ブリザードと花畑





オレがその店をバイト先に選んだ一番の理由は時給が良かったからだ。
足の便は少しだけ悪いけど、繁華街から外れた場所にある店のほうが
忙しくないんじゃないかとも思った。

狙いは当たって、こじんまりしたそのレストランは客の入り方は程々で、
でも値段が安くてボリュームがあるせいか学生客が多く利用していて、
そこそこ繁盛しているようだった。
マスターもいい人だったしバイト連中間の雰囲気も良く、気に入った。

仕事も覚えて楽しくなってきた頃、店に向かう途中で見覚えのある奴を見かけた。
阿部だ、 とすぐにわかった。
一度水谷ともいっしょに飲んだことのあるそいつは、強烈な印象とともによく覚えている。
阿部は友達らしい男と並んで歩いていて、見ているうちに
小奇麗なアパートの一室に入っていった。
鍵を開けたのが阿部だった、てことはそこが阿部の部屋なんだろう。
バイト先の店と思いがけなく近いだけでなく、道の途中にある。
つまり行くたびに前を通ることになる。

それとは別に意外に思ったのは友達を招き入れていたことだ。
彼は恋人と同棲しているはずだ。
同棲すると友達も自由に呼べなくなる、というイメージは偏見だったようだ。 
でも別に不可能ではないし。

(相手の性格にもよるか・・・・・・・)

大らかで気にしないタイプの女性ならその辺も緩そうだ。
べた惚れ、という印象が強かったけど、外見だけでなく性格も魅力的なのかもしれない。

(羨ましい・・・・・・)

素直にそう思ってから、阿部曰くの 「かわいい」 らしいその女性を見たくなった。
前を通るなら、上手くすれば見る機会があるかもしれない。
覗き見みたいで気が引けるけど、あのもてそうな男があれだけぞっこんな相手に
興味があるのは確かだ。
バイトのついでの楽しみが増えたようで、ちょっとうきうきした。


オレが次に阿部を見たのはその1週間後だった。
正確には阿部の部屋のドアと阿部の友達を、だったけど。
その日は早番で朝の時間帯に前を通りながら何気なく目を向けると、
ちょうどドアが開くのが見えた。
期待が湧いた。 彼女かもしれない。

わくわくしながら足を緩めたオレの目に映ったのは女性じゃなくて、男だった。
なんだ本人か、と一瞬思ってから勘違いに気付いた。 阿部じゃない。
もう一度見直してからまた気付いた。 前の週にいっしょにいた奴だった。
茶色いふわふわした髪に見覚えがある。
そいつは1人で出てくると駅のほうに向かって歩いていった。

へえ、 と今度は少なからず驚いた。
だってこの時間に出てきたってことは泊まったんだろうから。
呼べるだけでも感心したのに、同棲している部屋に友人を泊められる、
ということが意外だった。 それとも。

(また、里帰りでもしてんのかな・・・・・・・)

その可能性もあるけど、時期的には変だ。 もうすぐ試験だからだ。
相手も大学生だと、水谷が言っていたような。
同じ大学かまでは知らないけど、試験の時期なんて似たようなもんだろう。

彼女の大らかさが底なしなのかもしれない。
そう推測したら、見たことのないその彼女への興味がますます強くなった。
かわいくて理解があって大らかで、
長続きしているってことは一途でもあるのかもしれない。 
料理は苦手らしいけど、阿部は気にしてないようだったし
言うことない相手といったところか。
水谷は本人を知ってるだろうから、聞いてみようか。

ふとそう思いついて、早速その日の午後研究室にいた水谷に話を振ってみた。

「あのさ、阿部っていただろ? 前いっしょに飲んだ奴」
「阿部? ああ、うん」
「あいつの彼女ってそんなにかわいいの?」
「あー・・・・・・・・うんまあ」

あれ? と違和感を感じた。 若干歯切れが悪い。

「オレのバイト先の近くにさ、偶然阿部のアパートがあったんだ」
「えっ」
「だから彼女の顔を拝みたいなー とか思うんだけど」
「・・・・・・・・・。」
「見かけるのは男のダチばっかでさー」
「・・・・・・・・・。」
「同棲しててもダチを気兼ねなく呼べるのって、なんかいいよな」
「・・・・・・・うん」

水谷のノリが悪い。 珍しいな、と内心で首を傾げてから
ある可能性を思いついた。  まさかもしかして。

「・・・・・・・あの後別れた、とか・・・・・・?」
「え?! いや順調、だと思うよ。 相変わらず」
「だよなー、 あの調子じゃなあ」
「・・・・・・・ははは」
「見てみたいんだけどさ、今んとこ空振りで」
「・・・・・・・ははは」

