原因は





朝の部室に入ってくるなり水谷が挨拶を素っ飛ばして開口一番に発した言葉は。

「阿部が・・・・・・・・」

であった。

その顔が妙に引き攣っていたせいで、一番近くにいた泉は思わず聞き返した。

「阿部がどうかした?」
「・・・・・・・変だ」
「いつもだろ」

さらっと返した冗談、に見せかけた本音と言えなくもない暴言に
反応する余裕も水谷にはないようだった。

「・・・・・というか、落ち込んでいた」
「はぁ?」

泉はあやうく 「それがどーした」 と言いそうになって、でも
「不機嫌」 じゃなくて 「落ち込む」 阿部は確かに珍しいかも、と思い直した。
それにしても水谷の表情は暗過ぎだろう とも考える。
もっと正しく言えば、怯えている。
その場にいた全員が次に感じた疑問を口に出したのは、今度は巣山だった。

「なんでわかったんだ?」
「え・・・・だってさ」
「うん」
「オレが来た時、ちょうど阿部がグラウンドに向かおうとしていたとこで」
「うん、あいつ今日やけに早かった」
「んでオレ、阿部の目の前で滑ってコケちゃって」
「え、大丈夫か?」
「今凍っているとこあっからなー」
「オレは大丈夫だったけど、その時にさ」
「うん」
「滑ったせいで阿部に思い切りぶつかっちゃって」
「そしたら?」
「何も言わずに真っ青になったんだあいつ」
「え」
「何も言わない・・・・・・?」

そこで初めて一同は 「阿部の様子が変だ」 という水谷の主張を実感した。
水谷にぶつかられて無言の阿部なんて変に決まっている。
人一倍口の悪い奴なのに。

「それだけでなく、青くなったまま俯いて震えてるんだ」
「えっ」
「そ、それで?」
「どうかしたのか? て聞いたら」
「うん」
「別に・・・・・・とか言ったんだけどそれがまためっちゃ暗い声で」
「それは、マジで落ち込んでんだな!!」

元気良く口を挟んだのは田島である。

「なんでだろう・・・・・・・・」
「いや阿部だって一応は人間なんだし、落ち込む理由のひとつやふたつ」

何気にひどい発言はまた泉である。

「まぁ、放っとくしかないんじゃね?」
「え、でもオレ、怖いんだけど」

びくびく、という面持ちで水谷が言った。

「怖い?」
「なんで?」
「原因がわからないと、オレ、気付かずに地雷踏みそうで」
「あー・・・・なるほど」
「確かにおまえはやりそう」
「近寄らないようにすれば?」
「オレ同じクラスじゃん! そういうわけにもいかないよ!」

水谷の泣きそうな顔に皆は少々、同情した。

「原因ねぇ・・・・・・」

一同は着替えながらそれぞれ、しばし考えた。

「なぁ、賭けねーか?」
「なにを? 田島」
「阿部の落ち込みの原因!!」
「おまえら、遊ぶなよな・・・・・・・」

人道的にたしなめたあたりはさすがキャプテンと言うべきか。

「え、でも阿部が落ち込むなんて珍しーじゃん!」
「確かに」
「不機嫌ならともかく」

「親に怒られたのかなぁ」  と沖。
「テストの点が5点だったとか」  とは西広。
「大事なデータを失くしたんじゃないか?」  といかにもありそうな推測は巣山。

「溜まってんじゃね?!」

田島の叫びに全員が はーっとため息をついた。

「花井と栄口はどう思う?」
「えー・・・・・・・・・・オレはパス」
「オレも」

ノリの悪い2人に水谷の泣きが入った。

「そんなこと言わずに考えてくれよ〜」
「本人に聞けよな」
「え、ヤだ!  花井が聞いてくれ!!」
「オレだって嫌だよ」

それに大体原因の見当はつくし、 と花井は内心でひとりごちた。
見当どころか、確信といってもいい。
阿部の感情を大きくブレさせる原因なんて1つ (というか1人) しかない。

「あ!!」
「なんだよ田島」
「一番わかるのはきっと三橋だ!!!」

そうか! と水谷が顔を輝かせたところで、ジャストなタイミングで三橋が入ってきた。

「お、おは・・・・・・」
「おー、三橋!」
「阿部が落ち込んでんだけど!」

やぶからぼうの水谷の言葉に三橋はきょとん、とした。

「三橋、何か知ってる?」
「へ?」
「阿部が落ち込みそうなこと、昨日何かあったんじゃない?」
「え・・・・・・別に・・・・・・」
「ホントに?」
「し、知らない・・・・・・・・」
「喧嘩したとか」
「え、 して ない・・・・・・」

がくり、とうなだれた水谷を気遣わしげに見ながらも、
遅れてきた三橋は精一杯急いで着替え始めた。
顔が不安げなのはたった今 「阿部が落ち込んでいる」 と聞いてしまったからだ。
「早く着替えて、阿部くんのとこに行こう」  と思いながら三橋なりに手を速めた。

気付いたのは泉だった。

「あれ? 三橋、それどうしたの?」
「え?」
「その手の傷」

泉の言葉に皆の視線が三橋の手に集まった。
右手の甲に大き目の痛々しい擦り傷がある。

「あ、昨日の帰り、自転車で転んで・・・・・・」
「げ」
「道が、 凍ってて それで・・・・・・」
「え、大丈夫だったのかよ」

エースの手である。 皆とりあえず阿部の件は横にどかして、一斉に心配げな顔になった。

「あ、平気。 これだけ、だし。」
「肩は?」
「打って、ない  よ」
「そうか・・・・・・・」
「滑ったのか?」
「うん・・・・・・・・ちょうど凍ったところで、ブレーキ かけちゃって」
「あー、そりゃ滑るわ」
「なんでまた」
「オレ、 昨日は、 1人で帰ったんだ けど」
「ふーん?」
「途中で後ろから 阿部くんに、 呼ばれて、  それでつい」

「「「「「「「「 え 」」」」」」」」

あまりにも皆の声がきれいにハモったんで、三橋はびくりと跳ねて着替えの手を止めた。
おどおどと、周りを見回した。
全員が、黙って自分を見ている。
何か、変なことを言ったか、 と慌てて考えてもわからない。

ごほん! と泉が咳払いをした。

「えーと、三橋」
「へ?」
「つまりさ、阿部に呼ばれてブレーキをかけたら、滑って転んだわけ?」
「あ・・・・・うん・・・・・・そう、なんだけど」
「はーん・・・・・・・・・」
「あ、でもオレが、悪いんだ、よ・・・・・」
「いや三橋は悪くないだろ」

周囲の微妙に変わった空気を敏感に察知して、
三橋は居心地悪そうにまたきょろきょろと視線を走らせた。

「あの、さっきの、話、だけど」
「え? 何だっけ?」
「阿部くんが、落ち込んでる・・・・て」
「あー、それね」
「オレ、ほんと、に何でかわからな・・・・・」
「あー、いや、いいよもうそれ」
「え?」

田島が全員の心の声を代弁した。

「もうわかったからさ!」
「へ」
「水谷、良かったな!!」

妙にすっきりした一同の顔や、薄く苦笑している花井の顔などを
三橋はいっそう不安げに眺めた。 が。

「ほら三橋、時間ないぞ!」

栄口の指摘に、慌てて着替えの続きを再開した。



着替え終わった三橋がグラウンドに着くや、
悲愴な表情の阿部がだーっと駆け寄ったのを皆が見たのは言うまでもない。














                                                原因は 了

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                                                 手にはきっと塗り薬を握り締めている