ある災難





「ふぇっ?!」

隣にいた三橋先輩が変な声を出した。

練習中全員で球拾いをしていた時、三橋先輩がすぐ近くにいたのは偶然だった。
先輩は変な声を発しただけでなく変な顔をした。
それからもぞもぞと変な感じで身じろぎをした。
続いて手を自分の背中に上から入れて動かして、次に困った顔になった。

・・・・・・ワケが、わからない。

元々少し変わったところのある先輩で、
まず外見からして 「野球部員」 というイメージが薄い。
色白で華奢で野球以前にスポーツ部員という感じがしない。
おまけにあまりしゃべらないし、
たまにしゃべっても変にどもったり、はっきりしなかったりして
正直第一印象は 「ヘボい」 というか、とにかく憧れとか尊敬とは程遠いものだった。

その「ヘボい」印象の人が他ならぬこのチームのエースだと知ったときは
少なからず驚いた。  でももっと驚いたのは。

そのコントロールの正確さ。

初めてそれを目の当たりにした時、ちょっと常識では考えられないそれに、
最初の印象とのギャップも相まって呆然として見惚れてしまった。
しかもそれを自慢するでもなし、むしろキャッチャーの阿部先輩のほうが
得意げな顔でオレたち1年を見渡したもんだ。
あの時は本当にびっくりした。
そうとわかってしまえば人間的に変わったところも
それなりに納得できるような気もして (天は二物を与えずってやつだな)
最初の悪いイメージは大分払拭された。
とはいうもののやっぱり何となくわかりにくい先輩、という苦手意識が未だにある。

その三橋さんは今、すぐ近くで何やら挙動不審な動きをしながらどうやら困っているようだ。
周りを見回しても三橋さんと仲のいい田島さんや阿部さんや
面倒見のいい栄口さんは見当たらない。
たまたま、というよりはちょっと遠くまで拾いに来ていたので、
近くには他の部員はとりあえず誰もいない。

・・・・・・・仕方ない。

「どうしたんすか?」

オレは義務的に聞いた。
別に嫌いじゃない、それは確かだけど、やっぱりちょっとだけ苦手・・・・というか
どう接していいかよくわからないせいで、口調が固くなってしまった。

「・・・あ・・・・なん、でも・・・・・・」
「・・・・・・そうすか?」

三橋さんは口ではそう言いながらもやっぱり様子が変だ。
はっきり言えばいいのに、とオレは少しだけ苛立った。
なのでもう一回念押ししてみた。

「でも、なんか困ってんじゃないすか?」
「・・・・・・・え・・・・・」
「・・・・・・・。」
「・・・・あ、あの、ね」
「はあ」
「背中に、なにか」
「・・・・は?」
「・・・・・・背中に何か、いる、みたいなんだけど」

あぁ、とオレはようやく納得がいった。  背中に虫かなんかが入っちゃってそれで。
わかってしまえば何てことはない。

「オレ、取りましょうか?」

ごく自然に言葉が出た。 なのに。

「・・・・え・・・・・」

先輩はあきらかに動揺したみたいな顔になった。

「・・・・や・・・あの・・・・・」
「??」

またワケがわからない。 何でここで慌てなくちゃならないんだろう。
やっぱこの人、苦手だ。

「いいんすか?」

我ながらぶっきらぼうな口調になってしまった。
流石に先輩に向かってこれはまずいなと思ったけど
三橋さんは怒るでもなく、むしろ びくっとして怯えた目になった。

・・・・・こんなに気が弱くてこの人大丈夫なんだろうか・・・・・・・

と他人事ながら心配になって、同時に後ろめたさも加わって今度は気を付けて
普通の声で言ってみた。

「オレ、取りますよ」
「あ・・・じゃあ、お願い・・・・しま、す」

三橋さんは先輩とは思えないような丁寧な言葉を吐きながらオレに背を向けた。
オレは相変わらず後ろめたい気分だったので、汚れた手をズボンでざっと拭いて
それからユニフォームをそうっとめくり上げた。
そうしながら動くものがないかと目を走らす。
見つからなくて結局肩のあたりまで全部上げてしまった。
そしたらいた。
それなりに大き目の蜘蛛が1匹逃げていくのが目に入って、急いでそれを掃い落とした。

「取れましたよ」
「あ・・・ありがとう・・・・」

ふと、改めて目の前の背中を見てオレは少し固まった。
真っ白で、見ただけでそうとわかる肌理の細かさ。
とても同じ男とは思えない。

オレはユニフォームをめくり上げたままぽかんとして見とれてしまった。
さっき蜘蛛をはらう時に一瞬触れた感触を思い出す。

触りたい。

思ってから我に返った。
何を考えてんだオレ。 先輩の、というか男の背中に妙な気分になってどうする!

