本当のオカアサン





「イタ・・・・・・・・」

控え目ながらもいかにも痛そうな声が上がった時
たまたまその場にいて見ていた面々は 「あちゃー・・・・・・」 と内心で青くなった。


時は土曜部活の終了直後。
ところは西浦高校正門を出たすぐ外あたり。
三橋は大きな瞳に僅かな苦痛の色とそれ以上に大きい困惑の色を浮かべて
呆然という呈で立ち尽くしていた。










その日練習を終えぞろぞろと連れ立って帰ろうとした野球部一同の耳に
「廉!!」 という弾んだ呼び声が聞こえた時、阿部の顔はたちまち盛大に顰められた。
正門の外あたりで待っていたらしい声の主は呼んだ後、
素早く他の連中にも軽く頭を下げて挨拶しながら三橋のそばに駆け寄った。
阿部への一瞥だけが厳しかったのに気付いたのは、おそらく本人と田島くらいであろう。


「しゅ、・・・・叶、くん」
「久し振り!!」
「ど、うして・・・・・・」
「会いに来たんだ!」
「あ、・・・・・そうなんだ」
「元気そうだな?」
「うん」

三橋がとまどいながらも嬉しそうな微笑を浮かべるのを
その隣でますます仏頂面で眺める約1名。
それに頓着なく叶は嬉々とした様子で言葉を続けた。

「これから、遊びに行ってもいいだろ?」
「え・・・・・・・・・」
「なんか予定でもあんの?」
「え・・・・・・・ナイ、けど」

首を振りながら三橋はちらりと阿部のほうを盗み見た。
予定はない、約束もない、が、時間のある時で皆で遊ぶ流れにもならなかった時は
大抵2人で過ごすのが2人の間で暗黙の了解のようになっている。
しかし叶がそんな事情を知るわけもなく
(もっとも知っていたとしても遠慮などしなかったと思われるが)
「じゃあ行こうぜ?」  
と屈託なく三橋の右手首を掴んでぐいっと引っ張った。

その瞬間である。  阿部が三橋の左腕をがっちりと握りしめたのは。

叶はそれに気付かず遠慮会釈なく三橋の手を引っ張り、
行かせるもんかと阿部が手に力を込めたせいで
当然の結果として三橋は左右の手を掴まれたまま引っ張られる形となり
冒頭の弱々しい悲鳴を上げるに至ったわけである。

見ていた一同は青くなりつつそれぞれ似たようなことを考えた。

(あぁマズい)
(三橋ははっきり 「離せ」 なんて言えないだろうな・・・・・・・)
(叶は意地でも離さないだろうな)
(阿部はもっと離さねぇだろうな・・・・・・)
(大事な投手の手首なのに)

しかし何しろ咄嗟のことであり、皆一様にヤバいと焦りつつも
素早い対応もできずに固まっている中、叶はそこで事態に気付いた。
そしてわかりやすくムっとした表情になった。
だけでなく阿部の顔を睨みつけた。
続いて対抗するかのようにさらに強く三橋の手を引っ張った。
三橋が今度ははっきりと苦痛に顔を歪めた。
叶と阿部はそれぞれ双方の顔を睨むのに忙しくて、気付いていない。

さらに青くなった花井や栄口あたりが、何か言わねばと口を開けた時。

「・・・た・・・・・・・・」

弱々しくも悲痛な声を三橋は再度発した。  けれどその声は相変わらず遠慮がちで、
顔を見て相当痛そうだな、とかろうじてわかる程度である。

しかし次の瞬間意外なことが起こった。

阿部が ぱっと手を離したのだ。

反動で三橋は叶の方向に2〜3歩よろけた。
見ていた一同は目に映った光景が信じられなくてぽかんと呆けた。
呆けながら思った。

((((((阿部が、本当の、お母さんだ・・・・・・・・・・))))))


阿部はといえば。
離した直後、やにわに自分の手を見つめ、
それから引っ張られていく三橋をボケっと見つめながら動こうとしない。
あっというまに遠ざかっていく三橋を呆然と見送っている。


「いいのかよ阿部?!!」

田島に思い切りどつかれてようやく我に返ったように阿部は 「あ」 と口中でつぶやいた。
次に他の連中への挨拶もなしに唐突に走り出した。  叶に向かって叫びながら。

「ちょっと待てえ!!!!」

これまたあっというまに遠ざかる阿部の背を
一同あっけにとられながらも、しみじみとした気分で見送った。
そして誰ともなくつぶやいた。

「よく離したな・・・・・・・・」
「阿部、偉いな・・・・・・・」
「さすが女房だな」
「というかお母さんだな・・・・・・」
「うんお母さんだ・・・・・・・」


その刹那の、おそらく本人も無意識の咄嗟の行動はどんな言葉より深く、皆の心に刻ませた。




阿部が   本当の   お母さん。














                                       本当のオカアサン 了 
オマケ

                                               SSTOPへ






                                               自転車は? と自分で突っ込んでおきます。