水谷の笑顔が引き攣っているように見えるのは何故だろう。
実はすごく不美人、なのかもしれない。
それはそれで別の意味で見てみたいけど、
他人の恋人を根掘り葉掘り詮索するのも気が引けて、
曖昧な雰囲気のまま終わってしまった。




その後も前を通るたびに何がしかの期待を込めて見たものの
タイミング良くドアが開くことはなかった。
簡単に見られると思っていたけど、甘かったようだとほとんど諦めかけていたある日。

昼の時間帯にバイトに入ったはいいけど、
客が誰もいなくて雑用を探してこなせどそれも尽きて
ヒマ過ぎるのも疲れるとため息をついたところで、店のドアが開いた。
「いらっしゃいませー」 と業務用の声を張り上げながら見れば。

入ってきたのは阿部だった。 驚いてからすぐに納得した。
別に驚くようなことじゃない。
近所に住んでいるんだから、学生に人気のこの店を阿部が利用していても
なんら不思議なことじゃない。
むしろ今まで来なかったことのが不思議だ。 たまたまかもだけど。

そこまで考えたところで、心臓が跳ねた。
入り口のドアの磨りガラスの向こうにもう1人、人間の影が見えたからだ。
その影は阿部の後ろから続いて入ってきた。 阿部は1人じゃない。
てことは、ついに噂の彼女を拝める日が!

と目を凝らした次の瞬間、オレは脱力した。
またヤロウだった。 それもまた同じ奴だ。 よほど仲がいいんだろう。
彼女を拝むどころか、友達の顔を先に覚えてしまった。 上手くいかないもんだ。

内心の落胆を隠してオーダーを取りに行く。
軽く会釈すると、阿部は最初怪訝な顔をしてから あ、と表情を変えたので。

「どうも、いつぞやは」

変な挨拶になってしまったけど、阿部も 「あん時はどーも」 と笑顔になった。  
覚えているらしい。
それ以上の私語は慎んで仕事に専念しながら、カウンターから時折眺めた。
何か話しながらランチセットを食べている2人の様子からも、
相当の親友だというのは何となくわかった。
なんというか、2人を取り巻く空気みたいなもので。
そういう空気にオレが特に敏感ってわけじゃないから、つまりそれだけ親しいんだろう。

阿部の顔も終始穏やかだったし、ぽつぽつとしか言葉を交わさないところにも
逆に近しさを感じた。 慣れない相手ならもっと話すはずだ。
泊めたりもするくらいのヤツだから、あいつなら、
阿部の彼女のことだって当然知っているに違いない。

食べ終わったところで阿部が立って、洗面室に消えた。
と思ったら残ったそいつが水のグラスをひっくり返した。
見た目のイメージどおりにそそっかしい奴らしい。
阿部とは雰囲気が違うけど、そこが却って気が合うのかもしれない。

そんなことを思いながら、もちろんすかさず仕事する。
新しいグラスを持って行って、濡れたテーブルを手早く拭いていると。

「あ、有難うございます。 すみません・・・・・・・」
「あ、いえ」

丁寧に御礼を言われてちょっと驚いて、それから密かに感動した。
今時女の子でもここまで丁寧には言わない。
バイトといえど接客の仕事をすると、世の中いろいろな人間がいるとしみじみ思う。
御礼どころか横柄な輩だって決して少なくないし、
親の顔が見たいと呆れることだってしょっちゅうだ。
いい奴だな、 と感心してから。

ふいに思いついたことがあった。 魔が差した。

「阿部・・・君と仲いいんですね」
「え!?」

阿部と知り合いだってのはさっきの短い会話でわかっているはずなのに
そいつは何故か派手にうろたえた。
けど阿部が戻ってこないうちにと、単刀直入に目的を言った。

「阿部の彼女って、かわいいんすか?」
「・・・・・・えぇえ?!!」

何でそんなにびっくりするんだろう。
やっぱり不美人、なんだろうか。

「あ、いや、前阿部が言ってたんですよね。 すっごくかわいいって」

「すっごく」 は付かなかったような気がするけど
滲み出るニュアンスは絶対そうだったから、少々着色する。
期待を込めて見つめると、そいつの顔が赤くなった。
それもマッハの勢いだった。 見事としか言えないくらいの速度で
しかも見事な色になった。 ぽかんと見惚れた。
さっきとは別の意味でまた感動した。

今時女の子でもこんなには赤面しないだろう。 いや性別は関係ないか。
とにかく。

(・・・・・・なんか、かわいいなこいつ)

男にかわいいなんて失礼だけど、その形容が一番似合う。
よく見ると目も大きくて細身だし、外見も含めてかわいい部類だ。
赤面しておたおたしている様子がまたやけにしっくりくる。
本当に、かわいい男もいたもんだ。

