どさくさに紛れてない





ものすごく浮いているわけじゃない。
だから耐えられないというほどじゃない。

花井はそう自分に言い聞かせた。
これが公道とかなら正視に堪えなかっただろうが、今この場所では紛れてないこともない。
何故なら同じように手をしっかりと繋いでいる2人組が他にもちらほらといるからだ。

若干問題なのは繋いでいる2人は主に男女のペアで
女性どうしも少しいるが、男どうし、という組み合わせはほとんど、
じゃなくてあの2人しかいないという事実なのだが、
違和感は最小限と言えなくもない、うん。

引き攣った顔で小さく頷いた花井はもちろん、1人で滑っている。
今のこの状況のそもそもの発端は、練習後に田島が放った一言だった。

「スケート行こうぜ!」

それは唐突だったが、そのテの突拍子もない提案を田島がするのは
よくあることだから、その場にいた面々だって慣れたもんだ。
日曜のうえ、今日の練習は早めに終わったから一応時間的にも無謀ではない。
とはいえ。

「何でまた急に」

もっともな質問をした泉に 「ほらこれ!」 と田島が元気良く見せたのは
通年営業のスケート施設の入場無料券だった。 納得する一同である。
ただし5名様まで、だったことでメンバーで揉めるかと思いきや
たまたま用事のある奴が多く、すんなり決まったのは泉と三橋だけだった。
花井が最初躊躇したのは他に行きたい奴がいれば遠慮しようという気遣いだったが
人数が満たなかったことで乗る気になった。
そこで素朴に不思議だったのが、阿部が沈黙していたことだ。
三橋が行くなら当然彼も行くだろうと予想したのだが、不都合でもあるのだろうか。

という疑問は花井だけのものではなかったらしく、田島が代弁してくれた。

「阿部は? なんか都合わりーの?」
「・・・・・・そういうわけでも」

珍しく歯切れの悪い言い方をしながらも顔が変だ。
いかにも 「気が乗りません」 と書いてある。
花井が横目で三橋を窺うと、こちらは楽しそうな様子ながら
阿部の動向が気になるようで期待の見え隠れする顔で阿部を見ている。
ちらりちらりと控え目にではあったが。

「・・・・・・・三橋って滑れるのか?」

阿部の質問は誰もが予想したものだった。
何しろこの正捕手ときたらエース投手の怪我と病気には
親だってここまでは心配しないだろうというくらいの過保護っぷりを
日常的に発揮しているからだ。
だからこそいっしょに行って、転ばないように目を光らせたいはずなのだが。

「うん! す、滑れる よ!」

自信の窺える返答に阿部は実に面白い反応をした。
まずホッとした顔になり、次に渋面になったかと思うと
遠い目で何事かを思案して、その後ぴかっと輝いてからにんまりと笑った。
ただしその百面相はロッカーに向けられていたうえ
相当な速さだったため、気付いたのはおそらく近くにいた花井だけだろう。

「よし、オレも行く」

最終的な決断がやけに明るい声だったことに
花井は何がなし宜しくない予感がしたのだが、その時点でわからなかったのは
知らなかったからだ。
スケート場で靴を履く段になって阿部が爽やかに自己申告した時
遅ればせながら花井は全てを理解した。

「実はオレ、滑れねーんだ」
「え? マジ?」
「うん、スケートってしたことねえ」
「へえー、そうなんだ!」

意外そうに返したのは田島だ。 花井も意外だったけど、
確かにスケートなんて馴染みのない人間がいても不思議じゃない。
北国ではまた別だろうが、意識して施設にでも行かない限りする機会がないからだ。
自分だって小学校低学年以来だ。
そしてその後の会話は、ほぼ花井の推測どおりのものになった。

「三橋、教えてくれよ」
「え、オレ」
「おまえ、上手そうじゃん」
「そそそそんな、でも・・・・」
「まあそう言わずにさ、頼りにしてっから!」

うひっと三橋は笑った。 真夏の太陽もかくや、というくらいに輝いていた。
三橋は頼られることに弱い。 しかもそれが阿部の口から発せられた時の
効果は 「テキメン」 というやつだ。
花井はやれやれと内心でひとりごちてから、その時点で自分なりに心構えを作った。

阿部が初心者なのは本当らしく、リンクに下りるまでの不安定な足取りからも
それがわかった。
おそるおそる、という様子で氷に下りると同時に手すりに掴まったのは
好きな相手にかっこわるいところを見せたくないからだろう。
対照的に苦もなく阿部の傍に滑り寄った三橋の手を、当然のように阿部は握り締めた。
そして 
「とにかくさ、滑ってみんのが早いと思うんだよな!」 
と豪快にのたまい、手を繋いだまま覚束ないなりに滑り出した。

