・・・。」
「ホントだってば!!」
「・・・・・・・・・。」
「あぁちくしょうここがオレの部屋だったらなぁ!!!!」

阿部がやけくそみたいな調子で叫んだ、ところで派手な音とともに部室のドアが開いた。

音が大きかったせいもあり、2人はびょんっと飛び上がった。
別にやましいことはしてなかったけど。 (片方はやましい状態ではあったけど)
ドアのところには田島が、2人に負けず劣らず驚いた顔で立っていた。

「・・・・・・えーとオレ、もしかしてまた邪魔しちゃった??」





****SIDE-A****



阿部はそうぼやく田島の顔を見ながら再び既視感を覚えた。
これまた以前よく似たことが。

(今日はこんなんばっかだな・・・・・・・・)

あの時と同じようにうろたえる三橋と違って、阿部のほうは大いに田島に感謝した。

「いや田島、いいとこに来てくれたな!!」

満面の笑みの阿部に田島が盛大に不審気な顔になった。

「おかげで助かったよマジで。」

びっくりして一気に熱が引いた。  となれば、 と阿部はにんまりした。

「帰ろうぜ三橋」
「へ?」
「じゃな、田島」
「え? あ、あぁ、 おう」

不審気な顔のまま返した田島を尻目に、阿部は三橋の腕を掴んで雨の中に走り出た。
三橋も慌てたような顔をしながらもちゃんと付いてくる。

「オレんち来いよ三橋!」
「・・・・え・・・・?」
「今きっと誰もいねぇからさ!!」

雨音にかき消されないようにと結構な大きさで叫んだ阿部の声は
確かに三橋に届いたのだろう。
予想に違うことなく赤く染まる、でもその表情は決して 「イヤ」 とは言っていない三橋の顔を
横目で見ながら阿部は思った。

(今日はいろいろどっかで見たようなことばっかだったけど)

でも確実に違うことがある。

阿部は約1年前の自分の状況と、苦しかった当時の心境を思い出した。
それから今の自分たちのことを改めて考えた。

あの時とは違う、自分たちの関係は夢でも幻でもなく、現実なのだ。

雨の中、阿部はそれをひどく幸せに感じながら、 弾んだ気持ちそのままに

愛しい温もりを掴んだままの手と 地面を蹴る足に力を込めた。















                                               いつか見た光景 了

                                                  SSTOPへ







                                                      私も感慨深い。