求めているのは







喉元まで出かかった言葉は音にはできない。
思っても言えないそんなこと。


「帰らないで」


喉元のそれを無理矢理呑み込みながら、オレはベッドの上で服を着る。
少し離れたところで阿部くんも服を着ている。 
その手つきはよどみがないし、迷いも見えない。
胸の辺に感じたちくりとした痛みを、俯いてやり過ごす。

夢中になって抱き合って1つになった後 「2人」 に戻るこの時間が好きじゃない。
落差が激しくてなかなか慣れない。 だからせめて。

「帰らないで」

言ったところでそれは叶わないと知っている。
今日は元から泊まる予定じゃなかったから、明日要るものとか
阿部くんは持ってきてないだろうし。
それにそもそも阿部くんは、今日の夜家の用事があるそうだから。

引き止めても阿部くんが困るだけだし、これはオレのワガママだ。
特別な理由があるわけでもない。 ただ、何となく寂しいだけ。
明日になればまた会えるんだから、ワガママを言っちゃいけない。

「じゃあもう行くな」
「うん」

帰り支度を終えた阿部くんを玄関まで送る。
靴を履きながら阿部くんは言う。

「おばさん帰るの、もうすぐだよな?」
「うん」

これは本当。 お母さんはもうすぐ帰ってくるはずだ。
一人ぼっちは僅かの時間で終わるだろう。 だからきっと大丈夫。
阿部くんも安心したような顔になる。

「でも帰らないで」

出てきそうになるそれを押し込めながら玄関の外まで出て、笑顔を作る。
阿部くんは自転車に跨ってからオレを見た。
「また明日」 という言葉を用意してオレは別れの言葉を待った。



「・・・・・・・おまえって時々すげーわかりやすい」
「・・・・へ?」

予想と違う言葉に、とまどった。
何が、わかってしまったんだろう。

「・・・・・・オレも帰りたくない」
「えっ」

びっくりした。 なんで、 と聞きたくて でも言えなくて阿部くんをじっと見る。 
阿部くんは小さく笑った。  苦笑いみたいに見えた。

「当たり、だろ?」
「う」
「顔に出てんだっつーの」
「え・・・・・・・」
「でも今日はもう時間ねーんだけど」
「うん」
「・・・・・・オレも同じってことはわかれよ」

オレは阿部くんをますます凝視した。 
だってその時、珍しいことが起きたからだ。
阿部くんは耳まで真っ赤になった。 その色に見惚れながら、ふと気付いた。

心が軽くなっている。
今はもうそんなに寂しくない。 
阿部くんが帰ることに変わりはないのに全然大丈夫になった。
阿部くんがそうしてくれた。 魔法使いみたいだ。

一転した満ち足りた気分でうっとりと、赤い耳たぶを見続けていると声がした。
今度は予想どおりだったけど、もうオレの胸は痛まない。

「じゃあな」
「あ、うん! また明日」
「・・・・・・おまえってゲンキンな」
「へ?」
「断腸の気分は今はオレだけってか」
「・・・・?」

よくわからなくて、浮かんだことをそのまま言った。

「ダンチョウってハマちゃん、のこと?」

それってどういう意味、という続きは言えなかった。
阿部くんがいきなり吹き出したからだ。
しかもその後しばらく笑い続けた。
すごく恥ずかしいことを言ったらしい、てことだけはわかった。
何もそんなに笑わなくても、てくらい阿部くんが笑うんで顔が火照ってしまう。

「漫才じゃねんだからさ」

阿部くんは自転車を漕ぎ出しながらそう言って、また笑った。 
オレは恥ずかしい。
でも阿部くんが楽しそうなのは嬉しい。
ひらひらと手を振りながら、まだ笑ってる阿部くんにつられて
オレも笑っちゃいながらもう一度言った。

「また 明日、ね!」
「おお、肩冷やすなよ」
「うん!」

寂しい気分はすっかり消えてしまったし、
もうすぐお母さんも帰ってきて御飯を作ってくれる。
そう思ったらお腹がぐうと鳴った。
遠ざかる阿部くんの背中を見送ってから
お風呂の支度をしておこう、とうきうきと考えながら家に入った。



阿部くんは時々、 魔法使いみたいだ。












                                     求めているのは 了

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                                                  気持ちがわかれば平気。