そんなわけで現在の光景に至る。
それは花井の心構えだの予想図の範疇内であるのは確かだが、
どこかがむず痒くなるような感覚を覚えるのはいた仕方ないことだろう。

(・・・・・・・見なきゃいいんだ)

そうわかりながら花井はつい目を向けてしまう。
安定した滑り方の三橋の左手をしっかと掴んだ阿部は
最初こそひどく危なっかしかったが、そこは流石に運動部所属である。
30分が経過した今は早くもそれなりに様になっている。

(・・・・・もう、1人でも大丈夫なんじゃねーの・・・・・)

思ったことを本人に提案をする気はもちろん、ない。 どうせ虚しいだけだ。
滑りながらたどたどしく要領を説明しているらしい三橋も
頷きながら聞いている阿部の顔も、2人してほんのりと赤く染まっているのは
決して館内の気温のせいだけじゃないだろう。 
ごく控え目に言って、2人揃ってとてつもなく幸せそうだ。

(あー恥ずかしい・・・・・・)

あれで何故にお互いの気持ちに気付かないのか不思議であると同時に
そんな2人を見ても平然としている泉にも感心する。
その泉は田島と滑りを競っているようで、花井は少し距離を置いた後ろを滑りながら、
羽目を外さないかとこちらにも注意を払う。 1人で何気に忙しい。

が、そこで 「氷の調整作業による15分休憩」 のお知らせアナウンスが
館内に響き渡った。
ぞろぞろとリンクから上がる客たちに混じって花井たちも出て
上がり口の脇にある椅子に適当に座った。
花井は自販機でコーヒーを買い、それを啜りながら
聞くともなしに隣に座った阿部と三橋の会話を聞いていた。

「あー、結構難しいな」
「で、でも阿部くん 上手い」
「そんなことねーよ、三橋の教え方が上手いんだよ」
「うひっ」
「この後もよろしく頼むな」
「うん!!」

上手い、実に上手い、別の意味で  と花井が密かに唸ったところで
田島が2人の甘いムードに水を差した。
さすが田島、 とまた妙なことで感心する花井である。

「なーなー三橋、オレと競争しねえ?」
「へ?」
「阿部ばっか構ってねーでやろうぜー」
「えっ・・・と・・・・・」

ちらりと阿部の顔を見たのは三橋だけじゃなく、花井もだ。
内心でハラハラしながらだったが、意外にも阿部は平静な顔で言った。

「そうだな、オレに付き合わせてばっかなのもわりーしな」
「え、あの いいの?」
「もちろん。 でも、後でまた教えてくれよな?」
「うん!」

はあっと花井は小さく安堵のため息をついた。
その後すかさず 「ただし転ぶなよ?」 と釘を刺したところは
いかにも阿部だったが、口調は別に不機嫌そうでもない。
阿部なりに気を遣っているということか。

(まあ一応隠しているしな・・・・・・)

ダダ漏れと花井には思えるが、実際気付いてない奴も多いようだし
阿部の自制は正直ありがたい。
最初に懸念したほど事態は恥ずかしい方向にはいかないようだ。
花井は大いにホッとすると同時に、ようやく普通に楽しむ気分になった。

とはいえ、田島のように練習後にまで体力が有り余っているわけでもなく、
その後作業終了のアナウンスとともに張り切って飛び出した天然2人組と
飄々とマイペースで滑り出した泉を見送ってから、しばらくぼうっとそのまま座っていた。
リンクのすぐ脇にあるその椅子からは、田島たちの様子がよく見える。
熱心に見つめている阿部の横顔が穏やかなことを確認してから、
練習メニューについてあれこれと考えを巡らせているうちに
いつのまにか時間が経っていたらしい。 何気なく時計を見てそれに気付いて。

(せっかく来たんだし、オレももっと滑るか・・・・・・)

立ち上がりかけて、一言声をかけてから行こうと横にいる阿部の顔を見た。 
そしてぎくりと固まった。

形相が変わっている。

視線の先を見て、その理由がわかった。
そこにはもちろん三橋がいるわけだが。
先刻まで隣にいたはずの田島の姿がない。
見渡しても見つからないということは、トイレにでも行ったのか。
それだけなら別にいいのだが、三橋の隣には別の人間がいる。 背の高い見知らぬ男だ。
そいつが三橋と並走しながらしきりに話しかけているのが、遠目にもわかった。

(マズい・・・・・・・!)

