ある平和な風景





「三橋!! それ塩!!」
「あ、あ・・・・・そっか・・・・・・・・」

思わず横から指摘してやってから 大丈夫なのかな、と泉はため息をついた。
さっきから調理以前、というレベルの注意ばかりしている気がする。

今は調理実習の真っ最中。
出来上がるものはごく基本的なクッキー。 (のはず)

三橋はそのちょっと前に珍しく前向きな発言をした。

「オレ、クッキー、阿部くんに、あげる」

三橋のその発言の背景には実はさらにその前の小さな出来事が関係している。
クラスの女子数人がかしましくおしゃべりしていたのを
たまたま隣にいた三橋と田島が聞いてしまったのである。

「アタシ、上手くできたら彼にあげよーっと」
「アタシも〜」
「アタシは7組の阿部くんに」
「え? 野球部の??」
「うんそう」
「もしかして狙ってる?」
「ちょっとね」
「かっこいいもんねぇ」

もちろんのこと三橋は真っ青になって、続いてあっというまに涙目になって俯いた。
目に張った膜が本人の意思を無視してみるみる盛り上がり、
そして重力に逆らえずにぽたりと、机に一粒落下したのと、
田島がひそひそと囁いたのが同時だった。

「おまえも阿部にあげなよ」
「え、でも・・・・・・・・・」
「阿部はおまえから貰えるのが一番喜ぶぞゲンミツに!!!」
「・・・・・・・・・そ、そうかな・・・・・・・」
「そうに決まってんじゃん!!」
「・・・・・・・・・。」
「そんで舞い上がって他の女のなんかさっくり忘れる!!」
「・・・・・そうか、な・・・・・・・・」
「絶対そう!!!」
「・・・・が、頑張ろう、かな・・・・・・・」
「頑張ろうぜ!!!」
「うん・・・・・・・」
「泉も協力してくれよな!!」

田島はちょうどその時通りがかった泉に藪から棒に話を振った。
泉は面食らった。

「なにを?」
「今日の調理実習!」
「・・・・いいケド・・・・・」

そのような経緯があり、ワケがわからないまま協力を要請された泉であったが。
三橋にとって不幸なことに泉とは班が分かれ、田島と同じ班になった。
しかも通常3人一組のはずが人数と欠席者の関係で2人だけ、という最悪な事態と相成った。
しかしたまたま作業場所が隣の机であったため、
必然的に泉は田島にしょっちゅう助けを求められる羽目になり
なにやかやと気にせざるを得ない状況になっている。

「粉の量はテキトーにしたら絶対ダメだよ田島・・・・・」
「三橋、それはふるいじゃなくてボール!!」
「田島、バターは冷たいまま混ぜないで」

なにくれとなく助言してやりながらも、
自分の作業もあるわけだから当然手とり足取りというわけにはいかない。
しかも自分の班も他のメンバーはぼけっとしてあまり動いてくれない。

気にしつつも結局後半はあまり見てやれないまま実習は終了した。







○○○○○○

その日の昼休み7組の教室には9組の女子が頻繁に出入りしていた。
正確に言えば7組と限らず、各クラスのお目当ての男子にクッキーを渡しに行く女子が結構いた。
その日に限って野球部メンバーが誰も屋上に行かなかったのはもちろん雨だからであったが、
それを密かに好都合だと喜んだ人間も、もしかしたらいたかもしれない。
かわいくラッピングされたクッキーの包みを持った女子の群れが入ってくるたびに
教室にいる男子の間には微妙な空気が漂う。

固まって食べていた阿部と水谷と花井はそんな光景をちらちら見ながら、
約2名はなにがしかの期待を胸に抱きつつ食べ終わった弁当を片付けていた。
残り1名も実は別の期待をしていたわけであるが、
表面上はカケラも気にしてないような表情で淡々と片付けている。

と、そこにおずおずという風情で女子が2人で連れ立って近づいてきた。
期待の高まる2名と無関心な1名。

「阿部くん」
「は?」

その時点で (ちぇっ、阿部かよ・・・・・・・・) とその他2名が
内心仏頂面をしたのは致し方ないことだろう。

「これ、実習で焼いたクッキー。 良かったら」
「・・・・あー、オレ、甘いもん苦手で」
「え、でもじゃあ部のみんなで」

女子が何とか渡してしまおうと口実を言いかけたところで、騒々しい叫び声が響き渡った。

「阿部ぇ!!!」

見れば入り口から田島が早くもどんどん入ってくるところだった。

「んだよ。 おまえはうるっせーないっつも」

阿部がそうボヤくのも無理ない、というほどその声はでかかった。
傍にいた女子2名も驚きのあまり硬直して動けない。

「三橋が渡したいもんがあるって!!!」

しかし続いて発せられた言葉に阿部はみるまに目を輝かせて
くるりと女の子に背を向けて田島の背後にひっそりと隠れるようにくっ付いてきた
茶色い髪の持ち主に視線を向けた。
そこでハタと、 そうだった と気付いたように先刻の女子に目を向けて
無造作に言い放った。

