綻び





阿部の「お付き合い」 はハタから見ればそれなりに上手くいっているように見えた。
毎日仲良くいっしょに帰っていく。
が、実のところそれ以上でもそれ以下でもない、
ほとんど小学生レベルというのが本当のところだった。

何しろ時間がない。 阿部のほうに。
通常なら多少無理をしてでも時間を作ったり、まめにメールや電話を入れたりするのが
「恋人」の正しいあり方だと阿部もわかってはいるのだが、
付き合う動機が動機だっただけについ、「面倒くさい」 という気持ちが先に立ってしまう。

それでもいっしょに帰りつつ、何だかんだと彼女が明るく話すのを聞くのはそれなりに気が紛れた。 






○○○○○○

その日もいつもと同じようにいっしょに帰り、途中までは変わったところは何もなかった。
彼女がいろいろ他愛無い話をして阿部が頷きながら聞いている。
が、最後のところがいつもと違った。
あと少しで分かれ場所、というところでいささか唐突に彼女が言ったのだ。

「今日うち来ない?」
「・・・・・これから?」
「そう。」

阿部は躊躇した。 正直練習で体も疲れていたし早く帰って休みたい気持ちが強かった。
加えて女の子の家に行く というのは何となく含みがあるような気がしないでもない。
でも、彼女はあくまでも屈託なくあっけらかんとした表情だ。
なのでたまには気分を変えるのもいいかと思い直し (意外と楽しいかもしれない)
「じゃあちょっとだけ。」  と返事をした。






○○○○○○○

女の子らしく小物などが飾ってある、きちんと整頓された部屋に通され座ったはいいものの、
何となく所在無い気分になる。
普段乱雑な環境にいるせいか落ち着かない。
けど、彼女は特に緊張している様子もなく、飲み物を用意してしまうとまた
他愛無いことを楽しそうに話し始めた。

阿部はそれを聞きながら (いい子なんだけどな) と思った。
性格も明るいし容姿だって多分「かわいい」部類に入るんだろうと思う。
でも、どうしてもそれ以上の気持ちが持てない。
そのことを阿部は改めて考えてしまった。
元々、付き合おうと思ったのは三橋を忘れる (というか諦める) ためだった。
そうすることによって元の自分に戻り、三橋とも普通に接するようになって
結果的には三橋にとって良い(?)環境に戻るはずだった。

が。
実際はどうだろう。
自分は全然三橋のことを諦めきれない。
思うのは三橋のことばかりで、
相変わらず毎晩のように夢に出てくるのは、目の前の彼女ではなくて野球部の相棒である。
それに自分のほうがあからさまに避けないようにと努力し始めた途端に、
今度は三橋のほうが少し離れていってしまって、肩透かしを食らったような気分がした。
しかも三橋の様子はその後さらに微妙におかしくなり、何だか以前よりぎくしゃくしているような気さえする。

ある意味楽になった面もあるんだけど。
その分寂しさも増したような。


「阿部くん!!!」

強い口調に阿部は我に返った。
彼女の話を聞きながら、いつのまにかぼんやりと自分の物思いにふけってしまっていた。

「もう!! 聞いてる?!」
「あ・・・・・わり。 ちょっと疲れてて。」

慌てて言い訳しながら、でも本気で腹を立てている様子でもないことにホっとする。
と同時に、何で自分はこんなとこにいるんだろう と勝手な思考が浮かんでしまった。

ふと、 彼女が顔を伏せた。
伏せたまましばらく黙っている。

(・・・・あ・・・・やっぱ気ぃ悪くしたのかな・・・・・・)

しかし、次の言葉は阿部の予想の範囲を超えるものだった。

「今日ね、うち、 誰も、 帰ってこないんだ。」
「・・・・・・!」
「・・・・・泊まっても、    いいよ。」

普通に言おうと努力しているけど、少し声が上ずっていて緊張しているのがわかってしまった。

これはもう。 明らかに。

(・・・・・・据え膳・・・・なんだろうな・・・・・・)

阿部はぼんやりと考えた。
実は着いたとき、家の中に人の気配がしなかったので誰もいないのだろうとは思った。
でもすぐに誰かしら帰ってくるんだろう と思い、あまり深く考えていなかったのだ。


阿部はそのとき、いい加減考えることに疲れていた。
三橋のことをいくら思い悩んでも堂々巡りでなんの解決策も浮かばない。
事態は少しも良くならない。 なのに考えずにはいられない。

なので、投げやりな気分で (それもいいかな) と思った。
気持ちが全くないのに深い仲になるのは、正直なところ相当な抵抗感がある。
けど。
それで気持ちも変わるかもしれない。 今度こそ何もかも上手くいくかもしれない。


(もし、それでも変わらなかったら・・・・・・?)


阿部はマイナス思考を振り払うようにして、改めて目の前の彼女を見た。
平気なふりをしつつも必死な様子が垣間見えて、少し心が動くのを感じた。 そして。

「泊ま・・・・・」   ろうかな、 と言おうとした。


その瞬間。        


脳裏に浮かんだ顔があった。



大きな茶色い目の、今にも泣きそうな顔。






阿部はぎゅっと目を瞑った。


(ダメ  だ・・・・・・・・。)


 
とてもじゃないけどそんな気になれない。

思いながらどこかで安堵する自分も感じていた。
心の奥のほうで (そんなのダメだろ) と警笛が鳴っていたのにそこで気がついた。

なので傷つけないように、慎重に言った。

「今日は・・・夜ちょっと用事あるから・・・・・・・。 もう帰るな。」

彼女は一瞬の間のあとすぐに  「そっか。 残念」  と笑顔で返してくれた。
けど、直後また俯いて黙り込んでしまった。

阿部は決して鈍感な人間ではなかったので (むしろどちらかといえば敏感)
部屋の空気が冷えた、はっきり言えば気まずくなったことがよくわかった。
このまま帰るのはマズいだろうか  と逡巡していると、
黙っていた彼女がすっと顔を上げて  「もうすぐ試験だね。」  とつぶやくように言った。
普通の顔をしている。

「あー・・・・・・うん。」

阿部はホっとしながら、そういえばそうだなと考える。
(試験1週間前になると練習ないんだよなぁ・・・・・・・・・)
(デートするにはいい機会なんだろうけどなぁ)  とぼんやり考えていると。

「試験勉強中はさ、塾が毎日になるから、先帰るね。」

思いがけなくそう言われて、また間違いなく安堵する自分がいた。







○○○○○○

適当に話を切り上げて家を辞し、帰路につきながら
(怒ったかな・・・・・・・) と思ったけどどうでもいいような気がした。 そんなことよりも。

(今頃あいつなにやってんのかな・・・・・・まさか制限越えて投げてねぇだろうな・・・・)

思ってから、 はっと我に返った。  また考えてしまっている。

(何だかなぁ・・・・・・・。)

オレは一体何をやってんだろう   と阿部は顔を歪めて自嘲して
それから深いため息をついた。
 











                                                           綻び 了
  
                                                          SSTOPへ







                                                           不毛だ。