花井は焦った。 
どういう成り行きかは知らないが、田島との競争はいつのまにか終わって
1人になった三橋を、つまりあの男はナンパしている、のだろう。
ナンパではないのかもしれないが、阿部の目にはそう映っているだろうし、
実際花井が見てもそんな雰囲気だ。

三橋はとまどいながらも何か答えているようで
そうしながらリンクを周ってこちらに戻ってきつつある。
ちゃんと上手いこと振り切って無事にここに帰ってこられるのか、
とヒトゴトながら心配になるのは人見知りの強い三橋だからである。

ハラハラしながら阿部の顔と交互に眺めていると
案の定というか、あと5メートルというところで一旦止まった三橋は
上がり口に向かうことができずに立ち往生した。
その男が熱心に話しかけながら、進路を阻むように立ちはだかったからだ。
性格的にきっぱりと断ることができずにいるのだろう。
花井は本格的に焦った。
阿部がヤバい。
どうヤバくなるかわからないけど、ヤバいのは間違いない。
その確率たるや100パーセントだ。

しかし花井が悩んだ時間は結果的にごく短時間で済んだ。
三橋が止まってから3秒もしないうちに、阿部がすっくと立ち上がったからだ。

「おい阿部」

声をかけた時にはもうその場にはいず、リンクに下りていた。 素早かった。
え、 と呆ける花井の目に次に映ったのは、阿部の疾走する姿だった。
それはもう実に、見事な滑りだった。

確かに距離は5メートルと短かったが、
ほんの一蹴りで阿部は鮮やかに、かつ正確に三橋の傍に滑り寄った。
そして最後に、がばりと派手に抱きついた。
いかにも転びそうになったのを止めるため、という体裁を作ってはいたが
衝撃でバランスを崩した三橋を、すかさず支えたように見えたのは気のせいか。
そのまま三橋の肩を抱え込むなり、阿部は相手の男をじろりと睨み付けた。

あっけにとられて見つめている花井の耳に阿部の低い声が聞こえた。
それほど大きな声ではないはずなのに、妙にはっきりと。

「こいつになんか用事でも?」

狼狽したようなその男が反論できないであろうことは確実だった。 
阿部の顔が花井の位置から見えたからだ。
あの形相の阿部に文句を言える人間など、果たしているだろうか。

「え、いや・・・・・・・・」
「悪いけどこいつ、先約があるんで」
「あ、ああそう・・・・・」

明らかに気圧されている様子の相手の男にはもう目もくれずに、
次に阿部は三橋に話しかけた。
固まったままタコよろしく真っ赤になっているのは
阿部の腕がまだ三橋の肩に巻きついたままだからだろう。
三橋の顔の下半分は阿部の肩の辺りに押し付けられている恰好だ。

「あのさ三橋」
「は、はいっ」
「オレ、待ちくたびれた」
「あ、ご、ごめん・・・・・・」
「早く教えてくれ」
「え、あのでも」

三橋はそこで口ごもった。
三橋の言いたいことは花井にはよーくわかったし、
花井でもなくてもわかっただろうけど、阿部は最後まで言わせなかった。

「おまえがいねーと転ぶ」
「え」
「今だって転ぶとこだった」
「そ、そうなん だ」
「早く行こうぜ?」

行こうぜも何も阿部がしがみついているせいで三橋は動けないのだ。
でももう三橋は何も言わない。
阿部も離そうとしない。
花井も呆然としたまま動けない。

気付けばこれ以上ないくらい2人は目立っていた。
相手の男はそそくさと去っていったから、もうその場にいない。
肩とはいえ男が男に抱きついたまま動こうとしない光景は異様で、
傍らを通る人間の注視を漏れなく集めている。
周りの視線が気にならないのか阿部! と絶叫したところで声に出さなければ届かない。
声に出しても届かないような気もするが。

良くない予感がここにきて当たった、なんてものじゃない。 遥かに上回っている。
ほんの3分前が懐かしい。
5分前に時間が戻せたらそうして、自分が予めあの男を追い払ったのに。

一瞬現実逃避などしながら、花井は天井を仰いだ。 

本当は滑れたんじゃないのか? とか
いやいや滑れなかったのは事実かもだけど30分でコツを掴んだのか
はたまたその瞬間だけ恋の成せる何かが作用したのか? とか、
最後にしがみつかなくても転ばなかったのでは? とか
いつまでくっ付いてんだ早く離れろ! とか

他にも次々と湧き上がる幾つかの疑惑や突っ込みよりも、
何より切実に願うのはとりあえず


他人のふりをしたい、   なのであった。
















                                        どさくさに紛れてない 了

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                                                 泉は遠くで他人の振りをしている。