「じゃ、それそこのヤツに渡してやって? 皆食うと思うから。 サンキュ」

「そこのヤツ」である花井はこっそりとため息をついた。
もう慣れているとはいえ。
相変わらず約1名にだけ優しく、その他の人間 (特にその1名の涙の原因になりかねない)
には無情な男である。
一方阿部は花井の呆れ顔やら女子の落胆には頓着なく、期待満々な顔で三橋のほうに向き直った。

期待は裏切られることなく三橋は阿部に
「これ、あの、・・・・・・・作ったから・・・・あげる・・・・・・・」
ともごもごと口の中でつぶやきながら小さな包みを差し出した。

「オレに?」

赤面して一瞬言いよどむ三橋の脇腹を田島がすかさず肘で弾丸のようにつつく。

「う、うん。 阿部くん、に。」
「サンキュ三橋」

周囲で見ていた面々が思わず見とれるくらい阿部のその笑顔は輝いていた。

「今食っていい?」
「も、もちろん」
「じゃさっそく」
「あ、味見してない、んだけど」

まだ赤面しつつ恥ずかしそうに言いながらこれまた嬉しそうな三橋と、
してやったりと満面の笑顔の田島。 (女子はそそくさとその場を去っていってもういない)
非常に平和な風景である。

阿部はいそいそと中身を1つ取り出して食べて 「うまいよ」 とまた笑った。
さらに嬉しそうな顔をする三橋。
水谷がどれどれと覗き込んで 「オレも食いたいなぁ」 とつぶやいた。

「あ、・・・・どうぞ。 良かったら」

三橋が言うのを聞きながら花井は心配になった。
阿部の顔が般若みたいになるんじゃないか。
水谷は2人のことを(多分)知らないから悪気はない、全然ない。
阿部だってそこまで大人気なくはないだろうと思いつつ、
でも阿部の三橋への並々ならぬ独占欲をよく知っている花井は不安を打ち消せない。
しかし幸い花井の悪い予想は外れ、阿部は 「おまえも食う?」 と笑顔で言いながら
水谷にも袋を差し出した。
ホっと安堵しながらそれを見るや、花井はにわかに自分もご相伴に預かりたくなった。
どんな感じかと件のお菓子を覗き込んでみる。
見た目はなかなか上手くできている。
大きさはまちまちだが、手作りならではの風情がある。

(まぁクッキーを失敗するヤツなんて流石にいないか) と内心で一人ごち、
「オレも1個いい?」 と三橋にとも阿部にともつかずに尋ねた。
2人がにこにこと頷くのを見ながら花井は思わずしみじみと感慨にふけってしまった。

(阿部もオトナになったもんだなぁ・・・・・・・・・)


その時、 変な音がした。

見ると水谷が口を押さえて蒼白になっている。
変な音、と思ったのは水谷の声だったことに花井は気付いた。

「オレ、ちょっとションベン」

不明瞭な発音で言いながら水谷は立ち上がって、慌しく教室から走り去っていった。
三橋が 「え」 という顔でそれを見送る。 
にこにこが消え、おどおどとした不安そうな表情になった。
途端に花井は後悔した。
事態は一気に不穏な様相を帯びてきている。 
「やっぱりいい」 と言いたいすごく言いたい。  が、阿部の目が。
笑っているはずの阿部の目が。

怖いのである。

「食えよ」 とその目は言っている。
さらに 「三橋を傷つけたらただじゃおかない」 とかも言っている。

何でそこまでわかっちゃうんだ・・・・・・・・と花井は己を呪った。
阿部の目がそれだけ雄弁なワケだが、読み取れない人間だっているのに。

(しかしまぁいくらなんでもクッキーだから)

不味いったってたかがしれてるだろう・・・・・・・・・と一縷の希望を抱きつつ
それでも用心して小さ目なのを1つ選んで口に入れた。


その瞬間花井は思い知った。


阿部がいかに三橋を好きか。


いかに三橋を気遣い、傷つけたくないと思い、そのためならどんな苦労も辛酸も忍耐も
厭わないということが。

刹那混じり気のない尊敬の念すら覚えた。
そして続いて、三橋の幸福を損なう輩にはたとえ部の仲間であろうと
恐ろしい報復があるかもしれない仮になくてもいつまでも根に持つに違いない、
ということも瞬時に確信した。

なので花井は吐き出すこともむせることもなく口の中の物体を呑み込み、
「うん、なかなかいけるな」 と笑いさえする、 という偉業を成し遂げたのである。

それを聞いて、また安堵したように顔を緩める三橋と よし! とばかりに笑う阿部。
傍らには先刻から大満足のていの田島。



傍目には大変に平和な、ある昼休みの風景であった。















                                                ある平和な風景 了

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