墓穴





「アチ」  

という小さな声に続いて

「バカ! 冷ましてから食えっつってんだろが!!」

という苛立ったような阿部の声が聞こえた時、
思わずため息が漏れたのはおそらくオレだけだ。
隣の田島は別に何てことない顔でおでんの大根にかぶり付いている。
他の連中も平然とそれぞれの食欲を満たすので忙しい。
もう慣れっこだからだ。
オレも実は慣れてる。

阿部の三橋に対する口うるささは今に始まったことじゃない。
付き合いだしてからですらない。
最初からそうだったから、慣れない方がどうかしている。
春に新しく入ってきた後輩たちが、バッテリーのやり取りに目を丸くするのを見て
「あぁ最初はオレもそうだった」 などと何がしかの感慨とともに改めて再認識する、
という程度には順応 (マヒとも言う) してしまった。  悲しいことに。


にも拘わらず その時我知らず はーっ と細い息を吐いてしまったのは
多分ちょっと疲れていたから。



それだけだったら何てことない日常の出来事だったんだけど。

翌日たまたま部室でオレと阿部以外誰もいなくて
ふとそれを思い出して、本当に何気ない気持ちで言ってしまったんだ。


「阿部さ、別にいんだけど。  おまえって三橋の世話焼き過ぎ。」
「は?」
「オカアサンみたいだぜ?」
「だってあいつ言わねーと気をつけねんだよ、いろいろと」
「それにしたってさ・・・・・・」
「いーじゃんかよ別に」
「あんま良くねぇよ」
「何で」
「度を越えてマメ過ぎると 『アヤしい』 とか思うヤツだって出てくるかも」
「バレても別に構わねーもんオレ」

(・・・・・・・・このやろう) 
(もう後輩だっているんだから、ちったー気を遣えよな・・・・・・・・・)

そう考えたオレは食い下がった。 少し意地になっていた。

「必要なことならともかくさ」
「全部必要だと思うけど」
「そうかな」
「例えば何がダメなんだよ?」
「昨日の帰りコンビニの前の公園で、三橋に冷ませとか何とか言ってただろ?」
「・・・・・・あぁ、うん」
「あれじゃあまるで小さい子に言うみたいだぜ?」
「でも冷ましてくんねぇとオレが困るんだよ」

はぁ?  と思いながら、つい突っ込んでしまった。

「何でおまえが困んだよ!!」
「困るもんは困るんだよ!!」
「だから何で!?」
「・・・・・・・・・・・・。」

阿部は黙り込んだ。
きっと詰まってるんだ、 とオレは思った。
阿部が食うわけじゃないんだから、そんな理由なんかあるワケない。


・・・・・と自信満々で思ってしまったオレはつくづく愚かだった。
阿部の沈黙の意味をそこできちんと推測するべきだった。
なのにそれをしなかったばかりか、チャンスとばかりにさらに突っ込んだ。

「ほら見ろ。  理由なんてないんだろ?  ただ構いたいだけだろ?!」
「違うってば」
「違わねぇだろが!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

勝った、 と思った。  楽しくなった。
ついでに他にもいろいろとクギを刺しておこうかな、 
なんてことまでうきうきと考えた。
でもそこで阿部は意外にも 「やれやれ」 てな顔をした。
だけでなく、次にふっと微かに   笑った。

イヤな予感がした。


「あいつ猫舌なんだ」
「・・・ふーん・・・・・」
「すぐ舌をヤケドすんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・それで?」
「そうすっとさ、痛がるんだよな。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」

何だか雲行きが、 と密かに慌てている間にも阿部は平然と言葉を継いだ。

「だから思い切りキスできなくてオレとしては」
「オレが悪かったよ阿部・・・・・・・・・」

オレは早々に降参した。  けど遅かった。

「困るわけ。  何でかというと、そこで躓くと次の行動への移行がどうしても」





後悔先に立たず。













                                               墓穴  了

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                                                   この後30分惚気を聞く羽目に。