理性でそう思いながらも目の前の白い肌から目を離せない。
本当に、マジで、きれいな肌だと、思う。
見とれながら、ふとある一点に目が留まった。

脇腹のすぐ横あたりが赤くなっている。 5ミリくらいのきれいな赤い色。

「あれ・・・・?」

知らずに声が出ていた。

「え?」

オレの不審気な声に三橋さんも後ろを向こうとしている。
オレはその赤い色をじーっと見ながら 「先輩、刺されてますよ?」 と言った。

「・・・・え・・・・・?」
「虫刺されが」
「え、どんな虫だった・・・・?」

先輩が焦ったように言った。

「あ・・・・でもそんなわけないか・・・・蜘蛛だし」
「蜘蛛?」
「はあ。   ・・・・蜘蛛って刺さないすよね普通。」

言いながらオレはさらに じぃっとその赤い点を見つめた。

「でも赤くなってますよ。 ここんとこ」

ついっと、その赤を撫でた。 
滑らかな、その感触に内心ぎょっとした。
でもそんなオレの密かな驚きよりもっと派手に三橋先輩は びく!!っと
露骨に身を震わせた。 それから。

「あ・・・・・あ、それ、」

慌てたような声で何か言いかけたかと思うと唐突に途中で言葉を止め、
それから一歩、前に出ようとした。
けど、オレがしっかりと捲り上げた服を掴んだままだったのでそれは叶わなかった。

「あの、 もう」

また慌てた声で三橋さんが言った。
その耳が真っ赤に染まっているのをオレは見てしまった。
先輩が何を言いたいのかはわかる。
もう離してくれ、ということだろう。 当然だ。 もう虫は取ったし。
でも。
・・・・・なんか、離したくない・・・・・・
もう一回だけ、触ってみたい。
この、白くて滑らかな肌に。
おかしなことを考えているのはわかってる。 けどどうしても。

ぐるぐるしながら半ば放心して (手はそのままで) 突っ立っていたら
目の端に何か映った気がした。
「え?」  と思った次の瞬間服を掴んでいる手に衝撃を感じた。
誰かの手がオレの手を叩き落した (それも結構な力で) と気が付いた時はもう
目に映っていた白い背中は素早く下ろされた服で見えなくなり、
しかも三橋さんの姿そのものまで視界から消えた。

一瞬何が起こったのかよくわからなかった。

でも隣を見るとそこにはなぜかいつのまにか阿部さんがいて、
その腕には三橋さんが抱えられるようにして収まっていた。
その、阿部さんの目を見て、オレは凍りついた。


こ  わ  い。


阿部さんがオレを見ていたのはほんの数秒だった、と思うんだけど、
その数秒間オレはマジで体がすくんだ。
そのくらい その目はぞっとするほど冷たくて、そして怖かった。

「あ、阿部くん」
「なにやってんだよ三橋」

ついと、三橋さんに視線を移した阿部さんの目はもう、少し不機嫌なだけで
そんなに怖くはなかった。

「あ、背中に、蜘蛛が入って、」
「・・・・ふーん」
「取って、もらったんだ」
「・・・・オレを呼べよな」
「え、でも、阿部くん、いなかったし」

どうしていいかわからずに動けないでいるオレを阿部さんがまた正面から見た。
思わずびくりとして身構えてしまった。
今度はそんなに怖い、目ではなかったけど。

「こいつが世話んなってどーも」
「は・・・・・」

な、何だか子供が世話になった親みたいなセリフ・・・・・・・・

「でも今度からはいいから。」
「え・・・・・」
「わかったか?」

その瞬間オレは ぞうっとした。
そんなに怖い顔をしているわけでもないのに。
怖い声でもないのに。 (大分低いけど)
なぜかどうしてか全身が総毛立った。 恐怖で鼓動が速くなった。
大して暑くもないのに、冷たい汗が滲むのがわかった。

「は、はいっっ」

とにかくそう答えるしかなかった。
早くその場から逃れたかった。







○○○○○○

その後三橋さんは阿部さんに引き摺られるようにして去って行って、
オレはでも恐怖が消えてくれなくてドキドキしながら作業を続けた。
ふと手の甲を見たら赤くなっていた。
相当強くはらわれたんだ、と改めてわかった。
何だかいたたまれないような気分になって、
集合の少し前に未だ収まらない動悸を抱えながら皆のいるほうに戻った。

と、途中で並んで立っていた田島さんと栄口さんに呼び止められた。

「おまえさ、さっき三橋に何してたの?」

田島さんの問いにオレはまた動悸を激しくした。
また、怖い目で見られるのかな・・・・・・

「や、あの、 先輩の背中に虫が入って」
「あーそれで取ってやったのか」
「そ、そうです!」

それだけです!!  という気持ちを込めて必死で頷いた。
2人は顔を見合わせた。
それから栄口さんが優しい目と口調で言った。

「災難だったね。」
「そういう時はさ、今度から阿部を呼んだほうがいいぜ。」

田島さんは面白そうな顔をしている。

「え・・・・・」
「怖かったんじゃない?」 

栄口さんの言葉にオレは不覚にも涙が出そうになった。
いや実際に少し滲んできてしまって、慌ててごしごしと目をこすった。

そう、そうなんです。 先輩。  オレ。
本当に     本当に  

・・・・・・怖かったんですよ・・・・・・・・・・・


「かわいそうに・・・・・・」

栄口さんの優しい言葉に癒されながらオレは心に誓った。  もう2度と。

三橋さんの背中に触れてみたい  なんて。

何があっても   絶対に   金輪際  

考えない、   と。











                                         ある災難 了

                                         SSTOPへ







                                                 殴りつけなかっただけ偉い