その印象をダメ押しするように、そいつは話し始めたはいいけど、どもった。

「あ、あ、あの、 あの・・・・・・」
「あ、知らないとか?」

まさかそれはないだろうと確信していたから、答を促すように言うと。

「し、知ってる・・・・・と思う、 けど」
「かわいいですか?!」

早く聞きたくて急かしてしまった。

「そ、・・・・・・・・そんな ことは ない と」

そこまで言ったところで、洗面室のドアが開くのが見えたんで
慌てて御礼を言って離れた。 聞けたことに満足しながらだったけど、
同時にどこかでがっかりもしている自分に気付いた。

友人の彼女を謙遜するなんて変だから、本当のことなんだろう。
てことは水谷の態度もそのせいだったんだ。
かわいいってのは阿部の惚れた欲目なのかもしれない。
まあ恋とはそういうものだし、オレががっかりするのも変だけど。

阿部がテーブルに戻りながらオレを見たのが目の端に映って、少しどきどきした。 
話していたのがバレたのかもしれない。
話しかけたのはともかく、内容はあまり感心したもんじゃない。
後からあの友達からオレのしたことを聞いて不快に思うかもしれない。
でももう聞いてしまったもんは仕方ないし。

入れ替わりで友達のほうがトイレに行っている間に
阿部は荷物を置いたままレジのほうに来た。 
また鼓動が速まったけど、阿部はポケットから財布を取り出した。
会計だけ先にするらしい、ということはつまり仕事だ。
後ろめたさを隠して、業務用の顔で会計の対応をする。
阿部も普通の表情だったんで、密かに安堵しながらつり銭を渡したところで。

「・・・・・・・さっき、あいつに何聞いてた?」

ぎくりとした。   もっと正しく言えば、その瞬間オレは凍りついた。 
空気が豹変したからだ。 
顔が。  声も。 
決して睨んでるわけじゃないし、声だってドスが効いているとかじゃない。
なのにさっきまでと明らかに違う。  正直言って。

(・・・・・・・・・怖い)

そう感じた。 圧迫感を覚えて胸が苦しくなった。
こんな目をするヤツだったのか。 
ある意味最初のイメージに近い阿部が、そこにいた。 クールだ。
クール過ぎて鳥肌が立つ。 なんだこの迫力。

ごくりと、唾を飲み込んでから口を開けた。
でもびびったせいで我ながらしどろもどろな返事になった。
ヘタにごまかすのは却ってマズいと踏んだので、潔く、とは思いつつ。

「あ、ごめん、 あんたの彼女のことを、ちょっとその、聞いたんだ」
「・・・・・・・・・。」
「どんなコかなと思って興味が、 あ、でも変な下心とかじゃなくてその、
 かわいいって言ってたから。 気に障ったら、悪かったよ。 ごめんな?」

ようやくそこまで言ってから、オレはまた驚いた。
阿部が纏う空気がふいに和らいだのが、手に取るようにわかったからだ。
全身が弛緩するのを自覚した。 それくらい、ホっとした。

「なんだそれか」

小さなつぶやきが聞こえて。

「また機会があったら飲みに行きたいっすね」

最後の言葉はなんの含みも感じられない、愛想のいいものだった。
表情も戻っていて、今さっきのぞっとするようなオーラが嘘のようだ。
クールでソツのない、という最初のイメージがまた脳裏を掠めた。

その時阿部の友達が戻ってきた。
阿部は彼のほうに目を向けてから、柔らかく笑った。 目を奪われた。 
同じ人間とは思えない。 何だこの変わりよう。

ぼうっと突っ立っているうちに、2人は荷物を取ってから連れ立って出て行った。
ドアが閉まるまでの短い間の会話が耳に入った。
2人とも小さな声だったけど、他の客が誰もいなかったせいで聞こえてしまった。

「阿部くん、今日の晩ご飯、の」
「あ、 そういや米ねーんだっけ」
「か、買わないと!」
「うん、あと味噌も切れてんだ」
「お肉も 買おう!」
「ダメ、今日は魚」
「ふぇ」
「バランスは大事だぜ? その代わり、味噌付けて焼いてやっから」
「え、 うん!!」

ぱたんと、店のドアが閉まって静寂が落ちた。
オレは呆然としたまましばらく動けなかった。

阿部と飲んだ時の会話が蘇った。 詳細部分まで全部。
次に、最近の水谷とのやり取りを思い出した。 そして。



かわいい


というのは   本当だったな      と呆けながら思った。


















                                           ブリザードと花畑 了

                                            SSTOPへ






                                                   だから三橋限定だって。(主に)